フレッチャー (DD-445)

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フレッチャー
USS Fletcher;0544514.jpg
経歴
運用者  アメリカ海軍
建造所 フェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社
種別 駆逐艦
起工 1941年6月2日
進水 1942年5月3日
就役 1942年6月30日
退役 1969年8月1日
除籍 1969年8月1日
その後 1972年2月22日にスクラップとして売却
愛称 ラッキー 13
要目
排水量 2,100トン
全長 376 ft 3 in (114.7 m)
全幅 39 ft 8 in (12.1 m)
吃水 13 ft (4.0 m)
機関 蒸気タービン、2軸推進 60,000 shp (45 MW)
最大速力 36ノット (67 km/h)
乗員 士官、兵員273名
兵装 5インチ砲5門
20mm砲7門
40mm砲8門
爆雷軌条2基
爆雷投射機6基
21インチ魚雷発射管10門
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フレッチャー (USS Fletcher, DD/DDE-445) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の一隻で、ネームシップ。艦名は1914年ベラクルス上陸を指揮し名誉勲章を受章したフランク・F・フレッチャー提督に因む。愛称はラッキー 13

艦歴[編集]

フレッチャーは1941年10月2日ニュージャージー州カーニーのフェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社で起工された。1942年5月3日にフレッチャー提督未亡人であるF・F・フレッチャー夫人によって進水、6月30日竣工しウィリアム・M・コール少佐の指揮下就役した。

第二次世界大戦[編集]

就役したフレッチャーは太平洋艦隊に配属され、ガダルカナル島を巡る1942年11月13日第3次ソロモン海戦11月30日ルンガ沖夜戦1944年6月8日の第二次渾作戦など対日戦を戦った。第3次ソロモン海戦では戦艦比叡の撃沈に貢献し、1943年2月11日には僚艦と合同で伊-18を撃沈するなど対潜作戦にも戦果を挙げている。1944年6月8日の追撃戦で艦隊の先頭にいたフレッチャーは日本海軍の反撃を単独で耐えたが被弾がなかった。

戦後1946年8月、予備役に編入され翌年初頭に退役した。

朝鮮戦争[編集]

フレッチャーは1949年10月3日に DDE-445 (護衛駆逐艦)に艦種変更され再就役する。1950年5月1日にサンディエゴを出航し西太平洋で第7艦隊に加わる。朝鮮戦争の勃発時、航空母艦ヴァリー・フォージ (USS Valley Forge, CV-45) と共に香港停泊中であったフレッチャーは、7月3日に部隊と共に韓国沖に到着した。部隊にはイギリス海軍トライアンフ (HMS Triumph, R16) が加わり、北朝鮮への空爆を開始した。フレッチャーは夏まで朝鮮半島で任務に従事し、沖縄中城湾および長崎佐世保で補給を行った。9月13日から17日にかけて行われた仁川上陸作戦の支援を行い、その後11月11日に母港の真珠湾に帰還した。

1951年11月19日に真珠湾を出港、朝鮮半島での作戦任務に就く第7艦隊で空母の護衛を担当する。護衛任務に加えて2度の艦砲射撃を行い、沖縄の沖合で行われた対潜訓練に参加、台湾海峡の偵察を行った。1952年6月20日に真珠湾に帰還し、9月5日から11月24日まではマーシャル諸島で行われた原爆実験に参加した。その後1953年5月4日から11月30日まで再び極東での任務に従事した。

1954年から62年までフレッチャーは毎年、第7艦隊と共に極東での任務に就き、1955年には大陳群島で対潜護衛任務を担当した。この間の主な任務は対潜水艦戦訓練であった。

フレッチャーは1968年8月1日に退役、同日除籍され、1972年2月22日にスクラップとして売却された。

フレッチャーは第二次世界大戦の功績で15個、朝鮮戦争の功績で5個の従軍星章を受賞した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]