大野町 (愛知県八名郡)

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おおのちょう
大野町
廃止日 1956年4月1日
廃止理由 新設合併
大野町・七郷村長篠村鳳来寺村鳳来町
現在の自治体 新城市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
八名郡
面積 3.75[1]km2.
総人口 1,935[1]
(登録人口、1955年1月1日)
隣接自治体 八名郡七郷村
南設楽郡長篠村、新城町
大野町役場
所在地 愛知県八名郡大野町横町16-1
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大野町道路元標

大野町(おおのちょう)は、愛知県八名郡にかつて存在したである。

豊川の支流宇連川の左岸を町の範囲とした。1889年(明治22年)の町村制施行により大野村として発足、1892年(明治25年)に町制を施行し大野町となった。

1956年昭和31年)に周囲の自治体と合併して鳳来町の一部となり、消滅した[2]。2005年(平成17年)に鳳来町が新城市に編入されたため、現在では同市の一部である。

鳳来寺秋葉山本宮秋葉神社を結ぶ秋葉街道と、豊橋別所を結ぶ別所街道が交差する宿場として栄え、明治時代には養蚕の集散地となった。 また、1896年(明治29年)に東三河初の民間金融機関として大野銀行(東海銀行三菱東京UFJ銀行の前身の一つ)が設立されたを背景に東三河の金融の中心地としても発展した[2]。現在も古い町並みが残り、旧大野銀行本店の店舗は「大野宿鳳来館」という喫茶店兼ギャラリーとして運用されている。

2016年(平成28年)3月時点で、約400世帯・約1,200人が居住している[2]

歴史[編集]

前身は大野村である。周囲の村と同様に天正18年(1590年)に吉田藩領(池田輝政領)、ついで慶長5年(1600年)に徳川氏領(幕府成立後は幕府領)となった[3]。以降江戸時代を通じて幕府領であり、そのまま明治を迎えた。

町村制が施行された1889年(明治22年)10月1日、大野村の北から東にかけて存在した睦平村・細川村・名号村・名越村・井代村・能登瀬村の6村と合併し、(新)大野村が成立した。7つの大字を持つ村となったが、翌1890年(明治23年)10月20日に7つの村が分立する旧の形態に戻り、大野村は大字を持たない(江戸期からの)旧大野村の範囲に縮小した。1892年(明治25年)4月18日にこの大野村は町制を施行し、大野町に改称した[4]。なお、大野村を除く6村は1906年(明治39年)高岡村を加えて合併し、七郷村を発足させている。

そのまま町域の変化はないまま推移していたが、昭和の大合併の中で、1956年(昭和31年)4月1日に七郷村や南設楽郡長篠村鳳来寺村と合併して鳳来町の一部となった[5]。旧大野町の範囲は鳳来町の大字「大野」として継承され[4]、2005年(平成17年)の新城市への合併後は新城市の大字に移行している。

地理[編集]

町は宇連川の左岸に位置する。つまり、町の西端を宇連川が流れていた。川の対岸は北設楽郡長篠村の富栄に相当する。宇連川左岸を南へ向かうと舟着村、北へ向かうと七郷村井代であり、町内で宇連川に合流する阿寺川沿いを東へ向かうと山吉田村下吉田の阿寺地区、真立川沿いを東へ向かうと七郷村睦平となる。

教育[編集]

町内には、町立の小学校1校と、隣接する七郷村との組合立の中学校1校が存在した。

  • 大野町立大野小学校 - 1873年(明治6年)開校。1976年(昭和51年)に周囲の学校を統合し、鳳来町立東陽小学校に改称[4]。2005年(平成17年)には新城市立東陽小学校に改称している。
  • 大野町・七郷村組合立東陽中学校 - 1947年(昭和22年)に大野町立大野中学校として開校。1949年(昭和24年)に七郷村の中学校2校を統合し、大野町・七郷村組合立東陽中学校に改称した。1956年(昭和31年)に鳳来町立東陽中学校となり、1972年(昭和47年)に鳳来町の1町1中学校化が完了した際には、鳳来町立鳳来中学校(長篠)に統合され廃校となった[4]

電気[編集]

大野町では、大正から昭和初期にかけて大野電気株式会社(おおのでんき)という電力会社電気を供給していた。

大野電気の母体となった大野製材合資会社は、1912年(明治45年)4月に開業し、大野町全域を対象に電気の供給を開始した。町内を流れる阿寺川の水力を利用しており、日中は水力を用いて製材工場を運転し、夜間は発電所を稼動させて電気を供給する、というものであった。発電所の出力は7キロワットである[6]

続いて、大野町の有力者大橋正太郎が、町内と隣接する七郷村とその北方北設楽郡三輪村への供給を目的に新会社三輪電気株式会社の設立を計画する。同社は1919年(大正8年)12月大野製材の電気事業を譲り受け、翌1920年(大正9年)6月に大野電気へと改称した[7]。同年12月、大野電気は葭ヶ滝発電所を新設する[8]。同発電所は宇連川右岸、長篠村(現・新城市)の柿平駅近くにあり、出力28キロワットの水力発電所であった。これに伴い製材工場併設の発電所は廃止された。1924年(大正13年)1月には矢作水力から30キロワットの受電も開始し、大野電気の供給電力は計58キロワットとなった[9]

昭和になって電力の国家管理が推進されると、小規模電気事業者の統合が推奨されるようになった。この流れを受けて大野電気は1939年(昭和14年)4月、事業を中央電力に譲渡した。その中央電力も配電統制により3年後の1942年(昭和17年)に中部配電へ統合されている[10]。大野電気が建設した葭ヶ滝発電所は戦後1951年(昭和26年)に発足した中部電力が継承し、同社の手により1955年(昭和30年)9月に廃止された[11]が、実際には中部配電時代の1945年(昭和20年)4月に休止されていた[12]

大野電気の1937年末の企業データは以下の通り[13]

  • 事務所:愛知県八名郡大野町字山伏通
  • 代表者:大橋正太郎(社長)、従業者:12人
  • 資本金:10万円
  • 電灯取付数:1,747個、電力契約:12.0キロワット、電熱契約:4.0キロワット、大口電力契約:8.0キロワット
  • 供給範囲
    • 八名郡大野町、南設楽郡長篠村(一部)・鳳来寺村(一部)、北設楽郡三輪村
  • 発受電地点
    • 水力発電所:南設楽郡長篠村(葭ヶ滝発電所、出力28キロワット)
    • 受電地点:南設楽郡鳳来寺村(矢作水力から30キロワット受電)

脚注[編集]

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  1. ^ a b 『愛知県統計年鑑』昭和31年度刊、p11
  2. ^ a b c 榊原崇仁 (2016年3月26日). “郷土の記録へ 住民動く 新城 旧大野町の営み写真集に”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 東三河版 22 
  3. ^ 『日本歴史地名体系』23、p963
  4. ^ a b c d 『角川日本地名大事典』23、p286
  5. ^ 鳳来町教育委員会『鳳来町誌 歴史編』鳳来町、1994年、pp. 937-941
  6. ^ 芳賀信男『東三河地方電気事業沿革史』、2001年、pp.179-180
  7. ^ 『東三河地方電気事業沿革史』、p.181
  8. ^ 中部電力電気事業史編纂委員会(編)『中部地方電気事業史』下巻、中部電力、1995年、p.330
  9. ^ 『東三河地方電気事業沿革史』、pp.181-182
  10. ^ 『東三河地方電気事業沿革史』、p.183,214
  11. ^ 『中部地方電気事業史』下巻、p.354
  12. ^ 『東三河地方電気事業沿革史』、p.183
  13. ^ 逓信省電気局(編)『電気事業要覧』第29回、電気協会、1938年、pp.50,755,882。NDLJP:1073650

参考文献[編集]

  • 愛知県『愛知県統計年鑑』第5回(昭和31年版)、愛知県、1956年。
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典』23 愛知県、角川書店、1989年。ISBN 978-4-04-001230-8
  • 平凡社『日本歴史地名体系』23 愛知県の地名、平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9
  • 鳳来町教育委員会『鳳来町誌』歴史編、鳳来町、1994年。

関連項目[編集]