伊藤剛 (評論家)
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伊藤 剛(いとう ごう、1967年2月 - )は、日本の漫画評論家。東京工芸大学芸術学部マンガ学科教授。主著に『テヅカ・イズ・デッド』。愛知県名古屋市出身。
経歴[編集]
名古屋市立向陽高等学校、名古屋大学理学部卒業。大学では諏訪兼位を指導教官とする[1]。NTTデータの会社員を経て、浦沢直樹、唐沢なをきなどのアシスタントを務める。
2001年に日本マンガ学会の会員となる。
2002年にアミューズメントメディア総合学院マンガ学科非常勤講師、 2006年に武蔵野美術大学芸術文化学科非常勤講師、東京工芸大学芸術学部マンガ学科准教授、早稲田大学文化構想学部非常勤講師などを経て、2016年に東京工芸大学芸術学部マンガ学科教授に就任した。
岡田斗司夫・唐沢俊一との紛争[編集]
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1990年代半ばに、伊藤はニフティサーブのコメディフォーラム内の岡田斗司夫、唐沢俊一、眠田直の三人が議長を務めるオタクアミーゴス会議室、及びと学会に入会した。伊藤によると周囲からは唐沢とは師弟関係として認識されていたが、1997年7月、唐沢から関係を絶縁するという告知がされて以降、唐沢は伊藤に対する誹謗中傷を繰り返してきたという[2]。伊藤は1998年7月に出版された、岡田斗司夫編『国際おたく大学』(光文社)掲載の記事「サブカルのパンドラの箱〜伊藤(バカ)くん問題」が名誉毀損等であるとして、11月、岡田斗司夫と光文社、及び当該記事の執筆者である唐沢俊一とその妻ソルボンヌK子を、東京地裁に提訴。1999年7月23日、上述の民事訴訟で和解し、岡田及び唐澤夫妻の謝罪文がウェブ上に(削除済み)、光文社による謝罪文が『小説宝石』1999年9月号に掲載される運びとなった[3]。
著書[編集]
- 東海鉱物採集ガイドブック(名古屋鉱物同好会編、七賢出版、1996年7月)
- 網状言論F改(東浩紀編、青土社、2003年1月、小谷真理、斎藤環、竹熊健太郎、永山薫との共著)
- テヅカ・イズ・デッド(NTT出版、2005年9月)
- マンガは変わる(青土社、2007年12月)
- マンガを読む。The Manga Reviews(青土社、2008年3月)
- 鉱物コレクション入門(築地書館、2008年10月、高橋秀介との共著)
- マンガを「見る」という体験―フレーム、キャラクター、モダン・アート(鈴木雅雄編、水声社、2014年7月、野田謙介、齊藤哲也[要曖昧さ回避]、加治屋健司、中田健太郎との共著)
- テヅカ・イズ・デッド(星海社新書、2014年9月、NTT出版版の増補改訂)
参考文献[編集]
- 『ユリイカ』2006年1月号「特集・マンガ批評の最前線」(青土社)
出典[編集]
外部リンク[編集]
- 伊藤 剛さんのプロフィール - はてな
- 伊藤剛プロフィル - 本人のブログ(はてなダイアリー)「伊藤剛のトカトントニズム」
- 伊藤剛 (@goito) - Twitter-本人のアカウント
- UNDER RECONSTRUCTIONインターネットアーカイブに残された旧サイト
- 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む (竹熊健太郎)
- 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』(紙屋高雪)