モンフェッラート侯国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
モンフェッラート侯国
Marchesato del Monferrato
ピエモンテ 961年 - 1708年 サヴォイア公国
モンフェッラートの国旗 モンフェッラートの国章
(国旗) (国章)
モンフェッラートの位置
1494年のモンフェッラート侯国(青色の部分)
公用語 イタリア語
首都 カザーレ・モンフェッラート
侯 / 公
961年 - 991年 アレラーモ(初代)
1550年 - 1587年グリエルモ10世(公へ昇格)
1665年 - 1708年フェルディナンド・カルロ(最後)
変遷
建国 961年
アレラーミチ家断絶1305年
ゴンザーガ家相続1536年
公国へ昇格1574年
サヴォイアへ併合1708年

モンフェッラート侯国イタリア語: Marchesato del Montferrato)は、ピエモンテ南部とトリノ東部にあった侯爵領。

歴史[編集]

950年頃、イタリアベレンガーリオ2世西リグリア侯国ラテン語: Marca Liguriae Occidentalis)として成立させ、娘婿であったアレラーミチ家アレラーモ英語版に侯爵位を授け、961年にベレンガーリオ2世がイタリア王位を追われた後も侯国は所領を安堵された。

1305年にアレラーミチ家が断絶すると、侯国は東ローマ帝国の皇族であったパレオロゴ家に継承された。

1533年にパレオロゴ家が断絶すると、1536年までスペインカルロス1世に占領され、その後侯国はゴンザーガ家マントヴァ公フェデリーコ2世に統治された。1574年グリエルモ10世神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世により公爵に陞爵され、モンフェッラート公国イタリア語: Ducato del Monferrato)となった。

1628年から1631年まで、マントヴァ継承戦争英語版により一時断絶した。

1708年、最後の公フェルディナンド・カルロは神聖ローマ皇帝レオポルト1世に所領を没収され、モンフェッラート公国はサヴォイア公国に併合された。

モンフェッラート侯一覧[編集]

アレラーミチ家(961年 - 1305年)[編集]

パレオロゴ家(1305年 - 1533年)[編集]

ゴンザーガ家(1533年 - 1574年)[編集]

  • フェデリーコ(1533年 - 1540年) - ボニファーチョ4世の姉マルゲリータの夫。マントヴァ公フェデリーコ2世
  • フランチェスコ1世(1540年 - 1550年) - フェデリーコの長男、グリエルモ9世の孫。マントヴァ公フランチェスコ3世
  • グリエルモ10世(1550年 - 1574年) - フェデリーコの次男、グリエルモ9世の孫。マントヴァ公グリエルモ

モンフェッラート公一覧[編集]

ゴンザーガ家(1574年 - 1627年)[編集]

ゴンザーガ=ネヴェル家(1627年 - 1708年)[編集]