「横竹翔」の版間の差分
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2008年、トップ昇格<ref name="tyugoku20080225" />{{#tag:ref|同期は内田、篠原、[[丸谷拓也]]、[[清水航平]]。|group="注"}}。2年目の2009年、春のキャンプで評価を上げ、同年4月4日対[[ガンバ大阪]]戦で公式戦デビューを飾る。以降、CBおよびボランチとして出場機会を増やしている。<ref name="tyugoku200900702" /> |
2008年、トップ昇格<ref name="tyugoku20080225" />{{#tag:ref|同期は内田、篠原、[[丸谷拓也]]、[[清水航平]]。|group="注"}}。2年目の2009年、春のキャンプで評価を上げ、同年4月4日対[[ガンバ大阪]]戦で公式戦デビューを飾る。以降、CBおよびボランチとして出場機会を増やしている。<ref name="tyugoku200900702" /> |
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2012年2月7日、春のキャンプ中に[[動悸]]と息切れを起こしたことから精密検査を行い、[[不整脈]]([[心房細動]])が発見された。同年2月13日に[[カテーテル]]手術を受け |
2012年2月7日、春のキャンプ中に[[動悸]]と息切れを起こしたことから精密検査を行い、[[不整脈]]([[心房細動]])が発見された<ref>{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2012-02-15|url=http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201202150078.html|title=DF横竹が不整脈手術|accessdate=2012-02-15}}</ref>。同年2月13日に[[カテーテル]]手術を受け、翌2月14日に退院し、2月18日から医師の了解のもと[[リハビリ]]を開始した<ref>{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2012-02-19|url=http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201202190065.html|title=手術の横竹、チーム合流|accessdate=2012-02-19}}</ref>。 |
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== 個人成績 == |
== 個人成績 == |
2012年2月18日 (土) 16:06時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | ツバサ、オバマ[注 1] | |||||
カタカナ | ヨコタケ ツバサ | |||||
ラテン文字 | YOKOTAKE Tsubasa | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1989年8月30日(34歳) | |||||
出身地 | 広島県広島市東区 | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | サンフレッチェ広島 | |||||
ポジション | DF/MF/FW | |||||
背番号 | 22 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2004-2007 |
サンフレッチェ府中サッカースクール サンフレッチェ広島ジュニアⅡ サンフレッチェ広島ジュニア サンフレッチェ広島ジュニアユース サンフレッチェ広島ユース(吉田中/吉田高) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2008- | サンフレッチェ広島 | 43 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年1月17日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
横竹 翔(よこたけ つばさ、1989年8月30日 - )は、日本のプロサッカー選手。広島県広島市東区出身。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。広島県立吉田高等学校卒業。
人物
平繁龍一以来2人目となる、サンフレッチェ広島ジュニア、ジュニアユース、ユースを経てトップチームに昇格した生粋の広島生え抜きプレーヤー。
トップではセンターバックとボランチとして起用されているが、元々はフォワード・トップ下・ボランチ・センターバック・サイドバックと、ゴールキーパーを除くほぼ全てのポジションを高水準でこなす、ポリバレントな選手。若年時代はポストプレーと得点感覚に秀でたセンターフォワードであった。[1][2]
来歴
小学生チームのコーチを務める父の影響もあり、子どものころからサッカー一筋。小学1年生のころにサンフレッチェ府中サッカースクールに参加したのが縁。[3]
ジュニア時代から平繁と2トップを組み活躍。2000年にはDF・GK登録で全日本少年サッカー大会出場[4]。全日本少年フットサル大会には2年連続で出場し2000年準優勝に貢献、2001年には大会優秀選手に選ばれる[5]。ジュニアユース時代にはFWとして2003年ナイキプレミアカップジャパン優勝に貢献、マンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップに出場している。2004年、中学3年時から既にユースに合流し、全広島サッカー選手権大会決勝では中学生ながら大学生相手にゴールを決め、同年Jユースカップにも出場している。
2005年、正式にユースに昇格[注 2]。1年次からFWとしてレギュラーを掴み同年JFAプリンスリーグU-18中国で得点王になるも、怪我人が続出したためCBにコンバートされると槙野智章とのCBコンビで同年の高円宮杯ベスト4に貢献。2年次にはFWとして高円宮杯得点王、同年にはMFとしてJユースカップ優勝に貢献。3年次にはMFとしてエースとしてチームを牽引、高円宮杯準優勝に貢献した。
2008年、トップ昇格[3][注 3]。2年目の2009年、春のキャンプで評価を上げ、同年4月4日対ガンバ大阪戦で公式戦デビューを飾る。以降、CBおよびボランチとして出場機会を増やしている。[2]
2012年2月7日、春のキャンプ中に動悸と息切れを起こしたことから精密検査を行い、不整脈(心房細動)が発見された[6]。同年2月13日にカテーテル手術を受け、翌2月14日に退院し、2月18日から医師の了解のもとリハビリを開始した[7]。
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 広島 | 22 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2009 | 広島 | 22 | J1 | 16 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 21 | 1 |
2010 | 広島 | 22 | J1 | 27 | 0 | 4 | 0 | 2 | 1 | 33 | 1 |
2011 | 広島 | 22 | J1 | ||||||||
2012 | 広島 | 22 | J1 | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 43 | 0 | 8 | 1 | 3 | 1 | 54 | 2 | |
日本 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
総通算 | 43 | 0 | 8 | 1 | 3 | 1 | 54 | 2 |
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国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2010 | 広島 | 22 | 5 | 0 |
通算 | AFC | 5 | 0 |
出場歴・タイトル
個人
- JFAプリンスリーグU-18中国得点王(2005年)
- 高円宮杯全日本ユース選手権得点王(2006年)
クラブチーム
- アンダーカテゴリー
- 全日本少年フットサル大会(2000年準優勝)
- メニコンカップ日本クラブユースサッカー東西対抗戦U-15(2003年・西軍)
- ※クラブユース選手権優秀選手より選抜
- ナイキプレミアカップジャパン(2002年準優勝、2003年優勝)
- マンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップ出場(2003年)
- 日本クラブユース選手権U-15(2003年3位)
- Jユースカップ(2006年優勝)
- 日本クラブユース選手権U-18(2005年3位、2007年3位)
- 高円宮杯全日本ユース選手権(2005年3位、2007年準優勝)
- トップチーム
- 初ベンチ入り:2009年4月4日J1第4節対ガンバ大阪戦(万博記念競技場)
- 公式戦初出場:2009年4月4日J1第4節対ガンバ大阪戦(万博記念競技場)
- 89分、森脇良太に代わり途中出場
- 公式戦初得点:2009年5月30日ヤマザキナビスコカップ 第4節対大宮アルディージャ戦(広島ビッグアーチ)
- 68分、中島浩司に代わり途中出場、89分ゴール
- Jリーグ初得点:
代表歴
- U-16日本代表(2005年)
- U-18日本代表(2007年)
- U-21日本代表(2010年)
注釈
- ^ 祖父にアメリカ人がいるクウォーターであることから、バラク・オバマに引っ掛けてミハイロ・ペトロヴィッチ監督に名づけられたあだ名。
- ^ 同級生に内田健太、篠原聖、中野裕太、兼田亜季重。
- ^ 同期は内田、篠原、丸谷拓也、清水航平。
出典
- ^ “選手情報”. 2010年1月22日閲覧。
- ^ a b “19歳横竹、成長中 けが人相次ぎ出場増”. 中国新聞 (2009年7月2日). 2010年1月22日閲覧。
- ^ a b “飛躍へサンフレ新人 FW横竹翔”. 中国新聞 (2008年2月25日). 2010年1月22日閲覧。
- ^ “チーム紹介”. 全日本少年大会公式. 2010年1月22日閲覧。
- ^ “過去の大会記録一覧”. FC JAPAN. 2010年1月22日閲覧。
- ^ “DF横竹が不整脈手術”. 中国新聞 (2012年2月15日). 2012年2月15日閲覧。
- ^ “手術の横竹、チーム合流”. 中国新聞 (2012年2月19日). 2012年2月19日閲覧。