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マリーア・ベアトリーチェ・ディ・サヴォイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリーア・ベアトリーチェ・ディ・サヴォイア
Maria Beatrice di Savoia
モデナ公妃
在位 1814年7月14日 - 1840年9月15日

出生 (1792-12-06) 1792年12月6日
サルデーニャの旗 サルデーニャ王国トリノ
死去 (1840-09-15) 1840年9月15日(47歳没)
モデナ=レッジョ公国バッターリア・テルメ、カタイオ城
埋葬 モデナ=レッジョ公国モデナサン・ヴィンチェンツォ教会
結婚 1812年6月20日
配偶者 モデナ公フランチェスコ4世
子女 マリーア・テレーザ
フランチェスコ5世
フェルディナンド・カルロ
マリーア・ベアトリーチェ
家名 サヴォイア家
父親 サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世
母親 マリーア・テレーザ・ダウストリア=エステ
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マリーア・ベアトリーチェ・ヴィットーリア・ジュゼッピーナ・ディ・サヴォイアMaria Beatrice Vittoria Giuseppina di Savoia, 1792年12月6日 - 1840年9月15日)は、モデナ公フランチェスコ4世の妃。

生涯

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生い立ち

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サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世と王妃マリーア・テレーザの長女として[1]、1792年12月6日にトリノで生まれた[2]

母方の祖父母は、オーストリア=エステ大公フェルディナント・カールとマッサ公爵夫人マリーア・ベアトリーチェ・デステであった。フェルディナントは神聖ローマ皇帝フランツ1世マリア・テレジアの三男で、マリア・ベアトリーチェはエルコレ3世・デステとマッサ=カッラーラ女公マリーア・テレーザの長女であった。

1798年12月、マリーア・ベアトリーチェは両親と叔父たちと共に、フランス革命戦争ナポレオン戦争から逃れるためトリノを離れた。マリーア・ベアトリーチェらはパルマ、フィレンツェを経て、最終的にサルデーニャ王国最後の領土であったサルデーニャ島に定住した。マリーア・ベアトリーチェはその後13年間、そのほとんどをカリャリで過ごした[3]

結婚

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1812年6月20日、母方の叔父にあたるオーストリア=エステ大公フランチェスコと結婚した。2人は非常に近い血縁であったため、ローマ教皇ピウス7世から結婚の際に特免状が出された。夫妻は1813年7月15日にサルデーニャ島を出発し、ザキントス島へ向かい、その後アドリア海東岸のトリエステへ航海し、最終的に陸路でウィーンに到着した。

モデナ公妃

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フランチェスコは1814年7月14日、モデナ・レッジョ及びミランドラの支配者となった。百日天下におけるジョアシャン・ミュラの侵攻により、一家は1815年5月15日までモデナを離れた。

革命勃発に伴い、マリーア・ベアトリーチェは1831年2月5日に家族とともに再びモデナを離れざるを得なかったが、オーストリア軍の支援により、一家は1年以内に帰還することができた。

マリーア・ベアトリーチェは1840年9月15日、カステッロ・デル・カタヨで心臓疾患のため亡くなった[2]。モデナのサン・ヴィンチェンツォ教会に埋葬された。

ジャコバイト王位継承者

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1824年1月10日の父ヴィットーリオ・エマヌエーレの死にともない、長女マリーア・ベアトリーチェがジャコバイトの主張するところの「イングランド女王メアリー3世およびスコットランド女王メアリー2世」となった。当然ながら、父と同様にマリーア・ベアトリーチェも現実味のない王位請求を行わなかった。

子女

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夫妻の間には4子が生まれた。

脚注

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  1. The Annual Register, or A View of the History and Politics of the Year 1846. London, UK: F. & J. Rivington. (1847). pp. 239
  2. 1 2 Hugh Montgomery-Massingberd (1977) (English). Burke's Royal Families of the World. Internet Archive. Burkes Peerage Limited. pp. 364
  3. “Cagliari, Palazzo Regio”. Regione Autonoma della Sardegna. 2020年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2020年8月13日閲覧.
先代
“ヴィクター1世”
ジャコバイトの女王
1824年 - 1840年
次代
“フランシス1世”