サヴォイア家
サヴォイア家 Savoia | |
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貴族 | |
国 |
サヴォイア シチリア サルデーニャ イタリア スペイン アルメニア アルバニア クロアチア ソマリア リビア エチオピア 天津市 エルサレム(主張) |
創設 | 1003年 |
家祖 | ウンベルト1世(サヴォイア伯) |
最後の当主 | ウンベルト2世(王家としての滅亡) |
現当主 |
係争中: エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア アイモーネ・ディ・サヴォイア=アオスタ |
滅亡 | 1946年6月12日(国民投票の結果に基づき王政廃止、イタリアから追放) |
民族 | イタリア人、フランス人 |
分家 |
サヴォイア=カリニャーノ家 サヴォイア=アオスタ家 サヴォイア=ジェノヴァ家(断絶) |
サヴォイア家(サヴォイアけ、伊: Casa Savoia; 仏: Maison de Savoie; 英: House of Savoy)は、かつてイタリアのピエモンテとフランス及びフランス語圏スイスにまたがるサヴォワ一帯を支配していた辺境伯貴族であった家系。1713年、スペイン継承戦争の結果シチリア王国の王位を獲得、1720年にハプスブルク家とシチリア島、サルデーニャ島の交換を行い、サルデーニャ王国の王位を代わりに得た。イタリア統一運動時に核となり、統一後はイタリア王国の王家となった。フランス語名からサヴォワ家(Maison de Savoie サヴワ)と呼ばれることもある。
概要
[編集]サヴォイア伯ウンベルト1世から始まるサヴォイア本家の他、サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世の弟トンマーゾ・フランチェスコを祖とするサヴォイア=カリニャーノ家などが分家として成立した。
1831年にサヴォイア本家の男系子孫が途絶えるとサヴォイア=カリニャーノ家が全ての爵位を継承、勢力を発展させてイタリア王国を成立させた。王家となって以後のサヴォイア=カリニャーノ家の分家には、初代イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の弟フェルディナンドを始祖とするサヴォイア=ジェノヴァ家、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の次男でスペイン王位にも就いたアオスタ公アメデーオに始まるサヴォイア=アオスタ家がある。
第二次世界大戦後の1946年6月、王制の是非を問う国民投票により王制廃止が決定してイタリアが共和制となると、一族は国外退去を余儀なくされた。帰国さえもイタリア憲法により2002年まで禁じられていた。
2012年時点で、ウンベルト2世の子たち(長男ヴィットーリオ・エマヌエーレ、旧ユーゴスラビア王族と結婚した長女マリーア・ピア、次女マリーア・ガブリエラ、三女マリーア・ベアトリーチェ)などがいた。
サヴォイア家は欧州でも屈指の名家であり、権威ある貴族の一族だった。家祖ウンベルト1世ビアンカマーノはラテン民族とケルト民族からなる北イタリアの血筋に加え、オック人やサクソン人の大貴族とも縁戚にあった。特に後者に関してはフランク族のカール大帝に敗れた英雄ヴィドゥキントの血も引いていると言われ、ザクセン朝からの庇護を受けるきっかけともなった。
13世紀のイングランド王ヘンリー3世は、王妃エリナー・オブ・プロヴァンスの母方の縁戚であるサヴォイア伯トンマーゾ1世の息子たちを重用し、彼らにリッチモンド伯の爵位やカンタベリー大司教の位を与えている。サヴォイ宮殿はリッチモンド伯ピーター(のちのサヴォイア伯ピエトロ2世)によって建てられた。
サヴォイア家の君主
[編集]イタリア・フランス
[編集]- サヴォイア伯
- サヴォイア公
- サルデーニャ王(引き続きサヴォイア公を兼ねた)
- イタリア王(サヴォイア公爵領は廃止された)
- ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
- ウンベルト1世
- ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
- ウンベルト2世
- 対立教皇
- フェリクス5世(アメデーオ8世)
その他西欧
[編集]ギリシア
[編集]東欧
[編集]その他
[編集]系図
[編集]サヴォイア伯
[編集]主要な分家についても併せて記載する。
- ピエモンテ領主の家系 - サヴォイア=ピエモンテ家(アメデーオ5世はこの家系出身)
- アカイア公(1代限りでその後は名目のみ)の家系 - サヴォイア=アカイア家
ウンベルト1世 サヴォイア伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アメデーオ1世 サヴォイア伯 | オッドーネ サヴォイア伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ピエトロ1世 サヴォイア伯 | アメデーオ2世 サヴォイア伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウンベルト2世 サヴォイア伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アメデーオ3世 サヴォイア伯 | アデル フランス王妃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウンベルト3世 サヴォイア伯 | マファルダ ポルトガル王妃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トンマーゾ1世 サヴォイア伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アメデーオ4世 サヴォイア伯 | ジャンヌ フランドル女伯 (エノー家) | トンマーゾ2世 摂政 ピエモンテ領主 フランドル伯 | ピエトロ2世 サヴォイア伯 リッチモンド伯 | フィリッポ1世 サヴォイア伯 ブルゴーニュ伯 リヨン大司教 | アリックス ブルゴーニュ女伯 (アンスカリ家) | ボニファス カンタベリー大司教 | ベアトリーチェ プロヴァンス伯妃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボニファーチョ サヴォイア伯 | ベアトリーチェ =マンフレート・フォン・ホーエンシュタウフェン | トンマーゾ3世 ピエモンテ領主 | アメデーオ5世 サヴォイア伯 | ルイージ1世 ヴォー領主 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イザベル・ド・ヴィルアルドゥアン アカイア女公 | フィリッポ1世 ピエモンテ領主 アカイア公 | エドアルド サヴォイア伯 | アイモーネ サヴォイア伯 | ルイージ2世 ヴォー領主 | ピエトロ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャコモ ピエモンテ領主 アカイア公 | アメデーオ6世 サヴォイア伯 | ジャン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリッポ2世 ピエモンテ領主 アカイア公 | アメデーオ ピエモンテ領主 アカイア公 | ルドヴィーコ ピエモンテ領主 アカイア公 | アメデーオ7世 サヴォイア伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マルゲリータ 福者 | マティルデ =プファルツ選帝侯ルートヴィヒ3世 | ボーナ | アメデーオ8世 サヴォイア伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サヴォイア公、サルデーニャ王
[編集]サヴォイア公フィリッポ2世の系統を特にサヴォイア=ブレッセ家という。その他、主要な分家についても併せて記載する。
- ヌムール公の家系 - サヴォワ=ヌムール家
- カリニャーノ公の家系 - サヴォイア=カリニャーノ家(サルデーニャ王家を継いだ)
- ソワソン伯の家系 - サヴォワ=ソワソン家
アメデーオ8世 サヴォイア公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルドヴィーコ サヴォイア公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アメデーオ9世 サヴォイア公 | ルイ ジュネーヴ伯 キプロス王 | フィリッポ2世 サヴォイア公 | シャルロット フランス王妃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリベルト1世 サヴォイア公 | カルロ1世 サヴォイア公 | ルイーズ フランス王太后 | フィリベルト2世 サヴォイア公 | カルロ3世 サヴォイア公 | フィリップ ヌムール公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カルロ2世 サヴォイア公 | ヨランダ | エマヌエーレ・フィリベルト サヴォイア公 | ジャック ヌムール公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カルロ・エマヌエーレ1世 サヴォイア公 | シャルル=エマニュエル ヌムール公 | アンリ1世 ヌムール公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィットーリオ・アメデーオ1世 サヴォイア公 | トンマーゾ・フランチェスコ カリニャーノ公 | ルイ ヌムール公 | シャルル・アメデ ヌムール公 | アンリ2世 ヌムール公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランチェスコ・ジャチント サヴォイア公 | カルロ・エマヌエーレ2世 サヴォイア公 | ヘンリエッテ・アーデルハイト バイエルン選帝侯妃 | エマヌエーレ・フィリベルト カリニャーノ公 | ウジェーヌ・モーリス ソワソン伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリー・ジャンヌ | マリー・フランソワーズ ポルトガル王妃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィットーリオ・アメデーオ2世 サルデーニャ王 | ヴィットーリオ・アメデーオ1世 カリニャーノ公 | ルイ=トマ ソワソン伯 | プリンツ・オイゲン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カルロ・エマヌエーレ3世 サルデーニャ王 | マリー・アデライード フランス王太子妃 | マリア・ルイーザ スペイン王妃 | マリア・ヴィットーリア・フランチェスカ | ルイージ・ヴィットーリオ カリニャーノ公 | エマニュエル=トマ ソワソン伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィットーリオ・アメデーオ3世 サルデーニャ王 | マリー・テレーズ・ルイーズ ランバル公妃 | ヴィットーリオ・アメデーオ2世 カリニャーノ公 | ウジェーヌ=ジャン=フランソワ ソワソン伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カルロ・エマヌエーレ4世 サルデーニャ王 | ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世 サルデーニャ王 | カルロ・フェリーチェ サルデーニャ王 | マリー・ジョゼフィーヌ フランス王妃(名目上) | マリー・テレーズ シャルル10世の王子時代の妃 | カルロ・エマヌエーレ カリニャーノ公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリア・ベアトリーチェ モデナ公妃 | マリア・アンナ オーストリア皇后 | マリア・テレーザ パルマ公妃 | マリア・クリスティーナ 両シチリア王妃 | カルロ・アルベルト サルデーニャ王 | マリーア・エリザベッタ オーストリア大公妃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 サルデーニャ王 イタリア王 | フェルディナンド ジェノヴァ公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イタリア王家
[編集]カルロ・アルベルト サルデーニャ王 | マリーア・エリザベッタ オーストリア大公妃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 イタリア王 | (マリーア・アデライデ) | フェルディナンド ジェノヴァ公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウンベルト1世 イタリア王 | マルゲリータ イタリア王妃 | マリア・クロティルデ ナポレオン公妃 | アマデオ1世 スペイン王 アオスタ公 | マリア・ピア ポルトガル王妃 | トンマーゾ ジェノヴァ公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 イタリア王 アルバニア王 エチオピア皇帝 | (マリー・レティシア) | ウンベルト サレーミ伯 | エマヌエーレ・フィリベルト アオスタ公 | ヴィットーリオ・エマヌエーレ トリノ伯 | ルイージ・アメデーオ アブルッツィ公 | フェルディナンド ジェノヴァ公 | フィリベルト ジェノヴァ公 | エウジェーニオ ジェノヴァ公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウンベルト2世 イタリア王 | マファルダ | ジョヴァンナ ブルガリア王妃 | アメデーオ アオスタ公 | アイモーネ (トミスラヴ2世) アオスタ公 クロアチア王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィットーリオ・エマヌエーレ ナポリ公 | アメデーオ サヴォイア公 アオスタ公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エマヌエーレ・フィリベルト ピエモンテ=ヴェネツィア公 | アイモーネ プッリャ公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所有していた不動産
[編集]イタリア
[編集]- クイリナーレ宮殿(ローマ)
- トリノ王宮(トリノ)
- ミラン王宮(ミラノ)
- ナポリ王宮(ナポリ)
- カゼルタ宮殿(カゼルタ)
- ヴェナリア宮殿(ヴェナリーア・レアーレ)
- カポディモンテ宮殿(ナポリ)
- モンツァ王宮(モンツァ)
- ストゥピニージ狩猟用宮殿(ニケリーノ)
- マダマ宮殿(トリノ)
- カリニャーノ宮殿(トリノ)
- ヴィラ・アダ(ローマ)
- レジーナ邸(トリノ)
- ヴァレンティーノ城(トリノ)
- ラッコニージ城(ラッコニージ)
- リーヴォリ城(リーヴォリ)
- アリエ城(アリエ)
- モンカリエーリ城(モンカリエーリ)