稲沢電灯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
稲沢電灯株式会社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
愛知県中島郡稲沢町稲沢字稲葉町1897
設立 1920年(大正9年)1月31日[1]
(稲沢電気:1912年7月12日設立[2]
解散 1939年(昭和14年)8月1日[3]
東邦電力へ事業譲渡)
業種 電気
事業内容 電気供給事業
代表者 山田市三郎(社長)
公称資本金 100万円
払込資本金 60万円
株式数 2万株(30円払込)
総資産 100万7926円(未払込資本金除く)
収入 19万4014円
支出 16万570円
純利益 3万3444円
配当率 年率8.0%
株主数 264名
主要株主 東邦証券保有 (47.5%)、山田市三郎 (4.4%)、山田藤吉 (3.0%)、山田文七 (3.0%)
決算期 5月末・11月末(年2回)
特記事項:代表者以下は1938年11月期決算時点[4][5]
テンプレートを表示

稲沢電灯株式会社(稲澤電燈株式會社、いなざわでんとう)は、大正から昭和戦前期にかけて存在した日本の電力会社である。かつて中部電力パワーグリッド管内に存在した事業者の一つ。

設立時の社名は稲沢電気株式会社(稲澤電氣株式會社、いなざわでんき)。社名の通り現在の愛知県稲沢市を中心とする地域において配電事業を行っていた。1912年(大正元年)に開業、1939年(昭和14年)に親会社で電力購入先でもあった東邦電力に吸収された。

沿革[編集]

稲沢電気時代[編集]

稲沢電灯の前身である稲沢電気株式会社は、1912年(明治45年)7月12日愛知県中島郡稲沢町大字稲沢字稲葉町(現・稲沢市)に設立された[2]。設立に先立つ同年3月2日付で逓信省より電気事業の許可を受けている[6]。設立にあたったのは山田祐一(社長就任)を中心とする稲沢銀行関係者など町内の資産家であったとみられる[6]。設立時の資本金は3万円であった[2]

稲沢電気が設立された1910年代初頭は、名古屋市の電力会社名古屋電灯(後の東邦電力)が長良川発電所八百津発電所といった大型発電所完成を機に大口電力需要家を開拓していた時期であった[6]。それに呼応して隣接する一宮市でも1912年2月に一宮電気が設立されている[6]。一宮電気と稲沢電気は自社電源を持たず名古屋電灯からの受電を電源とするという点で共通であった[6]。稲沢電気の開業は1912年(大正元年)12月25日[6]。12月末の時点では稲沢町と南の大里村にて電灯1050灯を点灯したほか、精米など食品加工用に電動機11台・計27馬力の利用があった[6]

供給区域については、1914年(大正3年)に稲沢町の西明治村とさらに西側の祖父江町(現・稲沢市)へと拡大[6]。稲沢町の東側でも1916年(大正5年)に丹羽郡丹陽村(現・一宮市)と西春日井郡春日村(現・清須市)、1918年(大正7年)に西春日井郡西春村師勝村(現・北名古屋市)へとそれぞれ広がっていく[6]。区域の拡大と域内での普及に伴い1920年5月時点での電灯取付戸数は7218戸、電灯取付数は1万4421灯に増加[6]。電動機も織布工場の電化で織機用が出現するなど普及が見られ1920年5月時点では75台・計234馬力の利用があった[6]。こうした需要増加に伴い、電源である名古屋電灯からの受電電力も開業時の30キロワットから1920年初頭には284キロワットへと伸長している[6]

稲沢電灯時代[編集]

事業規模が拡大するにつれ、稲沢電気のような配電専業の事業者では、購入電力料金の増加や自社変電所建設などの設備投資によって利益率が低下していく傾向にあった[6]。そうした状況下で全国的に中小事業者の整理が活発化する中、隣接する一宮電気は1920年(大正9年)5月に名古屋電灯へと合併される[6]。稲沢電気についても動きがあり、同年7月16日、「稲沢電機株式会社」が稲沢電気を吸収合併して「稲沢電灯株式会社」となった[7]。合併相手の稲沢電機は1920年1月31日に資本金50万円で設立[1]。名古屋電灯が稲沢電気に資本参加するために設立した会社と見られ、合併後の稲沢電灯は名古屋電灯(社長福澤桃介名義)が筆頭株主となった[8]。合併後の資本金は100万円である[8]

新体制となった稲沢電灯では引き続き供給の拡充が図られ、1920年9月より従来の供給範囲に隣接する中島郡千代田村にて、次いで1923年(大正12年)6月より同郡長岡村にてそれぞれ配電を開始する[8]。さらに供給量の拡大に伴って1923年9月に稲沢町字北山へ自社変電所を設置している[8]。供給実績については、電灯についてみると1921年度に前年比で300灯減少した以外は1930年代まで一貫して増加し、1937年度に取付数が4万灯を突破した[8]。一方電動機の利用は1930年前後の不況期に一時低迷するものの全体的には拡大傾向にあった[8]。1938年11月時点における供給実績は電灯数4万1222灯、電力供給小口817馬力・大口830キロワット、電熱供給63キロワットであり、電源は名古屋電灯の後身東邦電力からの受電によった(受電電力1,750キロワット)[5]

このように1930年代まで順調な経営を続けた稲沢電灯であったが、日中戦争下で逓信省が推進した小規模配電事業の整理統合の影響を受け、電力の供給元である東邦電力へと統合されることになった[9]。手続きの第一段階としてまず1939年(昭和14年)4月28日の株主総会にて稲沢電気設立以来社長を務めてきた山田祐一(山田市三郎を襲名[10])を含む地元の役員が辞任し、東邦電力常務市川春吉が新社長に就任する[9]。さらに株式についても東邦電力やその傘下の東邦証券保有、東邦電力から稲沢電灯に派遣中の役員へと集められ、1939年5月に東邦証券保有が東邦電力と合併したことで全株式が東邦電力の所有となった[9]。こうした準備を経て、1939年8月1日、稲沢電灯はすべての事業を東邦電力へと譲渡し[9]、同日解散した[3]。東邦電力では旧稲沢電灯社屋に一宮支店稲沢営業所を置き、引き続き旧稲沢電灯区域を所管させている[9]

供給区域[編集]

1937年(昭和12年)12月末時点における稲沢電灯の供給区域は以下の通り。いずれも愛知県内である[11]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 「商業登記」『官報』第2342号、1920年5月25日付。NDLJP:2954455/10
  2. ^ a b c 「商業登記」『官報』第3号、1912年8月2日付。NDLJP:2952096/7
  3. ^ a b 「商業登記」『官報』第3837号、1939年10月18日付。NDLJP:2960331/21
  4. ^ 「稲沢電灯株式会社第38回営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
  5. ^ a b 『電気年鑑』昭和14年電気事業一覧51頁。NDLJP:1115068/141
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『新修稲沢市史』本文編下191-194頁
  7. ^ 「商業登記」『官報』第2580号附録、1921年3月11日付。NDLJP:2954695/25
  8. ^ a b c d e f 『新修稲沢市史』本文編下268-270頁
  9. ^ a b c d e 『新修稲沢市史』本文編下318-319頁
  10. ^ 『人事興信録』第11版下巻ヤ147頁。NDLJP:1072938/1118
  11. ^ 『管内電気事業要覧』第18回45頁。NDLJP:1115377/34

参考文献[編集]

  • 稲沢市新修稲沢市史編纂会(編)『新修稲沢市史』本文編下、新修稲沢市史編纂会事務局、1991年。
  • 人事興信所(編)『人事興信録』第11版下巻、人事興信所、1937年。NDLJP:1072938
  • 電気之友社(編)『電気年鑑』昭和14年版(第24回)、電気之友社、1939年。NDLJP:1115068
  • 名古屋逓信局(編)『管内電気事業要覧』第18回、電気協会東海支部、1939年。NDLJP:1115377