伊号第二十六潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
I-26 Japanese submarine.jpg
伊26(広島湾大黒神島沖、1941年10月下旬[1]
艦歴
計画 第四次海軍軍備補充計画(マル4計画
起工 1939年6月7日
進水 1940年4月10日
就役 1941年11月6日
その後 1944年11月21日亡失認定
除籍 1945年3月10日
性能諸元
排水量 基準:2,198トン 常備:2,584トン[2]
水中:3,654トン
全長 108.7m
全幅 9.30m
吃水 5.14m
機関 艦本式2号10型ディーゼル2基2軸
水上:12,400馬力
水中:2,000馬力
速力 水上:23.6kt
水中:8.0kt
航続距離 水上:16ktで14,000海里
水中:3ktで96海里
燃料 重油:774トン[3]
乗員 94名[4]
兵装 40口径14cm単装砲1門
25mm機銃連装1基2挺
53cm魚雷発射管 艦首6門
九五式魚雷17本
航空機 零式小型水上偵察機1機
(呉式1号4型射出機1基)
備考 安全潜航深度:100m

伊号第二十六潜水艦(いごうだいにじゅうろくせんすいかん、旧字体:伊號第二十六潜水艦)は、大日本帝国海軍伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の7番艦。

当初は伊号第二十七潜水艦と命名されていたが、1941年昭和16年)11月1日に伊号第二十六潜水艦と改名されている[5]

艦歴[編集]

1939年(昭和14年)6月7日に呉海軍工廠で起工され1940年(昭和15年)4月10日に進水、1941年(昭和16年)11月6日に竣工した。

1941年11月19日に横須賀から出撃しアリューシャン列島の偵察を実施[6]。12月8日にはハワイ北島1000浬の場所にあり、同日北緯33度42分 西経145度29分 / 北緯33.700度 西経145.483度 / 33.700; -145.483の米オリバー・J・オルソン社貨物船シンシア・オルソン(Cynthia Olson、2,140総トン)の近くに浮上し、警告射撃により乗員を退去させた後、雷撃するも命中しなかったため、砲撃に切り替えて沈めた。真珠湾攻撃の開始より20分早かったという。このため太平洋戦争における連合国艦船撃沈第一号かつ日本海軍建軍以来初の潜水艦による戦果となった[7]。次いでアメリカ西岸で活動[8]。1942年(昭和17年)3月にはK作戦に参加、飛行艇が復路に失敗した場合に備えて待機位置についた[9]

1942年6月7日、アメリカ西岸で通商破壊に従事中、アメリカ、ワシントン州フラッタリー岬の南西沖にて、米貨物船コースト・トレーダー(Coast Trader、3,286総トン)を雷撃し、これを撃沈。帰投中の8月31日、ソロモン諸島ガダルカナル島南東260浬地点付近で米空母サラトガを雷撃し、魚雷1本を命中させ修理に3ヶ月を要する損害を与え、座乗していたフランク・フレッチャー少将を負傷させた。11月13日にはエスピリトゥサント島へ向かっていた米アトランタ級軽巡洋艦ジュノーを雷撃した。ジュノーは吹き飛ばされた残骸で僚艦のサンフランシスコに損傷が出るほどの大爆発を起こし沈没した。艦長以下殆どの乗組員(サリヴァン兄弟を含む)が死亡しアメリカ海軍にとっては後の重巡洋艦インディアナポリスの沈没を上回る大損害となり、僚艦ヘレナの艦長は救助を怠ったとして解任された。

1943年(昭和18年)3月1日、トラック出港後オーストラリア東方で通商破壊戦に従事中、3日ビスマルク海海戦で全滅した船団の乗員救助を命ぜられて急行。4日に生存者74名を救助しラエに揚陸した。4月11日夜、シドニー南方沖でメルボルンからニューキャッスルへ航行中のQC68船団を攻撃し、ユーゴスラビア貨物船レシナ'(Recina、4,732総トン)を雷撃により撃沈。24日にはブリスベン北方160浬の地点付近で単独航行中の豪貨物船コワーラ(Kowarra、2,125総トン)を雷撃し、これを撃沈。その後はインド洋方面での通商破壊に従事する。12月16日二式飛行艇によるゴア港強行偵察を支援したが二式飛行艇が転覆したため搭乗員を回収して飛行艇を処分した。21日に光機関のインド人工作員をパキスタンに潜入上陸させた。28日オマーン湾で米貨物船「ロバート・E・ホーク」(Robert E. Hoke、7,176総トン)へ魚雷3本を発射してこれを撃破。大破したロバート・E・ホークはその後、擱座した。31日には英タンカー「トーナス」(Tornus、8,053総トン)へ魚雷4本を発射し、これを撃破。1944年(昭和19年)1月2日、米貨物船アルバート・ギャランチン(Albert Gallatin、7,176総トン)を砲撃及び雷撃で撃沈。その後はモルディブ諸島方面へ進出。3月13日、米タンカーH・D・コリアー(H. D. Collier)、21日にノルウェーのタンカーグレナ(Grena)、29日に米貨物船リチャード・ホベイ(Richard Hovey)の3隻、計23,591総トンを撃沈した。「リチャード・ホベイ」撃沈時に機銃掃射を行ったため戦後当時の艦長はBC級戦犯として懲役5年、この件を含めた事例により第8潜水戦隊司令官、第6艦隊司令長官などが懲役10年から20年を宣告された[10][11]。似たような事例としては伊号第八潜水艦の例がありこちらの方が纏まった資料が残っている。

1944年、マリアナ沖海戦によって空母戦力を喪失した日本海軍はマリアナ諸島への補給手段は潜水艦のみとなり、「伊26」は運砲筒を搭載してサイパンに向かった。しかし航海途上で目的地はグアム島に変更され、7月9日に武器弾薬の輸送と搭乗員120名の収容に成功する。この輸送作戦には4隻の潜水艦が従事したが、成功したのは「伊26」のみである[12]。「伊26」はさらにテニアン島からの搭乗員収容を命じられたが、同島はすでに連合国軍の重囲にあり、収容することはできなかった。

レイテ沖海戦に参加し1944年10月24日、レイテ島東方で行方不明となった[13]。同年11月21日、亡失と認定。1945年(昭和20年)3月10日に除籍された。

撃沈総数は9隻、計49,050トンにのぼる。また、商船や空母3隻、計51,229トンに損傷を与えた。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』405-406頁による。

艤装員長[編集]

  1. 横田稔 中佐:

艦長[編集]

  1. 横田稔 中佐:1941年11月6日 -
  2. 日下敏夫 少佐:1943年9月18日 -
  3. 西内正一 少佐:1944年8月1日 - 11月21日戦死

脚注[編集]

  1. ^ 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』潜水艦伊号、光人社、1997年、109頁。
  2. ^ 常備排水量:2,589トンとする資料もある。
  3. ^ 燃料搭載量は『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。752.6トンとする資料もある。
  4. ^ 乗員数は『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。
  5. ^ 昭和16年11月1日付 海軍達 第333号。『昭和16年7月~12月 達(防衛省防衛研究所)』 アジア歴史資料センター Ref.C12070111100 
  6. ^ 『日本潜水艦戦史』、77ページ
  7. ^ 『日本潜水艦戦史』、78ページ
  8. ^ 『日本潜水艦戦史』、80ページ
  9. ^ 『日本潜水艦戦史』、102-103ページ
  10. ^ 『日本潜水艦戦史』、541ページ
  11. ^ 『世界戦争犯罪辞典』、159ページ
  12. ^ 『日本潜水艦戦史』、659ページ
  13. ^ 『日本潜水艦戦史』、705ページ

参考書籍[編集]