サヴォイア伯国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サヴォイア伯国
Contea di Savoia
ブルグント王国 1003年 - 1416年 サヴォイア公国
サヴォイア伯国の国章
(国章)
国の標語: FERT
サヴォイア伯国の位置
1250年
公用語 ピエモンテ語ラテン語フランス語イタリア語プロヴァンス語
首都 シャンベリ
1003年 - 1048年 ウンベルト1世
1391年 - 1416年アメデーオ8世
変遷
ブルグント王ルドルフ3世により創設 1003年
トリノ辺境伯領を併合1046年
ニース伯領を獲得1388年
ジュネーヴ伯領を獲得1401年
公国に昇格1416年

サヴォイア伯国 または サヴォワ伯国イタリア語:Contea di Savoia, フランス語:Comté de Savoie, ラテン語:Comitatus Sabaudiae)は、中世に現在のイタリアフランスにまたがって存在した国家である。サヴォイア家の祖とされるウンベルト・ビアンカマーノ980年頃 - 1047年/1048年)により創始された。伯国の領土は非常に不明確ではあるが、大部分は現在ではフランス領となるサヴォワサヴォワ県オート=サヴォワ県)で構成された。

地理[編集]

首都の役割を果たすシャンベリを中心とした地域に伯国の中心があった。イタリアの部分はピエモンテ西部の山岳地域のピネローロを中心としたヴァッレ・ディ・スーザヴァル・キゾーネとなっていた。

歴史[編集]

サヴォイア家の祖とされるウンベルト・ビアンカマーノは、1003年の文書(ベレーのオッドーネ司教による)において、この地域の「伯」として言及された最初の人物である。

1032年ブルグント王国崩壊により、ウンベルト・ビアンカマーノはローマ皇帝コンラート2世に加勢し、モーリエンヌとサヴォワの伯爵の称号を冠することと、イゼール渓谷のモーリエンヌの所領、ドイツ皇帝の象徴であるワシの紋章の使用の許可を得た。この地域はアルク(Arc)の渓谷沿い、モンメリアンからシャンベリを越えモンチェニージオに至る、ブルージェ湖(オートコンブ修道院に一族の霊廟が作られた)やレマン湖の湖岸、ローヌ川の流域に開けている。

新たな領地を切望していたところ、1046年の息子のオッドーネ1010年 - 1060年)とトリノ辺境伯オルデリーコ・マンフレーディ2世の娘アデライデとの婚姻を通じてピエモンテとの縁が出来た。その結合はスーザ地域とトリノ辺境伯領をもたらした。

このできごとが、サヴォイア公を創設し、その後ピエモンテ公、サルデーニャ王、最終的にイタリア王となる一族のイタリアへの入り口となった。

オッドーネ1世を継いだのはアメデーオ2世1048年 - 1078年)とピエトロ1世1048年 - 1080年)で、伯国は有能な母アデライデが死ぬまで彼女が管理した。

ウンベルト2世1070年 - 1103年)とアメデーオ3世1095年 - 1148年)が後を継いだが、後者はオートコンブ修道院を建立し、十字軍から帰国中にペストにより死亡した。

このことから、サヴォイア家の紋章には十字の盾が追加された。息子のウンベルト3世1136年 - 1189年)の列福後、トンマーゾ1世1177年 - 1233年)はフリードリヒ2世により皇帝代理に任命され(1225年)、ピエモンテの領地を回復し、アルプスの向こうまで領地を拡大した。

トンマーゾ1世が死ぬと一族内でしばらく対立し、財産を分割することとなった。アメデーオ4世1197年-1253年)がサヴォイア伯の称号と直轄地の大部分を継ぎ、トンマーゾ2世アヴィリアーナなどピエモンテの領地を得て、ピエモンテ公(プリンチペ)の称号を得た。

アメデーオ4世の息子ボニファーチョを継いだのは叔父たちで、ピエトロ2世、次いでフィリッポ1世であった。

フィリッポ1世の1285年の死後、サヴォイア伯国は10年にわたる継承権争いに見舞われた。その遺産は家長でもフィリッポ1世の直系でもなく、一族で最も年長で権力のある代表者の手に渡った。3人の請求者からの権力の分割は以下のようになった。伯爵の称号と領地の大部分はアルプス越えの商業経路を掌握したフィリッポ1世の甥アメデーオ5世1249年 - 1323年)が獲得し、アメデーオの末弟ルドヴィーコはヴォーの北東地区を、フィリッポ(アメデーオ5世の兄トンマーゾ3世の息子)はピエモンテの土地を割り当てられた。

アメデーオ5世を継いだのは2人の息子エドアルド1284年 - 1329年)とアイモーネ1291年 - 1343年)で、後者が息子のアメデーオ6世1334年 - 1383年)に伯位を残した。アメデーオ6世はビエッラクーネオサンティアを獲得し、ヴォーを統合した。息子のアメデーオ7世1360年 - 1391年)は「赤い伯爵」 (Conte Rosso) と呼ばれ、ニースを獲得し、サヴォイア伯国を拡張した。その息子、19代サヴォイア伯アメデーオ8世1383年 - 1451年)は、皇帝ジギスムントにより公爵に昇爵された。

歴代サヴォイア伯[編集]

サヴォイア伯 即位 退位
ウンベルト・ビアンカマーノ (Umberto Biancamano) 1003年 1048年 1
アメデーオ1世 (Amedeo I) 1048年 1051年 2
オッドーネ (Oddone) 1051年 1057年 3
ピエトロ1世 (Pietro I) 1057年 1078年 4
アメデーオ2世 (Amedeo II) 1078年 1080年 5
ウンベルト2世 (Umberto II) 1080年 1103年 6
アメデーオ3世 (Amedeo III) 1103年 1148年 7
ウンベルト3世 (Umberto III) 1148年 1189年 8
トンマーゾ1世 (Tommaso I) 1189年 1233年 9
アメデーオ4世 (Amedeo IV) 1233年 1253年 10
ボニファーチョ (Bonifacio) 1253年 1263年 11
ピエトロ2世 (Pietro II) 1263年 1268年 12
フィリッポ1世 (Filippo I) 1268年 1285年 13
アメデーオ5世 (Amedeo V) 1285年 1323年 14
エドアルド (Edoardo) 1323年 1329年 15
アイモーネ (Aimone) 1329年 1343年 16
アメデーオ6世 (Amedeo VI) 1343年 1383年 17
アメデーオ7世 (Amedeo VII) 1383年 1391年 18
アメデーオ8世 (Amedeo VIII) 1391年 1451年 19

1416年からはサヴォイア公国となった。

関連項目[編集]