ループレヒト (バイエルン王太子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ループレヒト
Rupprecht
ヴィッテルスバッハ家
Rupprecht von Bayern.jpg
ループレヒト(第一次世界大戦期)
称号
全名
出生 1869年5月18日
バイエルン王国の旗 バイエルン王国ミュンヘン
死去 1955年8月2日(満86歳没)
西ドイツの旗 西ドイツバイエルン州シュタルンベルク、ロイトシュテッテン城
埋葬 西ドイツの旗 西ドイツバイエルン州ミュンヘン、テアティーナ教会
配偶者 マリー・ガブリエーレ
  アントニア
子女
父親 ルートヴィヒ3世
母親 マリア・テレジア
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示

ループレヒト・フォン・バイエルンドイツ語: Rupprecht von Bayern, 1869年5月18日 - 1955年8月2日)は、バイエルン王国の最後の王太子バイエルン公ライン宮中伯

生涯[編集]

1869年、バイエルン王子ルートヴィヒ(後のバイエルン国王ルートヴィヒ3世)とエスターライヒ=エステ大公女マリア・テレジアモデナ公フランチェスコ5世の姪)の長男としてミュンヘンに生まれた。

第一次世界大戦ではドイツ陸軍第6軍の指揮官を務め、1916年には元帥となった。

1919年に母のマリア・テレジアが死去したためジャコバイトの支持するイングランド王ロバート英語: Robert)、スコットランド王ロバート4世スコットランド語: Robert IV)となった。

1921年には父の死去によりバイエルン王家の家長となった。

1939年にイタリアに亡命したが、妻子をはじめとするバイエルン王家の人間がハンガリーに残留していたため、1944年に逮捕されザクセンハウゼン強制収容所ダッハウ強制収容所などに収容された。1945年のナチス・ドイツの降伏後に、ようやくミュンヘンに戻ることができた。1955年、シュタルンベルク英語版ロイトシュテッテン城ドイツ語版において86歳で死去した。

家族[編集]

1900年、ヴィッテルスバッハ家傍系の同族であるバイエルン公カール・テオドールの四女マリー・ガブリエーレと結婚。3男2女を儲けたが、成人したのは1人だけだった。マリー・ガブリエーレとは1912年に死別した。

  • ルイトポルト(1901年 - 1914年)
  • イルミンガルト(1902年 - 1903年)
  • アルブレヒト(1905年 - 1996年) - バイエルン王家家長。
  • 女子(死産、1906年)
  • ルドルフ(1909年 - 1912年)

1921年、ルクセンブルク大公ギヨーム4世の四女アントニアシャルロット女大公の妹)と再婚し、1男5女を儲けた。

アントニアとループレヒト