とどヶ埼灯台

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本来の表記は「魹ヶ埼灯台」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
魹ヶ埼灯台
Todogasaki Lighthouse 201710.jpg
2017年10月
とどヶ埼灯台の位置(日本内)
とどヶ埼灯台
航路標識番号 1647 [M6598]
位置 北緯39度32分48秒
東経142度04分16秒
座標: 北緯39度32分48秒 東経142度04分16秒
所在地 岩手県宮古市
レンズ 三等大型フレネルレンズ
灯質 単閃白光 毎15秒に1閃光
実効光度 530,000カンデラ cd
光達距離 20.5海里(約 38 km
塔高 34 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 58 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1902年(明治35年)3月1日
管轄 海上保安庁第二管区海上保安本部(釜石海上保安部)

魹ヶ埼灯台(とどがさきとうだい)は、本州最東端の岩手県宮古市魹ヶ崎北緯39度32分 東経142度04分)に位置する灯台である。魹ヶ埼大根照射灯(航路標識番号 1648)が付属している。

「魹」の字がJIS第3水準漢字(環境依存文字)であることから、「とどヶ埼灯台」と表記されることもある。

特徴[編集]

北海道に向かう船舶にとって、大きな目印になる灯台であり、三陸海岸にある灯台の中でも一際明るい。南から魹ヶ埼灯台を過ぎると、間もなく宮古湾が大きく口を開け、夜になると、湾奥に美しい宮古市の夜景を見ることができる。

1957年(昭和32年)に発表された映画『喜びも悲しみも幾歳月』(木下惠介監督)は、魹ヶ埼灯台で7年間を過ごした灯台守の妻である田中キヨの手記をもとに製作された。

日本の灯台50選の認定を受けている。

歴史[編集]

  • 1902年(明治35年)3月1日 - 初点灯(鉄骨造)[1][2]
  • 1945年(昭和20年) - 太平洋戦争で破壊[2]
  • 1950年(昭和25年) - 再建(コンクリート造)[2]
  • 1966年(昭和41年) - 3月 宮古市の職員が宿直により管理するようになる
  • 1996年(平成8年)3月 - 完全自動化により無人化[2]
  • 2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災で損傷[3]
  • 2016年(平成28年)9月30日 - ラジオ放送による船舶気象通報がこの日を以て廃止[4]

交通アクセス[編集]

灯台まで車道は開通しておらず、姉吉キャンプ場付近から自然歩道を徒歩3.8 km、約1時間10分[2]程度の道のりである。はじめ、標高110 mまで一気に登り、あとはほぼ平坦な道が灯台まで続く。熊が出没するため、対策グッズが必要である。キャンプ場と灯台敷地内にトイレあり。

脚注[編集]

  1. ^ 明治35年逓信省告示第126号(『官報』第5598号、明治35年3月6日、p.97
  2. ^ a b c d e みちのく灯台物語”. 第二管区海上保安本部. 2017年10月9日閲覧。
  3. ^ 東日本大震災(第93報) (PDF)”. 国土交通省 (2011年10月3日). 2017年10月9日閲覧。
  4. ^ 海上保安庁が運用する航路標識等の一部を廃止します (PDF)”. 海上保安庁 (2016年9月2日). 2017年10月9日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]