オペル・ベクトラ

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ベクトラ (VECTRA)は、GMが製造、オペルブランドで販売していた自動車である。

初代 (1988–1995年)[編集]

ベクトラ
ベクトラ A
セダン (前期型)
Opel Vectra front 20071109.jpg
セダン (後期型)
Opel Vectra front 20080102.jpg
製造国 ベルギーの旗 ベルギー
ブラジルの旗 ブラジル
 エジプト
ドイツの旗 ドイツ
ベネズエラの旗 ベネズエラ
イギリスの旗 イギリス
ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア
販売期間 1988–1995年
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドアセダン
5ドアハッチバック
エンジン ガソリン:
1.4/1.6/1.8/2.0L I4
2.5L V6
ディーゼル:1.7L I4
変速機 5/6MT
4AT
全長 4,430mmmm (セダン)
4,350mm (ハッチバック)
全幅 1,700mm
全高 1,400mm
ホイールベース 2,600mm
車両重量 997–1,199kg
姉妹車 オペル・カリブラ
ボクスホール・キャバリエ
先代 オペル・アスコナ
-自動車のスペック表-
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初代モデルであるVectra-Aは、アスコナの後継車種として1988年に登場した。ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバックの2タイプがあった(日本へはセダンのみ輸入)。直列4気筒ガソリンエンジンを搭載(1.6リッターから2.0リッターターボまで存在)。1992年のマイナーチェンジ時にV型6気筒を追加している。ヨーロッパで発売されているディーゼルエンジン搭載モデルは、いすゞ自動車製の1.7Lエンジン(NA及びターボ)が搭載されていた。

イギリスではボクスホール・キャバリエとして販売される。ニュージーランドではホールデンブランドで販売されていたものの、ホールデンの本国オーストラリアでは、同クラスにトヨタ・カムリOEMモデル「アポロ」(Holden Apollo )を販売していたため、ベクトラは販売されなかった。

日本では1989年からオペルの総代理店である東邦モーターズといすゞ自動車が輸入。2リッターSOHCエンジン(C20NE型)搭載車を販売。「CD」およびABSやサンルーフを備えた豪華版の「CDディアマント」(CD Diamant )がラインナップ。ともに左ハンドル仕様であった。ドイツ色を一面に出したテレビCMまで放映するもライバルのメルセデス・ベンツ・190EBMW・3シリーズアウディ・80と比べ圧倒的に販売で負けていた。1990年モデルより右ハンドル車を追加。通常、右ハンドル車は英国ボクスホールの工場で製作されるが、日本仕様車はドイツ本国の工場で生産されたものを輸入していた。また、上級グレード「CDディアマント」の名称を「CD-X」に変更(おそらく三菱・ディアマンテの登場によるものと思われる)。1991年モデルから上級車のオメガセネターと同様に電動格納式ドアミラーが採用され、駐車時の利便性が向上している。

1993年より取扱ディーラーがヤナセに移行し、同時にマイナーチェンジモデルを発売。CIマーク内蔵型のグリルやダーク化されたリアコンビネーションランプにエクステンションが付加される程度で構造的には大きな変更はない。ほぼ同等の装備ながらグレード名がCD/CD-XからGLS/CDに変更されている。1994年モデルから運転席エアバッグが装備され、1995年モデルでは助手席エアバッグも加えて標準となり、2.5リッターV6エンジン(ECOTEC-C25型)搭載車が追加されている。

派生車種としてクーペモデルのオペル・カリブラも発売された。

  • GLS/CD系
    • 直列4気筒SOHCエンジン、1,988cc、115ps/5,200rpm、17.3kgm/2,600rpm
  • V6
    • V型6気筒DOHCエンジン、2,497cc、170ps/6,000rpm、23.1kgm/4,200rpm


2代目 (1995–2002年)[編集]

ベクトラ
ベクトラ B
セダン (前期型)
Opel Vectra front 20071112.jpg
セダン (後期型)
Opel Vectra front 20080118.jpg
製造国 ベルギーの旗 ベルギー
ブラジルの旗 ブラジル
 エジプト
ドイツの旗 ドイツ
トルコの旗 トルコ
イギリスの旗 イギリス
 台湾
オーストラリアの旗 オーストラリア
販売期間 1995–2002年
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドアセダン
5ドアハッチバック
5ドアワゴン
エンジン ガソリン:
1.4/1.6/1.8/2.0L I4
2.5/2.6L V6
ディーゼル:1.7/2.0/2.2L I4
変速機 5MT
4AT
全長 4,480mm (セダン、ハッチバック)
4,490mm (ワゴン)
全幅 1,710mm
全高 1,420mm
ホイールベース 2,640mm
-自動車のスペック表-
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2代目モデルであるVectra-Bは1995年に登場。このモデルからステーションワゴンがボディラインナップに加わる。

直列4気筒もしくはV型6気筒ガソリンエンジンを搭載し、駆動方式はFFである。ディーゼルエンジンは引き続きいすゞ製が搭載された。

ボクスホールブランドとの呼称統一化を図っていたイギリスではこのモデルから「ボクスホール・ベクトラ」となる。

サターン・Lシリーズはベクトラのプラットフォームをもとに開発された。

日本へはセダンが1996年から、ワゴンが1997年から導入されたが、ハッチバックは導入されなかった。グレードは両ボディ共に、直列4気筒のGLとCD、V型6気筒のCDXが用意され、組み合わされるトランスミッションは、全車ニュートラルコントロール付き4速オートマチックである。

1998年モデルより全車にサイドエアバッグが標準装備された。またキーホルダー型のキーレスリモコンからリモコン一体型のエンジンキーに変更された。そして2000年モデルより、モール類のボディ同色化、グリルのクロームメッキ化、ドアミラーの大型化がなされた。2001年モデルより全エンジンの刷新が図られ、CDとCDXについては排気量が拡大している。

エンジンはモデル年式によって数種類存在する。

  • 直列4気筒
    • 1996年-1998年モデル:X18(1.8L)、X20(2.0L)
    • 1999年-2000年モデル:X181(1.8L)、C20SEL(2.0L)
    • 2001年モデル:Z18(1.8L)、Z22(2.2L)
  • V型6気筒
    • 1996年-2000年モデル:X25(2.5L)
    • 2001年モデル:Y26(2.6L)


3代目 (2002–2008年)[編集]

ベクトラ
ベクトラ C
セダン (前期型)
Opel Vectra C GTS front 20081127.jpg
セダン (後期型)
Opel Vectra C 2.2 Direkt front.JPG
製造国  エジプト
ドイツの旗 ドイツ}
イギリスの旗 イギリス
販売期間 2002–2008年
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドアセダン
5ドアハッチバック
5ドアワゴン
エンジン ガソリン:
1.6/1.8/2.0/2.2L I4
2.8/3.2L V6
ディーゼル:
1.9/2.0/2.2/L I4
3.0 V6
全長 前期型:
4,595mm (セダン、ハッチバック)
4,820mm (ワゴン)
後期型:
4,610mmmm (セダン、ハッチバック)
4,840mm (ワゴン)
全幅 1,800mm
全高 1,460mm (セダン、ハッチバック)
1,500mm (ワゴン)
ホイールベース 2,700mm (セダン、ハッチバック)
2,830mm (ワゴン)
姉妹車 オペル・シグナム
後継 オペル・インシグニア
-自動車のスペック表-
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3代目モデルであるベクトラCは、2002年に登場した。

直列4気筒またはV型6気筒ガソリンエンジンを搭載し、駆動方式はFFである。ディーゼルエンジンは当初いすゞ製の3.0LV型6気筒エンジンが搭載されたが、後にフィアット製1.9L直列四気筒エンジンに変更された。

ボディタイプはセダン、ワゴンと、GTSと呼ばれる5ドアハッチバックがラインナップされた。 派生車種としてワゴンとセダンの中間車種 オペル・シグナム ものちに登場した。

サーブ・9-3シボレー・マリブポンティアック・G6サターン・オーラなどはベクトラCと同じGMイプシロン・プラットフォームを元にしている。

日本へはガソリンエンジンのモデルが輸入され、セダンとGTSの2.2Lまたは3.2L、ワゴンは3.2Lのみがラインナップされた。

2006年にフェイスリフトを受け後期型となったが、同年5月に日本での販売撤退を発表したため、結果的に後期型はGTS2.2が20台前後輸入されただけであった。

その他[編集]

ベクトラは欧州以外のオペルブランドが展開されていない地域でも販売されていたものの、ホールデンオセアニア)向けをはじめとしてGM大宇製のシボレー・エピカへの置き換えが進み、中南米のいくつかの国(メキシコチリなど)でシボレーのブランドで販売されていたに留まる。なお、ブラジルアルゼンチンではアストラがベクトラの名称で販売されていた。

後継車種[編集]

オペルはベクトラの後継として中型乗用車のカテゴリーに投入する新車種の車名を「インシグニア」(Insignia )と決定した。実車は2008年7月英国国際モーターショーで世界初公開された[1]

モータースポーツ[編集]

初代[編集]

・1992年。イギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦。車名はボクスホール・キャバリエでホワイトカラーのマシンで参戦するワークスチームの「ボクスホール・スポーツ」とボクスホールのエンジン製作を担当するレイ・マロックリミテッドが運営する「エキュリー・エコックス・ボクスホール」の(ボディカラーはブルー/ホワイト)2チームが参戦した。ドライバーは、ボクスホール・スポーツから1989年のBTCCチャンピオンのジョン・クレランドと1977年からこのレースに参戦しているジェフ・アラムの2人。エキュリー・エコックスは、デイビッド・レズリーアレックス・ポートマンボビー・ボーダーロウの3人が参戦した。クレランドが3勝し、アラムが2勝を挙げた。最終戦までクレランドがチャンピオン候補に残り、最終的にシリーズ3位。アラムがシリーズ4位となった。

・1993年も前年の2チームが参戦したが、この年はBMWフォードに対してやや苦戦し、クレランドとレズリーがそれぞれ1勝ずつ挙げるにとどまった。

・1994年は引き続きクレランドとアラムが参戦し、クレランドが2勝しシリーズ4位となった。またインディペンデントチーム(プライベーター)チームにもマシンを供給し、3チームが参戦した。またこの年より始まった全日本ツーリングカー選手権(JTCC)に参戦。JTCCでは、HKSから参戦したアンソニー・レイドが4勝する好成績を収めた。

・1995年からBTCCとJTCCに加えてドイツ・スーパーツーリング選手権(STWカップ)にも参戦。BTCCではジョン・クレランドとオーストラリア・スーパーツーリングカー選手権に参戦することになった、アラムに代わってジェイムズ・トンプソンが参戦したが、中盤戦のシルバーストーンでのレースでトンプソンがクラッシュで負傷。以降は欠場することになり、トンプソンの代役はオウルトン・パーク戦はアラムが復帰し、以降はマイケル・ブリッジスが参戦することになった。クレランドは25戦中6回の優勝を含む18レースで表彰台に上る好成績を収め自身2度目のシリーズチャンピオンを獲得した。この年からボディカラーはホワイト/イエローのカラーになった。JTCCでもこの年からオペルの支援を受け、前年から参戦するアンソニー・レイドと新たにジャスティン・ベルも参戦し、2台体制となった。レイドは前年同様3勝を挙げる好成績を収め、シリーズチャンピオン獲得の可能性を残したが、終盤の仙台ハイランド戦で指示違反により失格となってしまう。最終戦インターTECはレイドに代わってフィリップ・ピーターが参戦した。BTCCでは、ボクスホール・キャバリエでのエントリーだったが、JTCCとSTWカップでは、オペル・ベクトラエントリーだった。

ジョン・クレランドがドライブする、96年のBTCCベクトラ。

2代目[編集]

1996年からはベース車のモデルチェンジに合わせて、JTCCやBTCCでも2代目にマシンチェンジ。BTCCでもエントリー名がボクスホール・ベクトラに変更された。この年もBTCCとJTCCのボディカラーはホワイトとイエロー。BTCCのドライバーは、引き続きジョン・クレランドと復帰したジェイムス・トンプソン。新型のマシンを投入したボクスホール勢ではあったが、この年から参戦を始めたアウディがシリーズを通して強く、優勝はトンプソンが挙げた1勝のみとなった。JTCCとSTWカップにも引き続き参戦。JTCCでは、長谷見昌弘が参戦し、STWカップにもマルコ・ヴェルナーフォルカー・ストレイチェックが参戦した。東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジにも同年参戦。ドライバーのカシカム・スプホットがシリーズチャンピオンを獲得している。

1998年のBTCCベクトラ。クレランドはこの年2勝した。

1997年、英国ツーリングカー選手権(BTCC)に参戦。ドライバーはジョン・クレランドと元F1ドライバーのデレック・ワーウィックが参戦。チームを運営するのは、トリプル・エイト・レーシング。新体制での参戦となったが、シーズンを通じてアウディとルノーの争いとなり、この年は優勝を挙げることはできなかった。JTCCにも飯田章がHKSからプライベーターとして参戦したが、この年限りでホンダや日産などと共に撤退。JTCCも翌年限りで消滅した。同年のSTWカップには3チームからエントリー。チーム・SMSからマヌエル・ロイターミハエル・バルテルスザクスピードからウーヴェ・アルツェンクルト・ティムチーム・ホルツァーからロニー・メルクスアレクサンダー・ブルグスタラーがそれぞれ参戦。アルツェンがオペル勢最上位のシリーズランキング5位を獲得した。


1998年、英国ツーリングカー選手権(BTCC)にトリプル・エイト・レーシングから2台がフル参戦。ドライバーは引き続きデレック・ワーウィックとジョン・クレランド。クレランドが2勝、ワーウィックが1勝を挙げたが、ドライバーズタイトル争いは、ボルボのリカルド・リデルとアンソニー・レイド(プリメーラ)、ジェイムズ・トンプソン(アコード)の3人であり、クレランドが8位、ワーウィックは9位だった。この年を持ってワーウィックは現役引退を表明した。インディペンデントチームからもマーク・レマーが参戦。STWカップにも複数のチームから参戦した。主なドライバーは、マヌエル・ロイター、エリック・エラリークラウス・ニーズビーズ

1999年もSTWカップとBTCCに参戦。ワーウィックがチーム監督に就任し、この年のBTCCのドライバーは、ジョン・クレランドと前年限りで撤退した、アウディから移籍のイヴァン・ミュラーが参戦。ミュラーがブランズ・ハッチで優勝を飾ったが、ボクスホール勢の優勝はこの1勝であり、シリーズタイトルも日産が制することになった。この年もインディペンデントからマーク・ブレアが参戦。日産のインディペンデントマット・ニールに次ぐ、インディペンデントランキング2位につけた。STWカップにも参戦。マヌエル・ロイターローランド・アッシュウーヴェ・アルツェンらが参戦。アルツェンが年間ドライバーランキング2位を獲得した。STWカップはこの年をもってシリーズ消滅となった。

・2000年はBTCCに集中することになり、3台が参戦。ドライバーは、クレランドが前年限りでBTCCを勇退した為、残留のイヴァン・ミュラーと前年限りで撤退した、ルノーとボルボからそれぞれ移籍してきた、ジェイソン・プラトヴィンセント・ラダーメッカの3人が参戦し、合計5勝した。この年限りでボクスホールのメインマシンはアストラに変更されることになり、ベクトラは一旦BTCCから撤退した。

・2001年 ヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)にフル参戦。

3代目

・2007年。7年ぶりに英国ツーリングカー選手権(BTCC)にトリプル・エイト・レーシングからフル参戦。ドライバーはトム・チルトンファブリツィオ・ジョヴァナルディの2人。ジョヴァナルディがシリーズチャンピオンを獲得した。最終戦ではチルトン、ジョヴァナルディに加え、アラン・メニュもスポット参戦している。

・2008年。英国ツーリングカー選手権(BTCC)に前年度と同じくトリプル・エイト・レーシングから3台フル参戦。ドライバーラインナップについては変更され、マット・ニール、ファブリツィオ・ジョヴァナルディ、トム・フォンショー・コールの3人。ジョヴァナルディが2年連続でドライバータイトルを獲得した。

脚注[編集]

関連項目[編集]