浅野長貞

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浅野 長貞(あさの ながさだ、延享4年(1747年) - 文化5年7月13日1808年9月3日))は、江戸時代後期の旗本浅野長広の孫。通称は源三郎、大学。

旗本浅野長純の次男として誕生。母は不詳。子のない兄長延の養子に入った。明和5年(1768年)8月3日に養父の隠居により500石の家督を相続。12月5日にはじめて将軍徳川家治にお目見えし、安永4年(1775年)2月24日、小姓組番士となった。天明6年(1786年)10月11日には安房国平郡の領地を上総国長柄郡に移された。文化5年(1808年)5月26日に死去。高輪の泉岳寺に葬られた。法名は良俊院殿仁嶺道儀居士。妻は諏訪七左衛門頼容の娘。その間の子長邦が家督を継いだ。