フランシスコ会訳聖書

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フランシスコ会訳聖書(ふらんしすこかいやくせいしょ)は、フランシスコ会聖書研究所による日本語訳聖書のことである。おもにカトリック教会で用いられる。

概要[編集]

フランシスコ会聖書研究所が「聖書 原文校訂による口語訳」として刊行している日本語訳聖書であり、詳細な注釈を付した分冊版が順次刊行されその後に合冊版が刊行されている。分冊版は詳細な注釈を持った日本語訳聖書としては初めてのものであり、そのような聖書は2009年現在でも岩波委員会訳聖書田川建三による日本語訳などわずかしか存在しない。

この翻訳が出来る以前には、カトリック教会による日本語訳聖書としては1910年に発行されたパリ外国宣教会エミール・ラゲによる文語訳のもの(通称・ラゲ訳)と、1964年に発行されたサレジオ会フェデリコ・バルバロによる口語訳のもの(通称・バルバロ訳)があった。しかしながらこれらの日本語訳は、カトリック教会としての公認訳ではなくあくまで私訳・個人訳であり、内容的にもラテン語訳聖書であるヴルガータを元にしたものであるため、旧約聖書ヘブライ語から、新約聖書ギリシャ語からそれぞれ直接訳したとされている日本聖書協会による口語訳聖書と比べるとかなり見劣りするという評価もあった[1]

1955年に開催された全国教区長会議においてカトリック公認の日本語訳聖書を作る事が決定され、1956年にフランシスコ会の聖書研究所において聖書翻訳の事業が開始された。2年後の1958年に最初の分冊版である『創世記』が出版された。当初の計画では旧約新約全聖書の翻訳を10年以内に完成されることを目標としていたが、第1巻の刊行までに予想以上の時間を要しただけでなく、第2巻以降の刊行も予想以上に進まず、おおむね「分冊が毎年1冊ずつ出版される」という状況であった。そのため、当初は旧約聖書全巻の翻訳を終えてから新約聖書の翻訳にとりかかる予定であったが、旧約聖書の翻訳作業と並行して新約聖書の翻訳が行われることとなり、1962年に新約聖書の分冊第1巻『マルコによる福音書』が出版された。その後もおおむね「分冊が毎年1冊ずつ出版される」という状況は変わらなかったため時間はかかったものの、1978年には新約聖書全巻の翻訳が完了し、1980年に新約聖書全巻を1冊にした合冊版が刊行された(なお、これ以前の1977年には四福音書のみの合冊版が刊行されている)。

なお、エキュメニズムの成果として1980年には(日本語の)共同訳聖書が、1987年には新共同訳聖書が完成し、カトリック教会は自身の公認の日本語聖書を持つことになったが、その後もフランシスコ会聖書研究所による翻訳事業は続けられており、2002年には『エレミア書』の刊行をもって旧約聖書全巻の分冊版の刊行も終了した。そして2011年8月に、旧約聖書全巻・新約聖書全巻を1冊にした合冊版が刊行された。

このフランシスコ会訳の完成がこれほどまでに遅れた理由として、フランシスコ会聖書研究所の所長であったB.シュナイダーが共同訳聖書委員会の委員長となったのをはじめとしてカトリック側の多くの人材がほぼ同時期に始まった共同訳(新共同訳)のための作業に「差し出された」ことが挙げられている[2]

批判[編集]

צרעת (ラテン文字転記:zaraath、仮名文字表記:ツァラアト)を機械的に「らい病」としている:レビ記13章「らい病」、「衣服のらい病」、14章「家のらい病」。 この原語を「らい」あるいは「重い皮膚病」と訳すことが間違いであり、改めるべきだという 運動を患者療養所内のキリスト教会が続けている[3]

書誌情報[編集]

分冊版[編集]

合冊版[編集]

脚注[編集]

  1. ^ もともとはラテン語訳聖書であるヴルガータから翻訳された各国語版聖書を持つことが多かったカトリックにおいても、1943年に出された教皇ピオ12世回勅等により、聖書はヘブライ語やギリシャ語などの原典から直接翻訳することが望ましいとされるようになっていた
  2. ^ 和田英一「新共同訳とフランシスコ会訳」『聖書翻訳研究』30号、日本聖書協会、2006年10月。
  3. ^ 曙長嶋教会

参考文献[編集]

  • フランシスコ会聖書研究所「創世記 はしがき」 1958年
  • フランシスコ会聖書研究所「マルコによる福音書 はしがき」 1962年5月10日
  • フランシスコ会聖書研究所「新約聖書 初版はしがき」 1979年6月10日
  • フランシスコ会聖書研究所「新約聖書 改訂第一版はしがき」 1984年4月22日

関連項目[編集]