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マリー・ジャンヌ・ド・サヴォワ=ヌムール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリー・ジャンヌ・ド・サヴォワ=ヌムール
Marie Jeanne Baptiste de Savoie-Nemours
サヴォイア公
在位 1665年 - 1675年
別称号 オマール女公

出生 (1644-04-11) 1644年4月11日
フランス王国パリ、オテル・ド・ヌムール
死去 (1724-03-15) 1724年3月15日(79歳没)
サヴォイア公国トリノ、マダマ宮殿
埋葬 サヴォイア公国ヴァル・ディ・スーザ、聖ミカエル修道院
結婚 1665年5月20日 トリノ、ヴァレンティーノ城
配偶者 サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ2世
子女 ヴィットーリオ・アメデーオ2世
家名 サヴォワ=ヌムール家
父親 ヌムール公シャルル・アメデ
母親 エリザベート・ド・ブルボン=ヴァンドーム
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マリー・ジャンヌ・バティスト・ド・サヴォワ=ヌムール(Marie Jeanne Baptiste de Savoie-Nemours, 1644年4月11日 - 1724年3月15日)は、サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ2世の2番目の妃で、サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世の母。イタリア名はマリーア・ジョヴァンナ・バッティスタ・ディ・サヴォイア(Maria Giovanna Battista di Savoia)。

生涯

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サヴォイア家傍系サヴォワ=ヌムール家の出身で、第6代ヌムール公シャルル・アメデの長女[1]。母エリザベート・ド・ブルボン=ヴァンドームはフランス王アンリ4世の庶子ヴァンドーム公セザールの娘で、カルロ・エマヌエーレ2世およびその最初の妃フランソワーズ・マドレーヌ・ドルレアンの従姉にあたる。妹に2代のポルトガル王の妃となったマリー・フランソワーズがいる。

元はロレーヌ公シャルル5世と婚約していたが破談となり[2]、1665年5月20日にカルロ・エマヌエーレ2世と結婚した[3]。カルロ・エマヌエーレ2世は前年に自身およびシャルル5世の従妹にあたる先妻フランソワーズ・マドレーヌ・ドルレアンと、結婚から1年足らずで死別していた[2]。1666年に唯一の子供ヴィットーリオ・アメデーオ2世が生まれた。1675年に夫と死別した後は一人息子の摂政を務めた[4]

マリー・ジャンヌは、1724年3月にマダマ宮殿において79歳で亡くなった[5]

脚注

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  1. Tome 2009, p. 431.
  2. 1 2 Oresko 2004, p. 21.
  3. Oresko 2004, p. 23.
  4. Symcox 1983, p. 69.
  5. Symcox 1983, p. 227.

参考文献

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  • Oresko, Robert (2004). “Maria Giovanna Battista of Savoy-Nemours (1644–1724): daughter, consort, and Regent of Savoy”. In Campbell Orr, Clarissa (ed.). Queenship in Europe 1660-1815: The Role of the Consort. Cambridge University Press. pp. 16–55. ISBN 0-521-81422-7.
  • Symcox, Geoffrey (1983). Victor Amadeus II: absolutism in the Savoyard State, 1675-1730. University of California Press. ISBN 978-0-520-04974-1 
  • Tome, Quatri (2009). Les Anciennes Maisons de Paris Sous Napoléon III. Paris: BiblioBazaar LLC. ISBN 978-1-115-27908-6 
先代
アンリ2世
オマール女公
1659年 - 1686年
次代
ルイ・オーギュスト