南海6100系電車

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南海6100系電車
南海6100系 6117F(現・6312F)
(2007年8月8日 新今宮駅
基本情報
製造所 東急車輛製造
製造年 1970年 - 1973年
製造数 76両
引退 2009年7月5日
消滅 2009年7月6日(全車6300系に更新)
主要諸元
編成 4両
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1500 V架空電車線方式
最高運転速度 100 km/h
設計最高速度 100 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 3.7 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
全長 20,725 mm
全幅 2,744 mm
全高 4,160 mm
車体 ステンレス
台車 軸箱梁式パイオニアIII形台車
TS-709・TS-710
主電動機 直流直巻電動機
MB-3072-B
主電動機出力 145 kW (375 V 時)
駆動方式 WNドライブ
歯車比 5.31 (85:16)
編成出力 580 kW(2両編成)
1,160 kW(4両編成)
制御装置 超多段式バーニア抵抗制御方式
VMC-HTB-20AN
制動装置 電磁直通ブレーキ
発電ブレーキ併用、抑速ブレーキ付き)
保安装置 南海型ATS
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南海6100系電車(なんかい6100けいでんしゃ)は、南海電気鉄道高野線で運用されている一般車両(通勤形電車)の一系列。

なお、本稿では当形式の台車換装車である6300系電車についても記載する。また、難波方先頭車の車両番号 +F(Formation=編成の略)を編成名として表記する。

概要

6000系に続き投入された高野線の難波駅 - 橋本駅間で使用される20 m・4扉・オールステンレス車体の通勤形電車である。1970年から76両が製造された。

6000系同様のステンレス車体であるが、側扉が1.3 m幅の両開き式となり、側窓は一枚下降式になるなどの変化が見られる。同時期に南海本線向けに新製された普通鋼製車である7100系のステンレス車体版である。また本形式をベースとした車両に大阪府都市開発100系がある。

電装品は6000系複電圧対応車と共通で、台車もパイオニア台車だが、改良されたTS-709(付随車はTS-710)に変更され、冷房搭載後の車重増にも対応している[1]。1970年度に新製した車両(1・2次車)は非冷房車(冷房準備車)であったが、1971年度車(3次車)以降は新製時から東芝製 RPU-1510 分散式冷房装置(4500 kcal/h (5.23 kW) ×8)を搭載し、1970年度車も1974年から1977年にかけて冷房化されている[1]。この分散式冷房装置は屋上カバーが背高なタイプで、京王3000系初代5000系京阪電気鉄道(京阪)2400系にも採用例が見られる。

1971年度車まではモハ6101形(Mc、制御電動車)+ サハ6851形(T、付随車)+ サハ6851形 (T) + モハ6101形 (Mc) の4両編成のみ製造されたが、1972年度車(4次車)からはモハ6101形 (Mc) + クハ6951形(Tc、制御車)の2両編成も製造されている[1]。2両組成の関係で、6132・6134・6136・6138・6144・6146は欠番、また途中の6139Fが存在しないため、6139・6140も欠番である。最終増備車(5次車)のロールアウトは昇圧後の1973年11月だったため、電装品は1500 Vのみの対応である[2]。1970年度車は冷房化前の1974年に方向幕の設置工事を行っている[2]。1970年度車のうち36両(2次車)は1971年1月から2月の竣工となっているが、これは泉北高速鉄道線の部分開業が迫っており、同鉄道との相互乗り入れに際してはある程度の増備が必要だったことから、1971年度の竣工予定を1970年度に急遽前倒し(繰り上げ発注)したためである[2]。この2次車からは将来の橋本駅までの乗り入れを見越して抵抗器増設が最初から行われており[1]、1次車も後に行われた[2]

1982年から翌1983年にかけて複線化対応工事・長編成化対策工事が実施されている[2]。冷房化後、1500 V専用車として製造された6141Fを除くすべての4両編成が一部の編成を分割した上で6両編成に組み替えられていたが、この工事の際に6125F・6127F・6129Fはもとの組成に戻っている。また、この時に連結器の更新が行われなかったモハ6101形は編成の中間に入る形となった。

1996年から車体更新工事が開始された[3][4]。床材や化粧板の取り替え、車椅子スペースの新設や老朽化した電装品の更新を行っている。なお更新工事の際、編成中間に組み込まれていた先頭車[注 1]については運転台が撤去され、乗務員室の車掌台側は立席スペースになった。

同じく1996年から、6300系への改造(台車置換え工事)が開始された[3](次節参照)。車体更新工事との関係では、車体更新と台車換装を同時に行い6300系化された編成と、先に車体更新を実施し、改めて台車換装を行って6300系化された編成の2パターンが存在した。6100系として最後に残った6107Fの6両は2009年6月10日から7月5日まで「さよなら6100系パイオニアIII台車」ヘッドマークを掲出して運行され[5][6]、7月5日の営業運転を最後に6100系の歴史に幕を閉じた。

新製時の編成

6101 - 6851 - 6852 - 6102 (1970年5月25日竣工)
6103 - 6853 - 6854 - 6104 (1970年6月3日竣工)
6105 - 6855 - 6856 - 6106 (1970年6月10日竣工)
6107 - 6857 - 6858 - 6108 (1970年12月26日竣工)
6109 - 6859 - 6860 - 6110 (1971年1月23日竣工)
6111 - 6861 - 6862 - 6112 (1971年1月23日竣工)
6113 - 6863 - 6864 - 6114 (1971年2月13日竣工)
6115 - 6865 - 6866 - 6116 (1971年2月13日竣工)
6117 - 6867 - 6868 - 6118 (1971年3月3日竣工)
6119 - 6869 - 6870 - 6120 (1971年3月3日竣工)
6121 - 6871 - 6872 - 6122 (1971年4月2日竣工)
6123 - 6873 - 6874 - 6124 (1971年4月7日竣工)
6125 - 6875 - 6876 - 6126 (1971年6月3日竣工)
6127 - 6877 - 6878 - 6128 (1971年6月12日竣工)
6129 - 6879 - 6880 - 6130 (1972年5月25日竣工)
6141 - 6881 - 6882 - 6142 (1973年11月7日竣工)
6131 - 6951 (1972年5月25日竣工)
6133 - 6952 (1972年6月1日竣工)
6135 - 6953 (1972年6月1日竣工)
6137 - 6954 (1972年6月1日竣工)
6143 - 6955 (1973年12月4日竣工)
6145 - 6956 (1973年12月4日竣工)

6300系への改造

南海6300系電車
南海6300系 6312F
(元6117F 岸里玉出駅 - 帝塚山駅間)
基本情報
種車 6100系
改造年 1996年 - 2009年
改造数 76両
主要諸元
編成 6両・4両・2両
設計最高速度 120 km/h
台車 S型ミンデン式ダイレクトマウント空気ばね台車
FS-376・FS-076、FS-379・FS-079
編成出力 580 kW(2両編成)
1,160 kW(4両編成)
1,740 kW(6両編成)
備考 6100系と共通する点は省略
テンプレートを表示

パイオニア台車は高速域における乗り心地が悪く、加えてS型ミンデン台車を装着する系列との併結が不可能[注 2]であることから、車両運用の自由度を大きく阻害する要因となっていた。このため6100系のパイオニア台車をS型ミンデン台車に置き換え、別形式としたのが6300系である。

1996年から2001年にかけて54両が、2006年から2009年にかけて22両が、それぞれ6300系へ改造された。

全車とも、前述の車体更新工事を受けている。2017年1月からは、座席モケット8300系と同じものに変更された編成が登場した[7]

台車置換え工事

FS-379形電動台車(モハ6371)

台車を置き換える際、南海本線で廃車になった7100系初期型の台車(住友金属工業製FS-376、付随台車は076)、泉北高速鉄道で廃車になった100系、3000系の台車(住友金属工業製FS-379、付随台車は079)を転用している[3][8]。改造の際、FS-376型台車は付随台車化されたほか、FS-379型電動台車の中には不足分を補うため新製されたものもある。

台車換装により、設計最高速度が100 km/hから120 km/hに向上した。また、同じくS型ミンデン台車を履く6000系・6200系との併結が可能となった[3]。しかし暫定的に車体のみ更新されパイオニア台車で存置された6100系との併結は不可能となった[注 2]

編成表

6000系とは異なり、6100系では台車換装車と未換装車の区別を明確化するため、台車換装車の車号を変更して6300系とした。これはS型ミンデン台車装着車とパイオニア台車装着車で運用を区別[注 2]する際に識別しやすくするためである。

付番方式は1000系2000系などと同様である。ただし7100系の台車を流用した車両については、特別に形式サハ64x5形を仕立てている[8][9]

編成表は以下のとおりで、括弧内は改番前の車号である。

6両編成

← 難波
橋本・和泉中央 →
形式 モハ6301

(Mc1)

サハ6405

(T1)

モハ6341

(M1)

サハ6405

(T1)

サハ6455

(T2)

モハ6351

(Mc2)

台車置換え竣工日[9]
搭載機器 CONT, CP, PT MG CONT, CP, PT MG MG CONT, CP, PT
車号 6301
(6119)
6401
(6869)
6341
(6121)
6441
(6871)
6451
(6870)
6351
(6120)
2000年3月1日
6302
(6101)
6402
(6851)
6342
(6103)
6442
(6853)
6452
(6852)
6352
(6102)
2000年9月29日
形式 モハ6301

(Mc1)

サハ6401

(T1)

モハ6341

(M1)

サハ6401

(T1)

サハ6451

(T2)

モハ6351

(Mc2)

台車置換え竣工日[9]
搭載機器 CONT, CP, PT MG CONT, CP, PT MG MG CONT, CP, PT
車号 6313
(6113)
6413
(6863)
6353
(6115)
6453
(6865)
6463
(6864)
6363
(6114)
2007年10月31日
6314
(6107)
6414
(6857)
6354
(6109)
6454
(6859)
6464
(6858)
6364
(6108)
2009年9月25日
形式 モハ6301

(Mc1)

サハ6405

(T1)

サハ6455

(T2)

モハ6391

(M2)

サハ6455

(T2)

モハ6351

(Mc2)

台車置換え竣工日[9]
搭載機器 CONT, CP, PT MG MG CONT, CP, PT MG CONT, CP, PT
車号 6305
(6105)
6405
(6855)
6485
(6854)
6385
(6104)
6455
(6856)
6355
(6106)
1999年3月23日
6306
(6111)
6406
(6861)
6486
(6860)
6386
(6110)
6456
(6862)
6356
(6112)
2001年2月7日
形式 モハ6301

(Mc1)

サハ6401

(T1)

サハ6451

(T2)

モハ6391

(M2)

サハ6451

(T2)

モハ6351

(Mc2)

台車置換え竣工日[9]
搭載機器 CONT, CP, PT MG MG CONT, CP, PT MG CONT, CP, PT
車号 6311
(6123)
6411
(6873)
6491
(6872)
6391
(6122)
6461
(6874)
6361
(6124)
1997年6月26日
6312
(6117)
6412
(6867)
6492
(6866)
6392
(6116)
6462
(6868)
6362
(6118)
2008年10月10日

4両編成

← 難波
橋本・和泉中央 →
形式 モハ6321

(Mc1)

サハ6421

(T1)

サハ6471

(T2)

モハ6371

(Mc2)

台車置換え竣工日[9]
搭載機器 CONT, CP, PT MG MG CONT, CP, PT
車号 6321
(6127)
6421
(6877)
6471
(6878)
6371
(6128)
1996年7月3日
6322
(6125)
6422
(6875)
6472
(6876)
6372
(6126)
1997年4月4日
6323
(6129)
6423
(6879)
6473
(6880)
6373
(6130)
1998年10月22日
形式 モハ6321

(Mc1)

サハ6425

(T1)

サハ6475

(T2)

モハ6371

(Mc2)

台車置換え竣工日[9]
搭載機器 CONT, CP, PT MG MG CONT, CP, PT
車号 6325
(6141)
6425
(6881)
6475
(6882)
6375
(6142)
2000年3月31日

2両編成

← 難波
橋本・和泉中央 →
形式 モハ6321

(Mc1)

クハ6701

(Tc)

台車置換え竣工日[9]
搭載機器 CONT, CP, PT MG
車号 6331
(6137)
6731
(6954)
2000年3月27日
6332
(6145)
6732
(6956)
2000年8月30日
6333
(6143)
6733
(6955)
2000年11月16日
6334
(6135)
6734
(6953)
2001年3月29日
6335
(6131)
6735
(6951)
2006年12月21日
6336
(6133)
6736
(6952)
2007年1月26日
凡例
  • CONT:主制御器
  • PT:集電装置
  • MG:電動発電機
  • CP:空気圧縮機

運用

製造当初は高野線難波駅 - 三日市町駅間で使用されていたが、1971年4月1日のダイヤ改正で泉北高速線に、1984年3月11日のダイヤ改正で林間田園都市駅まで、1992年11月10日のダイヤ改正で橋本駅まで入線可能となったため、現在では難波駅 - 橋本駅間と泉北高速線で使用される。

1985年6月16日のダイヤ改正までは汐見橋線(汐見橋駅 - 岸ノ里駅間)での運用があった[10]。また1984年ダイヤ改正から1985年ダイヤ改正まで、1992年ダイヤ改正から1995年9月1日ダイヤ改正までは三日市町駅で増解結作業を行う運用も存在していた[11]

前述の通り、6100系はパイオニア台車を装備していたため、S型ミンデン台車を使用した他の6000系列とは併結が不可能であった。特に6000系の更新工事完了後は、6100系と他の6000系列とで併結対応が大きく二分化されたため、運用時の制約が大きかった。1996年の台車置換え工事開始後は、6300系が6000系・6200系と併結可能となったため、流用する台車が確保されるごとに随時6300系化が進められ、運用上の障壁がなるべく低減されるよう図られた。2009年に全編成の6300系化が完了したことにより、6000系列内での併結の不自由は完全に解消されている。

かつては平日朝の泉北高速線と直通する区間急行準急行の10両編成の列車に本形式も使用されていたが、2005年10月16日のダイヤ改正で南海車を使用した10両運転が廃止されたため、本形式も8両編成以下での運転となった。他方このダイヤ改正では、2000系による橋本駅以北の運用の一部を代替したため、運用数が増加した[注 3]

同ダイヤ改正では日中の乗客減を受け、昼間時の各駅停車の一部に4両編成の列車が十数年ぶりに復活した[12]。これに伴い、6300系による4両運転が開始された[注 4]

現在は4両、6両、8両の各列車に充当され、各駅停車から快速急行まで各種別の列車に幅広く運用されている。本形式の4両編成と6両編成には、難波方から4両目となる車両に女性専用車両ステッカーが貼られており、平日朝ラッシュ時の8両編成の上り急行・区間急行で運用される場合、この車両が女性専用車両となる。

脚注

注釈

  1. ^ モハ6101形のうち、6両固定編成の難波方から3両目または4両目にくる車両を指す。
  2. ^ a b c パイオニア台車と他の台車との相性の問題により、低速時の浮き上がり脱線の危険性があるため。1973年に小田急電鉄4000形の脱線事故が2回発生したことを重く見た南海では、パイオニア台車装備の車両とそうでない車両の連結を禁止した。
  3. ^ 従来、ラッシュ時に2000系で運用されていた列車を6000系列などの20m車に置き換えることで混雑緩和が図られている。
  4. ^ 6000系2両と6300系2両を併結した4両編成が運転された実績がある。「南海電車全線歩き乗り記」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号(通巻807号)、電気車研究会、2008年、220頁に写真が掲載されている。なお写真の説明が6100系と誤植されている。

出典

  1. ^ a b c d 「私鉄車両めぐり〔130〕南海電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』1985年12月臨時増刊号(通巻457号)、電気車研究会、1985年、188頁。 
  2. ^ a b c d e 「私鉄車両めぐり〔153〕南海電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号(通巻615号)、電気車研究会、1995年、234頁。
  3. ^ a b c d 「車両総説」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号(通巻807号)、電気車研究会、2008年、50頁。
  4. ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年12月、135-136頁。
  5. ^ 南海6100系に「さよなら6100系パイオニアIII台車」ヘッドマーク”. 『鉄道ファン』鉄道ニュース(交友社) (2009年6月13日). 2023年10月7日閲覧。 アーカイブ 2020年7月14日 - ウェイバックマシン
  6. ^ 大手私鉄では最後まで残った「パイオニアⅢ」台車がついに引退』(PDF)(プレスリリース)南海電気鉄道、2009年6月22日。 オリジナルの2020年11月7日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20201107034024/http://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/090622_1.pdf2023年10月7日閲覧 
  7. ^ 柴田東吾『大手私鉄サイドビュー図鑑12 南海電鉄』イカロス出版、2023年、60頁。
  8. ^ a b 「南海電気鉄道 現有車両プロフィール2008」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号(通巻807号)、電気車研究会、2008年、251-252頁。
  9. ^ a b c d e f g h 「南海電気鉄道 現有車両履歴表」『鉄道ピクトリアル』2023年10月臨時増刊号(通巻1017号)、電気車研究会、2023年、289頁。
  10. ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年12月、60・100頁に写真掲載。
  11. ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ 5 南海電気鉄道 上巻』関西鉄道研究会、1996年12月、78-80頁。
  12. ^ 「NEWS 南海だより」『関西の鉄道』2006年新春号(通巻50号)、関西鉄道研究会、2006年、93頁。

関連項目