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フィリベルト1世・ディ・サヴォイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フィリベルト1世・ディ・サヴォイア
Filiberto I di Savoia
サヴォイア公
サヴォイア公フィリベルト1世
在位 1472年 - 1482年

出生 (1465-08-07) 1465年8月7日
サヴォイア公国シャンベリ
死去 (1482-09-22) 1482年9月22日(17歳没)
フランス王国リヨン
配偶者 ビアンカ・マリア・スフォルツァ
家名 サヴォイア家
父親 アメデーオ9世・ディ・サヴォイア
母親 ヨランド・ド・フランス
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フィリベルト1世・ディ・サヴォイア(Filiberto I di Savoia, 1465年8月7日 - 1482年9月22日)は、サヴォイア公ピエモンテ公アオスタ伯、モーリエンヌ伯、ニース伯(在位:1472年 - 1482年)。

生涯

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アメデーオ9世とその妻ヨランド(フランス王シャルル7世の娘)の間の息子[1]イル・カッチャトーレ(il Cacciatore:狩人)の異名で呼ばれる。フランス語名フィリベール1世・ド・サヴォワ(Philibert Ier de Savoie)。

1476年[1][注釈 1]ミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァと叔母ボナ・ディ・サヴォイアの娘で従妹にあたるビアンカ・マリア・スフォルツァと結婚した。夫妻の間に子供はいなかった。

当初はサヴォイアの貴族に誘拐され、トリノに監禁されていたフィリベルトは、フランス王ルイ11世の介入により解放された[3]。1482年、フィリベルトは17歳で結核により死去し、幼くして未亡人となったビアンカ・マリアはその後神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と再婚した。弟カルロ1世が公位を継承した[3]

注釈

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  1. Lubkinは1474年としている[2]

脚注

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  1. 1 2 Hand 2013, p. 220.
  2. Lubkin 1994, p. 18.
  3. 1 2 Abulafia 1995, p. 45.

参考文献

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  • Abulafia, David (1995). The French Descent into Renaissance Italy, 1494–1495: Antecedents and Effects. Routledge 
  • Hand, Joni M. (2013). Women, Manuscripts and Identity in Northern Europe, 1350-1550. Ashgate Publishing 
  • Lubkin, Gregory (1994). A Renaissance Court: Milan Under Galleazzo Maria Sforza. University of California Press