マリア・ピア・デ・サボイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
マリア・ピア・デ・サボイア
Maria Pia de Sabóia
ポルトガル王妃
33- Rainha D. Maria Pia - O Anjo da Caridade.jpg
出生 1847年2月14日
Flag of Kingdom of Sardinia (1848).svg サルデーニャ王国トリノ王宮
死去 (1911-07-05) 1911年7月5日(64歳没)
イタリア王国の旗 イタリア王国ニケリーノ、ストゥピニージ狩猟宮殿
埋葬  
イタリア王国の旗 イタリア王国トリノ、スペルガ聖堂
配偶者 ポルトガルルイス1世
子女 カルロス1世
アフォンソ
父親 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
母親 マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示

マリア・ピア・デ・サボイアポルトガル語: Maria Pia de Sabóia, 1847年2月14日 - 1911年7月5日)は、ポルトガル国王ルイス1世の王妃。

統一イタリアの初代国王であったヴィットーリオ・エマヌエーレ2世とその妃のオーストリア大公女マリーア・アデライデの娘。姉マリーア・クロティルデは、ナポレオン公ナポレオン・ジョゼフ・ボナパルトの妻。長兄がウンベルト1世、次兄はスペイン王アマデオ1世となったアオスタ公アメデーオ。

イタリア語名は、マリーア・ピア・ディ・サヴォイアMaria Pia di Savoia)。

生涯[編集]

当時サルデーニャ王だったヴィットーリオ・エマヌエーレ2世とその妃マリーア・アデライデの末子としてトリノで生まれた。

1862年10月6日にルイス1世と結婚。マリア・ピアは贅沢好きな王妃とみなされていたが、ポルトガル国民の支援のために多くの慈善活動も行っていた。思いやりと気前の良さで「慈愛の王妃」、「貧者の母」とも言われた。しかし1865年の仮面舞踏会では3回衣装を着替えるなどしている。議会では王妃の出費について取り上げられたが、マリア・ピアは「王妃が必要なら、支払わなければならない出費です」と答えた。

マリア・ピアは政治に関与することはなかったが、1870年にサルダーニャ公ジョアン・デ・サルダーニャとの言い争いで、「私が王なら、あなたを射殺する!」と発言した。

夫のルイス1世は1889年10月19日に死去して長男カルロス1世が即位し、マリア・ピアは王太后になった。彼女は非常に活発なままで、宮廷では相変わらず重きを成しながら慈善活動を続け、カルロス1世の不在時には摂政として働いた。しかし1908年2月1日にカルロス1世と孫の王太子ルイス・フィリペが暗殺されたのをきっかけに、精神が不安定な状態になり、その後もう一人の孫マヌエル2世が即位しても次第に外には出なくなっていった。

マリア・ピアは、1910年10月5日革命の際に亡命し、マヌエル2世が亡命したイギリスには行かず、母国のイタリアに戻って1911年7月5日に死亡した。一族の多くが眠るトリノサヴォイア家の墓に葬られた。

子女[編集]

1862年10月6日にルイス1世と結婚し、2子が生まれた。

  • カルロス1世(1863年 - 1908年) - ポルトガル王
  • アフォンソ(1865年 - 1920年) - ポルト公