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小倉山城 (美濃国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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小倉山城
岐阜県
模擬櫓
模擬櫓
別名 小倉居館
城郭構造 平山城
天守構造 不明
築城主 金森長近
築城年 慶長10年(1605年
主な城主 金森氏
廃城年 慶長16年(1611年
遺構 石垣、土塁、模擬櫓
指定文化財 美濃市指定史跡
位置 北緯35度33分1.44秒 東経136度54分40.16秒 / 北緯35.5504000度 東経136.9111556度 / 35.5504000; 136.9111556
小倉山城の位置(岐阜県内)
小倉山城
小倉山城
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小倉山城(おぐらやまじょう)は、岐阜県美濃市泉町小倉山にあった日本の城平山城)。美濃市指定史跡

上記の図は赤色立体図に基づく推定縄張り図。

概要

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慶長10年(1605年飛騨高山藩主であった金森長近は、養子の可重高山城を譲り隠居した。この城は長近の隠居城として築城された城である。別名「小倉居館」とも言われる。元は尾崎丸山と言われていた山を京都の小倉山に因み改称して築城された。

山腹部分に本丸と二の丸が築かれ、現在図書館が有る場所が三の丸であった。

城山の前面に長之瀬川(現在は暗渠)が流れ川の周囲は低湿地、または田で天然の堀を無し、長良川に面した部分が断崖絶壁に成る。

本丸は東西70m南北40mで高さ約5mの石垣で中程に横矢折れが有る。

二の丸は東西100m南北30mで本来は本丸と同程度の高さの石垣で有ったが濃尾地震で崩れた後は3段の石垣で改修されている。

三の丸は台形型の曲輪で石垣が有る。

建物に関しては全く不明で有るが本丸に梵鐘を吊った三層の櫓(天守)が有った。

梵鐘と大手門は城破却を担当した岡田将監が自領揖斐郡に持ち帰り、梵鐘は松林寺に現存している。

梵鐘の銘「奉鋳鐘 濃州武儀郡小倉庄館置之 慶長十乙巳季九年十三日 金森兵部卿法印素玄」


本丸と二の丸に続く部分は土造りの曲輪で端には縦堀が有り城地の境を成していたが現状大半が埋まっている。

縦堀の外は前領主佐藤氏時代の城跡の敷地が有る、現在は寺と個人の別荘が建っている。

山腹にも大小の曲輪が有る。

小倉山から250m程先の小山に金森氏菩提寺清泰寺が有り、寺の入り口は桝形状の形式に成り出城の機能を有した。

清泰寺付近に総門が有り城下町の境と為した。


その後、可重より長近の実子長光に2万石が分知され美濃国上有知藩が成立。慶長16年(1611年)長光は嗣子無く没し改易、廃藩となり、小倉山城も廃城になった。元和元年(1615年)上有知は尾張藩の所領となり、天明2年(1782年)城跡に上有知代官所が置かれた。

現在は石垣と土塁が現存している。また本丸に模擬櫓、山頂に三階建ての展望台と忠魂碑が建造されている。小倉山城跡として、美濃市指定史跡となっている[1]

城下町は現存し、うだつの上がる町並みとして重要伝統的建造物群保存地区となっている。

脚注

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  1. 小倉山城跡”. 美濃市 (2008年11月10日). 2013年5月20日閲覧。

関連項目

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小倉山の山頂の展望台