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板取川電気

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
板取川電気株式会社
種類 株式会社
本社所在地 大日本帝国の旗 岐阜県武儀郡美濃町506番地[1]
設立 1909年(明治42年)7月25日[2]
解散 1921年(大正10年)8月21日[3]
名古屋電灯と合併し解散)
業種 電気
事業内容 電気供給事業
代表者 武藤助右衛門(社長)
公称資本金 100万円
払込資本金 62万5000円
株式数 2万株(額面50円)
配当率 年率15.0%
株主数 438人
主要株主 武藤助右衛門 (7.0%)、松井三治郎 (5.0%)、今井武兵衛 (4.7%)
決算期 5月・11月(年2回)
特記事項:代表者以下は1919年11月期決算時点[4]
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板取川電気株式会社(いたどりがわでんきかぶしきがいしゃ)は、明治末期から大正にかけて現在の岐阜県美濃市に存在した日本の電力会社である。岐阜県中濃地域のうち美濃市や関市美濃加茂市にあたる地域などで電気の供給にあたった。

1909年(明治42年)に当時の武儀郡美濃町に設立。社名にある板取川長良川支流)に水力発電所を建設して翌年に開業した。美濃・関地区のほか1916年(大正5年)からは合併で加茂方面にも進出したが、1921年(大正10年)に名古屋電灯(後の東邦電力)へと合併された。

本項では、板取川電気の傘下にあった尾北電気株式会社(びほくでんき)・美濃電化肥料株式会社(みのでんかひりょう)についてもあわせて記述する。尾北電気は現在の愛知県犬山市を中心として供給にあたった電力会社、美濃電化肥料は板取川に発電所を構えた発電会社である。両社とも1918年(大正7年)の設立で、親会社の板取川電気と同時に名古屋電灯へと吸収された。

沿革

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設立と開業

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板取川電気の創業者は武藤助右衛門(19代目、1859 - 1925年)という武儀郡美濃町の実業家である[5]。武藤家は小倉山城築城より続く旧家で、金物商(元は鍛冶屋)を家業とする[5]。武藤助右衛門は家業の傍ら1902年(明治35年)に奥濃鉱業という会社を設立し、郡上郡にて畑佐鉱山(を産出)の経営を始める[5]。鉱山では吉田川に出力100キロワットの水力発電所を設置し、坑内の照明や鉱石運搬索道の動力源に利用した[5]。鉱山経営の中で武藤は電気事業の重要性に着目し、事業視察のため各地を訪れるようになった[6]

名古屋電灯が建設した長良川発電所旧建屋

こうした中、1907年(明治40年)より美濃町に近い武儀郡洲原村大字立花(現・美濃市立花)にて長良川発電所(1910年完成、出力4200キロワット)の建設が始まった[7]。これは愛知県名古屋市の電力会社名古屋電灯によるものであるが[7]、発生電力はすべて名古屋方面へと送電され、発電所地元への配電はなされなかった[6]。このため発電所建設の経験がある武藤助右衛門の主導により地元供給を目指す独自の電気事業起業が進められる[6]1909年(明治42年)2月1日付で武藤ほか2名の「中武電気株式会社」発起人に事業許可があり、同年7月25日中武電気改め「板取川電気株式会社」の創立総会開催に至った[5]。社長には武藤助右衛門が自ら就任[5]。設立時の資本金は6万円で[5]、12月末時点では総株数1200株のうち200株を武藤が持った[8]

板取川電気の工事は設立後1909年11月に着手された[5]。最初の発電所(第一発電所[注釈 1])は長良川支流の板取川から取水するもので、武儀郡安曽野村大字安毛(現・美濃市安毛)に建設[5]イギリス製の水車発電機(出力300キロワット、三相交流周波数60ヘルツ)を設置し、翌1910年(明治43年)11月に竣工した[5]逓信省の資料によると開業は同年12月1日付で、当初の供給区域は美濃町と関町・吉田村(現・関市[10]。12月末時点の電灯数は2764灯であった[11]

開業2か月後の1911年(明治44年)2月、美濃電気軌道によって美濃町から岐阜市内へと至る電気軌道(後の名鉄美濃町線)が開通した[12]。同線への給電も板取川電気が担っており、逓信省の資料によると当初100キロワットの電力を供給していた(他に岐阜市側の岐阜電気も100キロワット供給した)[13]。このほか、小口の電力需要としては精米・精麦用電動機があった[6]

事業の拡大

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長良川の対岸から撮影した井ノ面発電所(2014年)
井ノ面発電所の水路。分岐を右手に進むと発電所がある。分岐を直進した場所に旧第一(抜戸)発電所があった[14]

資本金6万円で設立された板取川電気は、1911年1月に9万円[15]1913年(大正2年)4月に15万円の増資をそれぞれ決議し[16]、資本金を30万円とした[17]

1912年(大正元年)11月、板取川電気は前島丈之助ら中濃電気株式会社発起人と電力供給に関する契約を締結した[18]。この中濃電気は1913年1月事業許可を得たのち[18]、同年2月5日加茂郡太田町(現・美濃加茂市)に資本金5万円で発足する[19]。社長は吉田常三郎が務め、板取川電気からは取締役兼大株主に武藤助右衛門が入った(筆頭株主は取締役の前島丈之助)[20]。中濃電気の開業は1913年7月12日のことで[18]、供給区域は加茂郡太田町・古井町川辺町下麻生町など、電源は板取川電気からの受電によった[1]。この中濃電気に可児川電気・犬山電灯を加えた計3社が初期の板取川電気の「分身会社」とされる[17]。可児川電気・犬山電灯については次の#尾北電気の設立にて詳述する。

供給面については、1913年より第二発電所(井ノ面<いのも>発電所)の建設が着手された[5]。水路に土砂が堆積して発電量が減少しつつあった既設第一発電所を補うための施設であり、既設水路の途中から分水した上で水路をより長く(発電所を下流側に)することで落差をさらに大きく取る設計とされた[14]。同発電所は1914年(大正3年)1月に竣工[14]。設備はドイツシーメンス製の水車および発電機各1台で、地形上建屋を置く空間がないため長良川沿いの崖を開削してその中に機械室を設けている(地中式発電所)[14]。発電力は第一・第二発電所をあわせて413キロワットとなった[1]。この第二発電所が完成した1914年時点では取付電灯数6550灯・動力用電力供給150馬力(他に美濃電気軌道・中濃電気へ供給)を数えた[17]

1916年(大正5年)8月1日、板取川電気は「分身会社」のうち中濃電気を合併した[18][21]。合併後の資本金は35万円[21]。合併後は加茂郡太田町に太田出張所を構えた[18]。資本金に関しては翌1917年(大正6年)1月に15万円[22]、さらに1919年(大正8年)8月に50万円の増資がそれぞれ決議されており[23]、100万円まで増加した[4]。なお100万円への増資後も引き続き社長の武藤助右衛門が筆頭株主であった(1919年11月末時点)[4]

尾北電気の設立

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尾北電気株式会社
種類 株式会社
本社所在地 大日本帝国の旗 愛知県丹羽郡
犬山町大字犬山字南古券209番地2[24]
設立 1918年(大正7年)3月1日[24]
解散 1921年(大正10年)8月21日[25]
名古屋電灯と合併し解散)
業種 電気
事業内容 電気供給事業
代表者 林春太郎(社長)
公称資本金 100万円
払込資本金 40万円
株式数 2万株(額面50円)
配当率 年率14.0%
主要株主 板取川電気 (40.0%)、林春太郎 (5.0%)
決算期 5月・11月(年2回)
特記事項:代表者以下は1920年11月期決算時点[26]
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先述の通り、板取川電気は可児川電気・犬山電灯という「分身会社」を持っていた[17]。この2社は1918年(大正7年)3月1日付で新設合併により統合、尾北電気株式会社となった[27]

前身のうち岐阜県側の可児川電気は可児郡御嵩町にあった会社である。同社は可児郡の平井信四郎らにより起業されたもので[28]、1912年(明治45年)3月20日に資本金5万円で設立[29]。全1000株のうち365株を板取川電気が保有しており(1912年12月末時点)[30]、設立時から武藤助右衛門が社長を兼ねた[28]。電源となる水力発電所は上之郷村大字美佐野(現・御嵩町美佐野)、可児川支流津橋川の伊羅久後(いらくご)峡にて建設が進められ[28]、1913年3月に出力60キロワット(周波数60ヘルツ)の発電所として完成[31]。逓信省の資料によると可児川電気は同年4月1日付で開業した[1]

可児川電気の供給区域は可児郡のうち上之郷村・御嵩町・兼山町などで、電灯のみならず亜炭採掘時の排水機用電動機といった電力需要も持った[28]。開業当初から水量不足による発電量不足が目立ったため、可児川電気では1913年8月に5万円の増資を決議した上で発電所上流に溜池を築造する[28]。溜池の効果で発電量は安定化したが、1915年(大正4年)8月10日、豪雨により池が決壊して下流の田畑が浸水し1名が死亡するという事故が起きた[28]。復旧と補償により可児川電気では経営が悪化、板取川電気から経営支援を受けることとなり[28]、1917年6月には本社を美濃町に移している[32]

一方の犬山電灯は愛知県丹羽郡犬山町(現・犬山市)の会社で、1912年1月15日に設立[33]。設立時の資本金は5万円で[33]、武藤助右衛門が筆頭株主兼取締役である(1912年11月末時点)[34]。社長は可児川電気と異なり武藤ではなく犬山の林春太郎が務める[34]。逓信省の資料によると犬山電灯の開業は1912年10月8日で、供給区域は犬山町など、自社発電所は持たず名古屋電灯からの受電だけが電源であった[35]。当時は名古屋電灯が長良川発電所や八百津発電所といった大型発電所の完成により販路を拡大していた時期にあたり、犬山電灯のほか一宮電気稲沢電気なども名古屋電灯からの受電を始めている[36]。なお犬山電灯は開業後の1916年6月、5万円の増資を決議した[37]

可児川電気・犬山電灯の両社は尾北電気の新設により解散した[38]。新設された尾北電気は本社を犬山町大字犬山(旧犬山電灯所在地)に設置[24]。設立時の資本金は30万円で[24]、総株数6000株のうち3200株を板取川電気が持った(1918年5月末時点)[39]。取締役社長は林春太郎が務め、その他取締役には武藤助右衛門らが名を連ねる[39]

1920年(大正9年)11月30日、尾北電気は美濃町の神淵川電気株式会社を合併し、資本金を70万円増の100万円とした[40]。この神淵川電気は1919年8月10日、資本金35万円にて美濃町に設立[41]。板取川電気支配人の塚原幾三郎が専務取締役を務める(武藤助右衛門は役員に不在)[42]。神淵川電気の発電所は岐阜県武儀郡上麻生村本郷(現・七宗町上麻生)、飛騨川支流神淵川にある神淵川発電所(出力160キロワット)で、合併目前の1920年8月に竣工させていた[43]

美濃電化肥料の起業

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1918年、板取川電気関係者と横浜の田中国太郎(大垣に工場を持つ「田中カーバイド」を経営[44])・京都の田中新一郎(国太郎の実弟で京都電気鉄道常務[45])が提携し資本金100万円で新会社・美濃電化株式会社を立ち上げることが決定された[46]。新会社は同年6月22日美濃町に設立[47]。社長には板取川電気から武藤助右衛門が就き、その他取締役には田中国太郎らが名を連ねる[48]。当初の事業計画は、第一期工事として板取川上流に出力1500キロワットの発電所を建設、うち500キロワットを板取川電気へと売電し残りでマンガン精錬を営む、というものであった[48]

板取川電気は美濃電化の株式2万株のうち半数1万株を持つ親会社であった(1919年9月末時点)[49]。その板取川電気は1919年5月末時点で電灯1万5284灯・電力341馬力(他に美濃電気軌道・尾北電気へ送電)を供給するまでに発展していたが、供給増加に供給力が追い付いておらず、美濃電化の新発電所完成を待つ状態になっていた[50]。美濃電化が建設する白谷発電所(出力1,235キロワット、武儀郡板取村白谷区=現・関市板取に所在[51])は1919年10月より運転を開始[9]。板取川電気では美濃電化から230キロワットの受電を行い、自社発電力と合わせた供給力を643キロワットとしている(1919年末時点)[52]。また美濃電化の電炉工場も1919年11月美濃町に開設された[49]

1920年1月28日、美濃電化は美濃電化肥料株式会社(初代)の合併を決議した[53]。被合併会社は同日付で設立されており、資本金は200万円、石灰窒素硫酸アンモニウム(硫安)製造を目的とする[54]。合併成立は同年4月1日付で、存続会社の美濃電化は資本金を200万円増額の上、社名を美濃電化肥料株式会社(2代目)へと改めた[53]。合併後の事業目的は石灰窒素・硫酸アンモニウムその他の製造販売および電力供給とある[53]

名古屋電灯との合併

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長良川発電所を構える名古屋電灯は1920年代に入ると周辺事業者の合併を積極化するようになり、1920年にまず愛知県一宮市一宮電気を合併、翌1921年(大正10年)には2月岐阜電気、4月愛知県豊橋市豊橋電気をそれぞれ合併した[55]。そして1921年8月、さらに板取川電気・尾北電気・美濃電化肥料の3社合併に踏み切った[55]。合併は名古屋電灯を存続会社とし、3社を合併に伴い解散するというもので、その合併条件は以下の通りであった[56]

板取川電気株式会社
板取川電気は合併契約時、資本金公称100万円・払込70万円(額面50円払込済1万株・20円払込1万株)であったが、合併成立までに株金を徴収して払込額を75万円に増額する。その上で、板取川電気の株主に対して持株1株につき名古屋電灯の同額払込株式を0.97株の割合で交付する。従って合併に伴う名古屋電灯の資本金増加は公称97万円・払込72万7500円。
尾北電気株式会社
合併時の資本金は公称100万円・払込40万円(額面50円払込済3000株・25円払込3000株・12円50銭払込1万4000株)。全2万株のうち8000株を板取川電気が保有していることから、それ以外の1万2000株についてその株主に対して持株1株につき名古屋電灯の同額払込株式を1.05株の割合で交付する。従って合併に伴う名古屋電灯の資本金増加は公称63万円・払込23万1000円。
美濃電化肥料株式会社
合併時の資本金は300万円・払込額100万円(25円払込2万株・12円50銭払込4万株)。全6万株のうち1万7000株を板取川電気が保有していることから、それ以外の4万3000株についてその株主に対して持株1株につき名古屋電灯の同額払込株式を0.515株の割合で交付する。従って合併に伴う名古屋電灯の資本金増加は公称110万7250円・払込34万1187円50銭。
一連の合併に伴う名古屋電灯の資本金増加は計270万7250円である。

合併手続きは、1921年3月25日各社株主総会における合併決議[57][58]、同年8月2日逓信省による合併認可、8月21日名古屋電灯における合併報告総会、という順で完了し[59]、21日をもって被合併3社は解散した[3][25]。合併直後の1921年10月に名古屋電灯は奈良県関西水力電気と合併し、翌1922年(大正11年)には九州九州電灯鉄道などを合併して、中京関西・九州にまたがる大電力会社東邦電力となっている[60]

名古屋電灯への合併直前にあたる1921年6月末時点において、供給区域は板取川電気が美濃町・関町ほか29町村[61]、尾北電気が犬山町ほか24町村であった[62](詳細は下記#供給区域一覧参照)。また名古屋逓信局の資料によると、1920年末時点の供給成績は板取川電気が電灯数2万461灯(需要家数1万412戸)・電動機数249台493馬力(約368キロワット)・その他電力供給125キロワット、尾北電気が電灯数2万287灯(需要家数9712戸)・電動機数116台274馬力(約204キロワット)を数えた[63]

また美濃電化肥料は名古屋電灯との合併時点で炭化カルシウム(カーバイド)製造に従事していたが、これは合併により名古屋電灯の兼業として引き継がれた[55]。その後1923年(大正12年)1月より東邦電力から電気興業所への経営委託に切り替えられ[64]、同社が東邦電力から土地建物一切を借用の上で美濃町工場(カーバイド電気炉1台設置)として経営した[65]。この事業は次いで1939年(昭和14年)8月、揖斐川電気(現・イビデン)が他の工場を含む電気興業所の事業一切を買収したことで揖斐川電気の手に渡っている[65]。工場の閉鎖時期は不明

年表

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  • 板取川電気株式会社
  • 尾北電気株式会社
    • 1912年(明治45年)1月15日 - 愛知県丹羽郡犬山町に犬山電灯株式会社設立。資本金5万円[33]
    • 1912年(明治45年)3月20日 - 岐阜県可児郡御嵩町に可児川電気株式会社設立。資本金5万円[28][29]
    • 1912年(大正元年)10月8日 - 犬山電灯開業[35]
    • 1913年(大正2年)3月 - 可児川電気美佐野発電所が竣工[31]
    • 1913年(大正2年)4月1日 - 可児川電気開業[1]
    • 1913年(大正2年)8月15日 - 可児川電気は5万円増資を決議[66]
    • 1916年(大正5年)6月24日 - 犬山電灯は5万円増資を決議[37]
    • 1918年(大正7年)3月1日 - 犬山電灯・可児川電気が合併し尾北電気株式会社設立[27]。本店所在地犬山町、資本金30万円[24]
    • 1919年(大正8年)8月10日 - 美濃町に神淵川電気株式会社設立[41]
    • 1920年(大正9年)8月 - 神淵川電気により神淵川発電所竣工[43]
    • 1920年(大正9年)11月30日 - 神淵川電気を合併、資本金100万円に[40]
    • 1921年(大正10年)3月25日 - 名古屋電灯との合併を決議[58]
    • 1921年(大正10年)8月21日 - 名古屋電灯との合併成立につき解散[25]
  • 美濃電化肥料株式会社
    • 1918年(大正7年)6月22日 - 美濃電化株式会社設立。本店所在地岐阜県武儀郡美濃町、資本金100万円[47]
    • 1919年(大正8年)10月 - 美濃電化白谷発電所が運転開始[9]
    • 1920年(大正9年)4月1日 - 美濃電化肥料株式会社(初代)を合併。合併に伴う資本金増加200万円[53]
    • 1920年(大正9年)5月6日 - 美濃電化肥料株式会社(2代)への社名変更登記[53]
    • 1921年(大正10年)3月25日 - 名古屋電灯との合併を決議[58]
    • 1921年(大正10年)8月21日 - 名古屋電灯との合併成立につき解散[3]

供給区域一覧

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板取川電気

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名古屋電灯への合併直前、1921年6月末時点における板取川電気の電灯・電力供給区域は以下に示す岐阜県下5町26村であった[61]

岐阜県 武儀郡
(2町15村)
美濃町安曽野村下牧村上牧村中有知村藍見村大矢田村(現・美濃市)、
関町吉田村倉知村瀬尻村下有知村南武芸村東武芸村洞戸村板取村(現・関市)、
西武芸村(現・山県市
加茂郡
(3町7村)
太田町古井村下米田村加茂野村(現・美濃加茂市)、
富田村(現・富加町)、富岡村(現・富加町・関市)、田原村(現・関市)、
坂祝村(現・坂祝町)、
川辺町下麻生町(現・川辺町・七宗町
山県郡
(4村)
保戸島村(現・関市)、
山県郡春近村厳美村(現・岐阜市

尾北電気

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同じく1921年6月末時点における尾北電気の電灯・電力供給区域は以下に示す愛知・岐阜両県下5町20村であった[62]

愛知県 丹羽郡
(2町5村)
犬山町城東村池野村羽黒村楽田村(現・犬山市)、
扶桑村(現・扶桑町)、
古知野町【一部】(現・江南市
葉栗郡
(1村)
草井村(現・江南市)
岐阜県 可児郡
(3町11村)
御嵩町上之郷村中村伏見村(現・御嵩町)、
錦津村(現・八百津町)、
今渡町広見村平牧村久々利村土田村春里村帷子村兼山町(現・可児市)、姫治村(現・可児市・多治見市
加茂郡
(2村)
和知村(現・美濃加茂市・八百津町)、
上米田村(現・川辺町
武儀郡
(1村)
上麻生村【一部】(現・加茂郡七宗町

発電所一覧

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板取川電気および尾北電気・美濃電化肥料が運転した発電所は以下の通り。すべて水力発電所である。

水力発電所 : 岐阜県所在
事業者 発電所名 出力
(kW)
所在地 河川名 運転開始 備考
板取川電気 第一
(抜戸)
113[9] 武儀郡安曽野村安毛[51]
(現・美濃市安毛)
長良川支流板取川 1910年12月[9] 1935年6月廃止[9]
第二
井ノ面
300[9] 武儀郡安曽野村安毛[51]
(現・美濃市安毛)
長良川支流板取川 1914年1月[9] 現・中電井ノ面発電所
美濃電化 白谷 1,235[9] 武儀郡板取村白谷区[51]
(現・関市板取)
長良川支流板取川 1919年10月[9] 現・中電白谷発電所
尾北電気 美佐野 60[9] 可児郡上之郷村美佐野[28]
(現・御嵩町美佐野)
可児川支流津橋川[28] 1913年4月[9] 1935年7月廃止許可[67]
神淵川 160[9] 武儀郡上麻生村本郷組[51]
(現・七宗町上麻生)
飛騨川支流神淵川 1920年8月[9] 1969年3月廃止[9]

人物

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1920年初頭時点における板取川電気の役員は次の9人であった[4]

  • 取締役
    • 武藤助右衛門 - 社長。美濃町、金物商[68]
    • 松井三治郎 - 専務。岐阜市、紙商[69]
    • 今井武兵衛 - 常務。岐阜市、紙商[69]
    • 小坂三十郎 - 美濃町、酒造業・製糸業[68]
    • 鈴木喜平治 - 美濃町、味噌商・質商[68]
    • 野呂静 - 御嵩町、可児川電気初代専務[28]・元御嵩町長(在任:1907-1909年・1914-1919年)[70]
  • 監査役
    • 加藤三郎 - 関町、関倉庫代表[68]
    • 村井奥助 - 美濃町、酒造業[68]
    • 正木三郎四 - 美濃町、味噌商[68]

脚注

[編集]

注釈

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  1. 安毛発電所とも。名古屋電灯合併以降は抜戸発電所と称する[9]

出典

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  1. 1 2 3 4 5 『電気事業要覧』第7回48-51頁
  2. 1 2 商業登記」『官報』第7835号、1909年8月6日(「国立国会図書館デジタルコレクション」収録=以下「NDL-DC」)
  3. 1 2 3 4 商業登記 板取川電気株式会社・美濃電化肥料株式会社」『官報』第2759号附録、1921年10月11日 (NDL-DC)
  4. 1 2 3 4 『銀行会社要録』第24版(1920) 岐阜県6-7頁
  5. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 横山悦生(2000) 57-67頁
  6. 1 2 3 4 『美濃市史』通史編下巻232-236頁
  7. 1 2 『中部地方電気事業史』上巻67-70頁
  8. 『銀行会社要録』第14版(1910) 岐阜県17頁
  9. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 『中部地方電気事業史』下巻334-338・345-346頁
  10. 1 2 3 『電気事業要覧』明治43年26-27頁
  11. 『電気事業要覧』明治43年330-331頁
  12. 『美濃市史』通史編下巻304頁
  13. 『電気事業要覧』明治44年78-79頁
  14. 1 2 3 4 5 『日本の発電所』中部日本篇548-549頁
  15. 1 2 商業登記 板取川電気株式会社」『官報』第8378号付録、1911年5月29日 (NDL-DC)
  16. 1 2 商業登記 板取川電気株式会社」『官報』第307号付録、1913年8月7日 (NDL-DC)
  17. 1 2 3 4 『美濃町案内』22頁
  18. 1 2 3 4 5 『美濃国加茂郡誌』558-561頁
  19. 1 2 商業登記 会社設立」『官報』第1711号、1913年2月27日 (NDL-DC)
  20. 『銀行会社要録』第19版(1915) 岐阜県17-18頁
  21. 1 2 3 商業登記 板取川電気株式会社」『官報』第1209号附録、1916年8月10日 (NDL-DC)
  22. 1 2 商業登記 板取川電気株式会社」『官報』第1426号附録、1917年5月5日 (NDL-DC)
  23. 1 2 商業登記 板取川電気株式会社」『官報』第2222号附録、1919年12月29日 (NDL-DC)
  24. 1 2 3 4 5 商業登記 設立」『官報』1757号附録、1918年6月12日 (NDL-DC)
  25. 1 2 3 商業登記 尾北電気株式会社」『官報』2765号、1921年10月19日 (NDL-DC)
  26. 『銀行会社要録』第25版(1921) 愛知県44頁
  27. 1 2 『可児市史』第3巻274-275頁
  28. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 『御嵩町史』通史編下526-530頁
  29. 1 2 商業登記」『官報』8661号附録、1912年5月6日 (NDL-DC)
  30. 『銀行会社要録』第17版(1913) 岐阜県21頁
  31. 1 2 『発電水力』第10号5頁
  32. 商業登記 会社移転」『官報』第1472号、1917年6月28日 (NDL-DC)
  33. 1 2 3 商業登記 株式会社設立」『官報』第8605号附録、1912年2月28日 (NDL-DC)
  34. 1 2 『銀行会社要録』第17版(1913) 愛知県29頁
  35. 1 2 『電気事業要覧』第7回42-43頁
  36. 『中部地方電気事業史』上巻125-126頁
  37. 1 2 商業登記 株式会社資本増加」『官報』1267号、1916年10月20日 (NDL-DC)
  38. 商業登記 犬山電灯株式会社」『官報』1748号附録、1918年6月1日 (NDL-DC)
    商業登記 会社解散」『官報』1752号附録、1918年6月6日 (NDL-DC)
  39. 1 2 『帝国銀行会社要録』第7版(1918) 愛知県92-93頁
  40. 1 2 商業登記 尾北電気株式会社」『官報』2624号附録、1921年5月3日 (NDL-DC)
  41. 1 2 商業登記 会社設立」『官報』2149号、1919年10月2日 (NDL-DC)
  42. 『電気年鑑』大正9年66-67頁
  43. 1 2 『七宗町史』通史編902頁
  44. 須郷正臣『帝国立憲三十年史』202頁
  45. 『人事興信録』第5版た31-32頁
  46. 彙報 美濃電化株式会社」『工業雑誌』第48巻第627号、工業雑誌社、1918年5月、516頁 (NDL-DC)
  47. 1 2 商業登記 会社設立」『官報』第1798号、1918年7月31日 (NDL-DC)
  48. 1 2 会社近況 美濃電化会社工事」『電気化学』第3巻第9号、1918年9月、801頁 (NDL-DC)
  49. 1 2 『銀行会社要録』第24版(1920) 岐阜県12-13頁
  50. 『全国銀行会社事業成績調査録』電気瓦斯30頁
  51. 1 2 3 4 5 東邦電力株式会社工場財団」『官報』第3723号、1925年1月22日 (NDL-DC)
  52. 『電気事業要覧』第12回64-65頁
  53. 1 2 3 4 5 商業登記 美濃電化株式会社」『官報』第2482号附録、1920年11月9日
  54. 商業登記 会社設立」『官報』第2344号附録、1920年5月27日
  55. 1 2 3 『東邦電力史』39-42頁
  56. 『名古屋市会史』第四巻586-589頁
  57. 「名古屋電灯株式会社第63回事業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
  58. 1 2 3 4 公示催告 名古屋電灯株式会社・板取川電気株式会社 他」『官報』第2593号、1921年3月28日
  59. 「関西電気株式会社第33回事業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
  60. 『東邦電力史』82-111頁
  61. 1 2 『電気事業要覧』第13回78-79頁
  62. 1 2 『電気事業要覧』第13回64-65頁
  63. 『管内電気事業要覧』第2回80-81・88-89頁
  64. 『東邦電力史』611頁(年譜)
  65. 1 2 『イビデン70年史』94頁
  66. 商業登記 可児川電気株式会社」『官報』387号、1913年11月12日 (NDL-DC)
  67. 『電気年鑑』昭和11年本邦電気界106頁
  68. 1 2 3 4 5 6 竹内伊四郎『大日本紳士名鑑』岐阜県24-25頁
  69. 1 2 中尾矩市『商工名鑑』岐阜県25-26頁
  70. 『御嵩町史』通史編下147-148頁

参考文献

[編集]
  • 企業史
  • 逓信省資料
    • 逓信省電気局 編『電気事業要覧』明治43年、逓信協会、1911年。NDLJP:805423 
    • 逓信省電気局 編『電気事業要覧』明治44年、逓信協会、1912年。NDLJP:974998 
    • 逓信省電気局 編『電気事業要覧』第7回、逓信協会、1915年。NDLJP:975000 
    • 逓信省電気局 編『電気事業要覧』第12回、逓信協会、1920年。NDLJP:975005 
    • 逓信省電気局 編『電気事業要覧』第13回、逓信協会、1922年。NDLJP:975006 
    • 名古屋逓信局 編『管内電気事業要覧』第2回、名古屋逓信局電気課、1922年。NDLJP:975996 
  • その他文献
    • 大澤米造 編『全国銀行会社事業成績調査録』帝国経済通信社、1919年。NDLJP:946092 
    • 加藤木重教/電気之友社 編『電気年鑑』
      • 加藤木重教 編『電気年鑑』大正9年、電友社、1920年。NDLJP:948316 
      • 電気之友社 編『電気年鑑』昭和11年(第21回)、電気之友社、1936年。NDLJP:1114969 
    • 可児市 編『可児市史』第3巻通史編近・現代、可児市、2010年。 
    • 岐阜県加茂郡役所 編『美濃国加茂郡誌』加茂郡役所、1921年。NDLJP:965672 
    • 人事興信所『人事興信録』第5版、人事興信所、1918年。NDLJP:1704046 
    • 須郷正臣 編『帝国立憲三十年史』帝国実業公論社本郷支社、1918年。NDLJP:946355 
    • 竹内伊四郎 編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。NDLJP:936511 
    • 帝国興信所 編『帝国銀行会社要録』第7版、帝国興信所、1918年。NDLJP:974397 
    • 東京興信所 編『銀行会社要録』
      • 『銀行会社要録』第14版、東京興信所、1910年。NDLJP:803650 
      • 『銀行会社要録』第17版、東京興信所、1913年。NDLJP:936325 
      • 『銀行会社要録』第19版、東京興信所、1915年。NDLJP:936324 
      • 『銀行会社要録』第24版、東京興信所、1920年。NDLJP:936333 
      • 『銀行会社要録』第25版、東京興信所、1921年。NDLJP:936331 
    • 中尾矩市『商工名鑑』第7版、名古屋商工社、1914年。NDLJP:910455 
    • 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史』第四巻、名古屋市会事務局、1941年。NDLJP:1451189 
    • 日本動力協会『日本の発電所』中部日本篇、工業調査協会、1937年。NDLJP:1257061 
    • 七宗町教育委員会・七宗町史編纂委員会 編『七宗町史』通史編、七宗町教育委員会、1993年。NDLJP:9540961 
    • 御嵩町史編さん室 編『御嵩町史』通史編下、御嵩町、1990年。NDLJP:9540770 
    • 美濃市 編『美濃市史』通史編下巻、美濃市、1980年。 
    • 美濃町役場 編『美濃町案内』西濃印刷岐阜支店、1914年。NDLJP:948041 
  • 記事
    • 「混凝土水圧管採用の記録 可児川電気の発電所」『発電水力』第10号、発電水力研究会、1915年12月、5頁、NDLJP:1521006/4 
    • 横山悦生「板取川水力発電と武藤助右衛門」『シンポジウム「中部の電力のあゆみ」第8回講演報告資料集』、中部産業遺産研究会、2000年11月、57-67頁。