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フレデリック・ショパン | |
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基本情報 | |
出生名 | Fryderyk Franciszek Szopen |
生誕 | 1810年3月1日(異説あり) |
出身地 |
![]() |
死没 |
1849年10月17日![]() |
ジャンル | ロマン派音楽 |
職業 | 作曲家・ピアニスト |
活動期間 | 1817 - 1849 |
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
フレデリック・フランソワ・ショパン (Frédéric François Chopin, ポーランド名フリデリク・フランツィシェク・ショペン Fryderyk Franciszek Szopen, 1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説あり) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。
生涯
- 1810年 - 0歳:ポーランドの国土ほぼ中央に位置するジェラゾヴァ・ヴォラ(Żelazowa Wola)に、フランス人の父ニコラ(ポーランド名ミコワイ)、ポーランド人(貴族の末裔)の母ユスティナの間に生まれる
- 1816年 - 6歳: ヴォイチェフ・ジヴニーの指導を受ける。
- 1817年 - 7歳:アダルベルト・ジウニーよりピアノを習いはじめる。現存する初めての作品『ポロネーズ ト短調』を作曲、出版される。
- 1818年 - 8歳:ワルシャワではじめて公開演奏。
- 1823年 - 12歳:ユゼフ・エルスネル(ワルシャワ音楽院長)より対位法、和声学を学び始める。
- 1826年 - 16歳:ワルシャワ音楽院に入学。
- 1828年 - ベルリンに行き、2週間ほど滞在してウェーバーの歌劇『魔弾の射手』、チマローザの歌劇『秘密の結婚』、ヘンデルの『聖セシリア』を聴く。
- 1829年 - コンスタンツィア・グワトコフスカ(声楽)への初恋(『ピアノ協奏曲第2番』第2楽章に結実)。 ワルシャワ音楽院を首席で卒業、ウィーンで演奏会を開く。
- 1830年 - ワルシャワを去りウィーンに向かう。 告別演奏会で『ピアノ協奏曲第1番』を披露、コンスタンツィアも歌を披露。この時、ショパンの友人がポーランドの土が入った杯を渡したという伝説があるが、これはショパンの伝記を書いた著者の作り話である。ショパンのウィーン到着後まもなくワルシャワ蜂起が起こると、ウィーンでは反ポーランドの風潮が高まり、十分な演奏の機会も得られなかったため、パリ行きを決断する。
- 1831年 - ウィーンを去りパリへ向かう。 途上、ワルシャワ蜂起失敗の報に接し『革命のエチュード』を作曲したとの伝説。 パリ到着、終生の友となるデルフィヌ(デルフィナ)・ポトツカ夫人と再会。
- 1832年 - 2月26日 パリで初の演奏会を開く。
- 1835年 - カールスバート(カルロヴィ・ヴァリ)で両親と最後の再会。 かつて親交のあったポーランド人貴族ヴォジンスキ伯爵家のマリアとドレスデンにて再会、ワルツを献呈(後に『別れのワルツ』と呼ばれる)。
- 1836年 - 26歳:マリアに求婚。 マリ・ダグー伯爵夫人(リストの愛人)のサロンでジョルジュ・サンドを紹介される。
- 1837年 - ヴォジンスキ家から婚約が破棄される(マリアからもらったバラの花と手紙の束は彼の死後「わが哀しみ」と書かれた紙包みの中から見つかった)。
- 1838年 - サンドとの交際が始まる。 マジョルカ島に半年間結核療養で滞在するも悪化。
- 1839年 - 冬はパリ、夏はノアンのサンドの別荘で暮らす生活が始まる(1847年まで)。
- 1844年 - 冬 インフルエンザにかかる。
- 1847年 - 36歳:ジョルジュ・サンドと別れる。
- 1848年 - 2月26日 パリでの最後の演奏会。 ロンドンに滞在、ヴィクトリア女王の御前演奏など好評を博す。
- 1849年 - 39歳:姉、ルトヴィカと最後の再会。 ポトツカ夫人、病床を見舞い歌う。 10月17日パリで永眠。葬儀はパリのマドレーヌ寺院にておこなわれ、レクイエムが演奏された。これは、自らの葬儀に際してはモーツァルトのレクイエムの演奏をしてほしいとの生前の希望によるものであった。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬される(4つ左隣はルイジ・ケルビーニの墓)。しかし、彼の意向により心臓だけは、姉によってポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会の柱の中に納められている。
人物
生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬等、その徴表が見られるが、そうした繊細なイメージとよくマッチした作風のものばかりでなく、そうした自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、時として情熱的な作風の曲も多く見られる。
幼少の頃からいろいろな面で才能を発揮し、ユーモアにあふれ、ものまねと漫画を書くのが得意で学校ではクラスの人気者だったという。
後半生は大部分をフランスで過ごした。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言によりポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもしばしばである。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/db/Die_junge_George_Sand.jpg/200px-Die_junge_George_Sand.jpg)
また、女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』、『幻想曲』、『バラード第4番』、『英雄ポロネーズ』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』等数多くの傑作が生まれた。
ピアノの技術革新の時代に生きたショパンは新しい演奏技術の開拓に果敢に挑み、自身の練習の意味も込めて『練習曲集』(『3つの新練習曲』を除く12曲)を2つ編んだ。一方で古典の作曲家への敬意は強く(実際ショパンは自身がロマン派に属するという考えを否定した)、特にバッハとモーツァルトは彼の作品に影響を及ぼした。例えば『24の前奏曲集』は5度循環で24の全長短調を経る小品集だが、これは明らかにバッハの『平均律クラヴィーア曲集・24の前奏曲とフーガ』を意識したものである。また心を落ち着けるためにバッハの平均律をしばしば好んで弾いた。
また彼自身は同時代の有名な作曲家にして評論家でもあったシューマンとは違い、批評活動は全く行わず、音楽作品と文筆作品(ことに詩)との融合にもあまり積極的ではなかったという。
きちんとした写真がほとんど残されておらず、死の直前にルイ=オーギュスト・ビソンの手によって撮られた写真が有名である(もう一枚現存する1846年の写真は損傷が激しい)。
ショパンの病気は一般的には肺結核とされている。ショパンの解剖報告書、死亡診断書は失われたが、関係者の手紙で一部言及されており、それによれば、肺が侵されていたものの、死因までは特定できなかったと言う。この点や、ショパンの症状などから、ショパンの病気は他の疾患(たとえば遺伝病の一種嚢胞性線維症など)ではないかとする説もある([1])。『音楽と病 病歴に見る大作曲家の姿』(ジョン・オシエー著、法政大学出版局、ISBN 4-588-02178-8)でも、嚢胞性線維症が主張されている。
-
ショパン(ドラクロワ画)。当初はジョルジュ・サンドと二人で一枚に書かれた絵だったが、彼らの交際の破局から二枚に分割され、ショパンはルーヴル美術館蔵、サンドの部分はコペンハーゲンのデンマーク王立美術館に所蔵されている
-
分割されたもう片方のジョルジュ・サンドの絵
ポトツカ夫人の書簡
第二次大戦直後にポーランドの音楽研究家パウリーナ・チェルニツカが、ショパンがデルフィヌ・ポトツカ伯爵夫人に書いたという大量の書簡を公表した。これらにはショパンの私生活に対する言及や彼の音楽思想、他の音楽家に対する批評が多く含まれていたため論議を巻き起こした。彼女は原本の公開を拒否したまま謎の自殺を遂げたが、現在では(一部に議論はあるが)少なくとも大部分が彼女による偽作であるとされている。1950-60年代に書かれた伝記などにはこれらの書簡を引用したものが多い。
- 参考文献:「贋作ショパンの手紙」イェージー・マリア・スモテル著、足達和子訳、音楽之友社、1985年。ISBN 4-276-22433-0
有名な作品
- ノクターン 第2番 作品9-2 変ホ長調
- 映画『愛情物語』に使われた有名な旋律。いわゆる通俗名曲として専門家によっては評価が低いが、生前ショパン自身はこの曲に愛着を感じていたともいわれ、ロベルト・シューマンの妻クララがショパンの曲を演奏した折、彼はお返しにこのノクターンを弾いたというエピソードが伝えられている。
- ノクターン 第20番[遺作] 嬰ハ短調
- 1830年に作曲されたが、1875年に出版されたため遺作とされる。映画『戦場のピアニスト』で有名になった。3分形式。中間部には、ピアノ協奏曲第2番 作品21から各楽章の断片的なモチーフと歌曲「願い」 作品74-1のモチーフを組み合わせられて構成されている。ショパンの姉のルドヴィカがピアノ協奏曲第2番を練習する時のために作曲したという説もある。
- 別れの曲 (12の練習曲 作品10-3 ホ長調)
- ショパン自身が「生涯でこれほど美しい旋律を書いたことはない」と語ったという。曲名は戦前のフランス映画(ないしドイツ映画。中身は初恋の人、コンスタンツィアとの別離を創作したもの)の邦題に由来。自筆譜のテンポ設定はヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポであり、近年このテンポで練習曲風に弾くピアニストも極僅かいるが、一般的には中間部のテンポ設定である。
- 革命のエチュード (12の練習曲 作品10-12 ハ短調)
- 祖国ポーランドの独立運動がロシア軍に弾圧されたという悲報を聞いて、作曲されたといわれている。革命というタイトルはフランツ・リストによって名付けられた。
- 木枯らしのエチュード (12の練習曲 作品25-11 イ短調)
- この曲はピアニストの持久力、器用さ、技巧を鍛える練習曲である。曲の最初はゆっくりとした主旋律のイントロダクションで始まり、その後の第一主題は荒々しく流れ落ちる16分音符の6連符と左手の跳躍で構成される。第二主題はそのままハ長調に移行して落ち着き、まもなく第一主題を反復する。フォルティッシモのコーダで終幕へ向かい、最後に主題の提示で終わる。
- 雨だれの前奏曲 (24の前奏曲集 作品28-15 変ニ長調)
- 中音部の変イ音が弱く、とぎれとぎれに全曲打ち続けられる(中間部は異名同音である嬰ト音)。中間部は低音部に一時旋律が移る。この曲もしくは同様な趣の同曲集第6番(ロ短調)は、マヨルカ島滞在中に大雨の中ジョルジュ・サンドが寺院に戻って来たところショパンが弾いていた曲とも言われている。
- ピアノソナタ第2番「葬送」 変ロ短調 作品35
- 1839年に作曲され1840年に出版された。第3楽章の「葬送行進曲」のみ1837年に作曲された。第3楽章に葬送行進曲を持つ。第4楽章が特に特徴的で、終始オクターブのユニゾンの楽曲である。全曲の劇的な構成ゆえ、ソナタという形式としては破綻をきたしているという評は作曲当時から聞かれた。
- 幻想曲 ヘ短調 作品49
- 1841年に作曲・出版された。ショパンの作品中唯一の幻想曲である。ジョルジュ・サンドとの喧嘩、仲直りを描いたと言われている。
- バラード第1番 ト短調 作品23
- 「バラード(譚詩曲)」は、6拍子を基調とした物語風の曲。シューマンはこの曲を気に入っていた。
- バラード第4番 ヘ短調 作品52
- ショパンの最後のバラードである。
- アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22
- 本来はピアノとオーケストラのための協奏作品である。最初の3分から4分は穏やかなアンダンテ・スピアナートによる序題がピアノ独奏により奏でられ、その後に華やかなポロネーズがオーケストラを伴って現れるが、元々オーケストレーションが和声的に未熟な部分があること、加えてオーケストラとの協奏部分が少ないため、現在ではピアノ独奏で演奏されることがほとんどである。
- 軍隊ポロネーズ イ長調 作品40-1
- 「ポロネーズ第3番」の通称。序奏がないため、いきなり主題から展開され、8小節単位で曲が進んでいきコーダもなく終了する。この曲の強弱はすべてフォルテ以上の強さである。1838年、マヨルカ島での静養の際に作曲されたといわれる。
- 英雄ポロネーズ
- 「ポロネーズ第6番変イ長調 作品53」の通称。ショパンのポロネーズのなかで、最も演奏される機会が多い曲。
- 幻想ポロネーズ 変イ長調 作品61
- 「ポロネーズ第7番」の通称。
- 舟歌 嬰ヘ長調 作品60
- 「舟歌」は、西洋では通常6拍子だが、ショパンはフレーズの長さを息長く、倍の12拍子とした。作曲されたころのショパンはサンドとの破局を翌年に控え、健康状態も芳しくなかった。この曲をパリで初演した際、ショパンは、楽譜上フォルテシモと表記されているコーダ部を、ピアニシモで消え入るように弾いたという。
- 子犬のワルツ(ワルツ 変ニ長調 作品64-1)
- ショパンのワルツのなかで、最も短くかつ最も演奏される機会が多い作品。速く細かい動きの旋律の主部が印象的。サンドの飼い犬が自分の尻尾を追いかけてくるくる回っている様子を描いたともいわれる。デルフィヌ(デルフィナ)・ポトツカ夫人に献呈されている。
- 幻想即興曲 嬰ハ短調[遺作]作品66
- 右手の速いパッセージが繰り広げられる典雅な主部と、歌謡的な旋律のトリオ部と短いコーダで構成される。1834年から1835年にかけて作曲されたが、ショパン亡き後の1855年に友人のユリアン・フォンタナが手を加え、『幻想即興曲』と名前をつけて出版された。この曲に関してショパン自身は友人に「この曲はベートーヴェンのソナタ『月光』を拝借して創った」と語っており、当時の批評家の酷評を恐れ生涯この曲を公開しなかったという。
作品
ショパンは、数多くのピアノの作品を残したが、その中には未知の作品や、原稿消失作品が複数あることが確認されている。
大曲よりは小品を好んで作曲したが、多楽章作品は数える程しか存在しない。ピアノ協奏曲に関しては評価が2つに分かれる。
ショパンの作品にはいろいろと逸話のあるものが多く、それらの中にはきちんと確証の持てないものも多い。サブタイトルは、ショパンが曲にタイトルを付けることを好まなかったため、ほとんどはショパン自身によるものではない。
ショパンは自分の作品に大きなこだわりを持っており、遺言で自分の未出版作品の破棄を希望していたが、その希望は受け入れられず、友人でもあったユリアン・フォンタナをはじめとするショパン研究者によって出版された。主な遺作には、幻想即興曲、レント・コン・グラン・エスプッレシオーネ 嬰ハ短調(ノクターン 第20番)などがある。
フォンタナは、ショパンの原稿に手を加え、また作曲年代に関係なく作品番号を付けて出版した。作品66から作品75は、フォンタナによって付けられた作品番号である。
なおショパンの作品の分類番号は2つあり、1つはKK(クリスティナ・コビラィンスカによる作品番号のついていない作品)とB(モーリス・ブラウンによる作品分類番号)の2つである。ヤン・エキエルは、彼自身が編纂しているナショナル・エディション(ショパン全集)の中で、作品番号の付いていない作品に限って、WN(Wydanie Narodowe = ナショナル・エディション)というエキエル独自の作品分類番号を記している。
ピアノ独奏曲
- マズルカ
- 4つのマズルカ 作品6
- 嬰ヘ短調 作品 6-1 / 嬰ハ短調 作品6-2 / ホ長調 作品6-3 / 変ホ短調 作品6-4
- 5つのマズルカ 作品7
- 変ロ長調 作品7-1 / イ短調 作品7-2 / ヘ短調 作品7-3 / 変イ長調 作品7-4 / ハ長調 作品7-5
- 作品6と作品7のマズルカ集は、フランスとドイツで1832年にそれぞれ同じ出版社から発表された。フランス初版では作品6に5曲、作品7に4曲収められたが、ドイツ初版では作品6に4曲、作品7が5曲となっている。ここでは、一般的と思われるドイツ初版の曲順で記される。
- 4つのマズルカ 作品17
- 変ロ長調 作品17-1 / ホ短調 作品17-2 / 変イ長調 作品17-3 / イ短調 作品17-4
- 4つのマズルカ 作品24
- ト短調 作品24-1 / ハ長調 作品24-2 / 変イ長調 作品24-3 / 変ロ短調 作品24-4
- 4つのマズルカ 作品30
- ハ短調 作品30-1 / ロ短調 作品30-2 / 変ニ長調 作品30-3 / 嬰ハ短調 作品30-4
- 4つのマズルカ 作品33
- 嬰ト短調 作品33-1 / ハ長調 作品33-2 / ニ長調 作品33-3 / ロ短調 作品33-4 (自筆譜の曲順)
- 4つのマズルカ 作品41
- ホ短調 作品41-1 / ロ長調 作品41-2 / 変イ長調 作品41-3 / 嬰ハ短調 作品41-4 (自筆譜の曲順)
- 3つのマズルカ 作品50 1841年から1842年にかけて作曲
- ト長調 作品50-1 / 変イ長調 作品50-2 / 嬰ハ短調 作品50-3
- 3つのマズルカ 作品56 1843年から1844年にかけて作曲
- ロ長調 作品56-1 / ハ長調 作品56-2 / ハ短調 作品56-3
- 3つのマズルカ 作品59 1845年作曲
- イ短調 作品59-1 / 変イ長調 作品59-2 / 嬰ヘ短調 作品59-3
- 3つのマズルカ 作品63 1846年作曲
- ロ長調 作品63-1 / ヘ短調 作品63-2 / 嬰ハ短調 作品63-3
- 4つのマズルカ 作品67
- ト長調 作品67-1 / ト短調 作品67-2 / ハ長調 作品67-3 / イ短調 作品67-4
- 4つのマズルカ 作品68
- ハ長調 作品68-1 / イ短調 作品68-2 / ヘ長調 作品68-3 / ヘ短調 作品68-4
- マズルカ イ短調 「ノートル・タン」 1840年から1841年にかけて作曲。
- 12人の作曲家たちの作品を収めたピアノ曲集「ノートル・タン」(我々の時代)の2番目にある。
- マズルカ イ短調 エミール・ガイヤール嬢へ 1840年作曲。1841年出版。
- マズルカ 変ロ長調 1826年作曲
- マズルカ ト長調 1826年作曲
- マズルカ ニ長調 1829年作曲
- マズルカ 変ロ長調 アレクサンドラ・ヴォウォフスカ嬢へ 1832年作曲
- マズルカ ハ長調 1833年作曲
- マズルカ 変イ長調 1834年作曲
- マリヤ・シマノフスカのアルバムの中に書かれていた。
- マズルカ ニ長調 作品番号なし
- 4つのマズルカ 作品6
- ワルツ
- 華麗なる大円舞曲 変ホ長調 作品18
- 3つのワルツ 作品34
- ワルツ 変イ長調 作品42 『大円舞曲』
- 3つのワルツ 作品64
- 変ニ長調 作品64-1 - 俗称 『小犬のワルツ』 / 嬰ハ短調 作品64-2 / 変イ長調 作品64-3
- 2つのワルツ 作品69
- 3つのワルツ 作品70
- ワルツ ホ短調 作品番号なし 1830年作曲
- ワルツ ホ長調 作品番号なし 1829年作曲
- ワルツ 変ホ長調 作品番号なし 1827年から1830年の間に作曲
- ワルツ 変イ長調 作品番号なし 1827年から1830年の間に作曲
- ワルツ 変ホ長調 作品番号なし 1840年作曲
- ショパンの自筆譜には、『ワルツ』ではなく、「ソステヌート」と表示されている。
- ワルツ イ短調 作品番号なし
- ワルツ 嬰ヘ短調 作品番号なし(未出版)
- 夜想曲(ノクターン)
- 3つの夜想曲 作品9
- 変ロ短調 作品9-1 (第1番) / 変ホ長調 作品9-2 (第2番) / ロ長調 作品9-3 (第3番)
- 3つの夜想曲 作品15
- ヘ長調 作品15-1 (第4番) / 嬰ヘ長調 作品15-2 (第5番) / ト短調 作品15-3 (第6番)
- 2つの夜想曲 作品27
- 嬰ハ短調 作品27-1 (第7番) / 変ニ長調 作品27-2 (第8番)
- 2つの夜想曲 作品32
- ロ長調 作品32-1 (第9番) / 変イ長調 作品32-2 (第10番)
- 2つの夜想曲 作品37
- ト短調 作品37-1 (第11番) / ト長調 作品37-2 (第12番)
- 2つの夜想曲 作品48
- ハ短調 作品48-1 (第13番) / 嬰ヘ短調 作品48-2 (第14番)
- 2つの夜想曲 作品55
- ヘ短調 作品55-1 (第15番) / 変ホ長調 作品55-2 (第16番)
- 2つの夜想曲 作品62
- ロ長調 作品62-1 (第17番) / ホ長調 作品62-2 (第18番)
- 夜想曲 ホ短調 (作品72-1 第19番)
- 「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」(夜想曲) 嬰ハ短調 作品番号なし 遺作 (第20番)
- 夜想曲 ハ短調 作品番号なし 遺作 (第21番)
- 3つの夜想曲 作品9
- バラード
- スケルツォ
- 前奏曲
- 前奏曲集(24の前奏曲集) 作品28
- 第15番:雨だれの前奏曲 変ニ長調
- 前奏曲 作品45 (嬰ハ短調)
- 作品番号なし (変イ長調)
- ショパンの自筆譜には、『前奏曲』ではなく「プレスト・コン・レジェレッツァ」とだけ記されている。
- 前奏曲 作品番号なし (変ホ短調) – 俗称 『トリル前奏曲』
- 前奏曲集(24の前奏曲集) 作品28
- 練習曲
- 12の練習曲 作品10
- 12の練習曲 作品25
- 第1番 変イ長調:『エオリアン・ハープ』『エオリアのハープ』(『牧童』『牧童の笛』)
- 第2番 ヘ短調
- 第3番 ヘ長調
- 第4番 イ短調
- 第5番 ホ短調
- 第6番 嬰ト短調 (3度のエチュード)
- 第7番 嬰ハ短調
- 第8番 変ニ長調 (6度のエチュード)
- 第9番 変ト長調:『蝶々』(「蝶々のエチュード」)
- 第10番 ロ短調 (オクターヴのエチュード)
- 第11番 イ短調:『木枯らし』(「木枯らしのエチュード」)
- 第12番 ハ短調:『大洋』(「大洋のエチュード」)
- 3つの新練習曲 - モシェレスとフェティス編纂の「メトード中のメトード」(Methode des methodes)のために 作品番号なし
- ヘ短調
- 変イ長調
- 変ニ長調
- ポロネーズ
- 2つのポロネーズ 作品26
- 2つのポロネーズ 作品40
- イ長調 作品40-1 『軍隊ポロネーズ』 / ハ短調 作品40-2
- ポロネーズ 嬰ヘ短調 作品44
- ポロネーズ 変イ長調 作品53 『英雄ポロネーズ』
- 幻想ポロネーズ 変イ長調 作品61
- 3つのポロネーズ 作品71
- ポロネーズ ニ短調 作品71-1
- ポロネーズ 変ロ長調 作品71-2
- ポロネーズ ヘ短調 作品71-3
- ポロネーズ ト短調 作品番号なし 1817年作曲
- ポロネーズ 変ロ長調 作品番号なし 1817年作曲
- ポロネーズ 変イ長調 作品番号なし 1821年作曲
- ポロネーズ 嬰ト短調 作品番号なし 1822年作曲
- ポロネーズ 変ロ短調 作品番号なし 1826年作曲
- ポロネーズ 変ト長調 作品番号なし 1829年作曲
- 即興曲
- ピアノソナタ
- 第3楽章が『葬送行進曲』であることから、「葬送ソナタ」、「葬送行進曲付き」と呼ばれる。
- 変奏曲
- ドイツ民謡「スイスの少年」の主題による変奏曲 ホ長調 作品番号なし
- 変奏曲 パガニーニの思い出 イ長調 作品番号なし
- ヘクサメロン 第6変奏 ホ長調 作品番号なし
- 1837年作曲。ベルリーニの歌劇「清教徒」の第2幕の行進曲の主題による変奏曲。ヴィーン初版の表紙の副題には「演奏会用作品・華麗なる大変奏曲」と記されている。ヘクサメロンとは、ギリシャ語で「6つの詩」という意味である。クリスティーヌ・ベルジョジョーゾ(旧姓トリヴルツィオ)王妃が企画したフランスに住むイタリア移民のための慈善コンサート用に、リスト、タールベルク、ピクシス、エルツ、チェルニー そしてショパンの6人の作曲家に依頼して作曲された。ショパンは第6変奏を担当。曲全体をまとめたのはリストである。また、リストは、オーケストラ用にも編曲している。
- 4手のための変奏曲 (ニ長調) 作品番号なし
- 1826年作曲。
- ロンド
- このうち『ロンド ハ長調』は、ショパン自身によって2台ピアノ用に編曲され、ショパン亡き後、友人のユリアン・フォンタナによって『ピアノ2台のためのロンド ハ長調 (作品73)』として出版された。
- 序奏と華麗なポロネーズ ハ長調 (ピアノ独奏ヴァージョン)
- チェロとピアノのための2重奏曲からのショパン自身による改作。
- ボレロ ハ長調 作品19
- アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22(ピアノ独奏ヴァージョン)
- ピアノとオーケストラのための協奏作品からの改作。
- タランテラ 変イ長調 作品43
- アレグロ・ド・コンセール演奏会用アレグロ イ長調 作品46
- 幻想曲 ヘ短調 作品49
- 子守歌 変ニ長調 作品57
- 舟歌 嬰ヘ長調 作品60
- 葬送行進曲 ハ短調 (作品72-2)
- 3つのエコセーズ (作品72-3)
- ニ長調
- ト長調
- 変ニ長調
- ショパンの自筆譜の曲順では、
- ト長調
- 変ニ長調
- ニ長調
- 『春』 ト短調 (ピアノ独奏ヴァージョン)
- 歌曲「春」 (作品74-2)からのショパン自身による改作。
- フーガ イ短調
- ラルゴ 変ホ長調
- 作曲当初、「前奏曲集 作品28」の19曲目に組み入れる予定であったという説もある。
- ソステヌート 変ホ長調
- カンタービレ 変ロ長調
- モデラート (アルバムの一葉) ホ長調
- コントルダンス (変ト長調)(疑作?)
- 2つのブーレ
- I. ト長調 II. イ長調
- ギャロップ・マルキ (変イ長調)
- アレグレットとマズル (マズール) ("アレグレット" 部分は、イ長調→イ短調、"マズル" 部分は、ニ短調)
- アレグレット (嬰ヘ長調)
- ポーランド国歌『ポーランドいまだ滅びず』(ドンブロフスキのマズルカ)のピアノ独奏用編曲・リフレーン部分のみ (変ロ長調)
- 原曲は、ヘ長調であるが、ショパンは変ロ長調で書いている。
- カノン ヘ短調
- 未完成作品である。「オクターヴのカノン」ともいわれる。
ピアノとオーケストラのための楽曲
- ピアノ協奏曲
- 第1番 ホ短調 作品11 (1830年作曲。1833年に出版)
- 第2番 ヘ短調 作品21 (1829年から1830年にかけて作曲。1836年に出版)
- アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22
- 流麗なアンダンテ・スピアナートが単純ながらト長調の美しい前奏を務めている。本体の「華麗なる大ポロネーズ」は変ホ長調。ピアニスティックな技巧を十二分に発揮している。本来は管弦楽との協奏曲であるが、ピアノ・ソロで演奏される方が多い。ソナタ形式に近い三部形式。
- ラ・チ・ダレム変奏曲(モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の中のアリア『お手をどうぞ(ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ)』の主題による) 変ロ長調 作品2
- ポーランド民謡による大幻想曲 イ長調 作品13
- ロンド・クラコヴィアク(ロンド・ア・ラ・クラコヴィヤク) ヘ長調 作品14
室内楽曲
- チェロとピアノのための作品
- チェロソナタ ト短調 作品65 1845年から1846年にかけて作曲。
- 序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3 1829年から1830年にかけて作曲。
- マイアベーアの歌劇『悪魔ロベール』の主題による大二重奏曲 作品番号なし 1831年から1832年にかけて作曲。
- ピアノ三重奏曲 ト短調 作品8 1828年から1829年にかけて作曲。
- ロッシーニの歌劇『シンデレラ』の主題によるフルートピアノのための二重奏曲 作品番号なし(偽作?)
歌曲
- 17の歌曲 作品74(歌とピアノ)
- 「願い」(「乙女の願い」とも呼ばれる) ト長調
- 「春」 ト短調 1838年作曲
- 「悲しみの川」 嬰ヘ短調 1831年作曲
- 「酒宴」(「浮かれた女」とも呼ばれることがある。) ハ長調 1830年作曲
- 「好きな場所」 イ長調
- 「消え失せよ・・・」 ヘ短調 1827年に作曲され、後年(1830年頃)改作された。
- 「使者」 ニ長調 1831年作曲
- 「美しき若者」 ニ長調 1841年作曲
- 「メロディー」 ホ短調 1847年作曲
- 「つわもの」 変イ長調 1831年作曲
- 「二つの死」 ニ短調 1845年作曲
- 「我がいとしき人」 変ト長調
- 「なくてはならぬもののなき」 イ短調 1845年作曲
- 「指輪」 変ホ長調 1836年作曲
- 「許婚」 ハ短調 1831年作曲
- 「リトアニアの歌」 ヘ長調
- 「舞い落ちる木の葉」 変ホ短調 1836年作曲
- 魔力 ニ短調
- 原題である”Czary”は、「魔力」の他に「魅惑」と訳されることもある。
- ドゥムカ イ短調 1840年作曲
- 17の歌曲 作品74の13曲目「なくてはならぬもののなき」と同じ ザレスキ 作の詩に作曲された。こちらの方が5年前に書かれていて、調性も同じであることから、13曲目の原曲と考えられる。
- マズル『どんな花』 ト長調 1829年作曲
- ピアノ伴奏はなく、詩と旋律のみの歌曲である。
- ベルリーニ作曲の歌劇「ノルマ」のカヴァティーナ「カスタ・ディーヴァ(清らかなる女神)」とアリア「愛しい人よ、我が元へ」のためのピアノ伴奏 (未完)
- 原曲は、ヘ長調であるが、ショパンはホ長調で書いている。ショパンの弟子で、歌手のポーリーヌ・ヴィアルドの私的な伴奏のために書かれたと考えられる。
未知の作品、原稿消失作品
- マズルカ(4曲、調性不明)
- マズレク (調性不明)
- ポロネーズ(3曲、調性不明)
- ワルツ(4曲、調性不明)
- コントルダンス 変ホ長調
- コントルダンス 変ロ長調
- 舞曲 (調性不明)
- アンダンテ・ドレンテ 変ロ短調
- 行進曲 変ロ短調
- 行進曲 ヘ短調
- 行進曲(調性不明)
- 軍隊行進曲 1817年作曲(調性不明)
- 吹奏楽ヴァージョンの楽譜が存在したが、ショパン自身のものかどうかは不明である。
- 2つの小品
- I 前奏曲 (ヘ長調)
- II アンダンティーノ (ニ短調)
- 変奏曲 (調性不明)
- レント (調性不明)
- 3声のカノンのコントラバス・パート(F.メンデルスゾーンによる)1832年4月に作曲。
- 4手のためのソナタ (全4楽章)
- 4手のための変奏曲 (ヘ長調)
- 「主よ、来たりませ」
- エオロパンタレオンのための2つの作品
- 2つの教会音楽
- 歌曲 (5曲、題名及び調性不明)
- アントニ・ラジヴィウによる歌とピアノのための作品 1830年作曲
- 2つの歌 1840年作曲
- I Czule serce
- II Dawniej Polak
他者による編曲
オーケストラ
特に有名なものとして、いくつかの楽曲がオーケストレーションを施されまとめられ数種のバレエ音楽が存在する。
- ラ・シルフィード(La Sylpheede) - 1835年初演のバレエ曲目。
- レ・シルフィード(Les Sylpheedes) - 1909年初演のバレエ曲目。バレエ演目としてのショパンの編曲では最も有名なもの。編曲者は多数にわたるが、次項のグラズノフを含む。
- ショピニアーナ(Chopiniana) - グラズノフ編曲によるもの。バレエ音楽としての『レ・シルフィード』そのものを指す場合と、『レ・シルフィード』からグラズノフの編曲によるものをさらに抜粋した演奏会用組曲を指す場合がある。英雄ポロネーズや軍隊ポロネーズ、ノクターンやマズルカなどにオーケストレーションが施されている。
ピアノ曲
楽譜
ポーランド音楽出版社(パデレフスキ版およびエキエル版)やヘンレ社やペータース社などの原典版楽譜では、ショパンの自筆譜とフォンタナやその他の編集者による楽譜が掲載されており比較することができる。
- ポーランド音楽出版社 (PWM = Polskie Wydawnictwo Muzyczne )版
- ショパン全集 (全27巻) イグナツィ・ヤン・パデレフスキ編集。通称 「パデレフスキ版」または「クラクフ版」
- 全27巻の中から1曲または数曲を収めたピース版と作品選集も刊行されている。
- ショパン・ナショナル・エディション財団(FWN = Fundacja Wydania Narodowego Dziel Fryderyka Chopina )版
- ショパン全集 (全37巻) ヤン・エキエル編集。通称「エキエル版」または「ナショナル・エディション」 (現在刊行中・2010年完結予定)
- 1995年に装丁デザインが変更された。
- ペータース社版
- ブロニスラウ・フォン・ポツニアク (ブロニスワフ・プズニャク)とヘルマン・ショルツ編集
- ショパン全集・新校訂による原典版 (ロンドン・ペータース社から現在刊行中)
- ウィーン原典版
- ヤン・エキエル編集。エチュード集のみパウル・バドゥラ=スコダ編集
- ヘンレ社原典版 (通称「ヘンレ版」)
- サラベール社版(アルフレッド・コルトーによる校訂、通称 「コルトー版」)
- デュラン社版(ガブリエル・フォーレおよびクロード・ドビュッシーによる校訂)
ショパン国際ピアノコンクール
ショパンは、第一次世界大戦で解放されるまで他国によって虐げられたポーランド人の誇りである。大戦後ポーランド人は、ショパンの名を冠した国際ピアノコンクールを、ショパンの誕生日を中心とした期間に開催することにした。現在国際音楽コンクールは数多く開催されているが、このショパンコンクールは現在も続く国際音楽コンクールの中では最古のものである。
5年に一度の、ショパンコンクールは、現在では10月17日のショパンの命日を中心とした期間開かれ、公式日程のほか、市民が気に入ったピアニストを(たとえ予選で落ちた者でも)私的に囲んで演奏会を催したり、期間中遠方からの参加者がピアノを貸してくれる市民宅に逗留したりするなどのイベントが開催されている。1990年の第12回と1995年の第13回と2大会続いて第1位優勝者が輩出されないという状況であったが、2000年の第14回コンクールにおいて中国のユンディ・リが15年ぶりに優勝した。2005年の第15回コンクールの模様はインターネットで全世界に配信された。この回、初の試みとして、書類選考を通過した参加者全員をワルシャワへ呼び集め、テープやビデオ審査ではなく、生演奏による「予備審査」が導入されたが、2つの会場で同時にコンクール予備審査が行われるという、審査方法は、問題となった。
主なショパン演奏家(ピアニスト)
- ヴラディーミル・アシュケナージ
- クラウディオ・アラウ
- マルタ・アルゲリッチ
- シプリアン・カツァリス
- ウィリアム・カペル
- アルフレッド・コルトー
- ヴラディーミル・ソフロニツキー
- イグナツィ・ヤン・パデレフスキ
- クリスティアン・ツィメルマン
- ゲンリッヒ・ネイガウス
- スタニスラフ・ネイガウス
- スタニスラフ・ブーニン
- サンソン・フランソワ
- ラファウ・ブレハッチ
- イーヴォ・ポゴレリチ
- マウリツィオ・ポリーニ
- アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
- アルトゥール・ルービンシュタイン
- ジャン=マルク・ルイサダ
- ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ
- 小山実稚恵
- 中村紘子
- リ・ユンディ
- ダン・タイ・ソン
- ウラディミール・ホロヴィッツ
メディア
フレデリック・ショパンが題名及び歌詞に出てくる楽曲
- アイ・ライク・ショパン - ガゼボ
- 雨音はショパンの調べ - 小林麻美 (「アイ・ライク・ショパン」の日本語カバー)
- ゆうこ - 村下孝蔵
- 夜曲- ジェイ・チョウ(収録アルバム名「十一月的蕭邦(11月のショパン)」)
関連項目
- ジョルジュ・サンド
- シャルル=ヴァランタン・アルカン
- ウジェーヌ・ドラクロワ
- カール・ミクリ
- フランツ・リスト
- ロベルト・シューマン
- エクトル・ベルリオーズ
- カール・ツェルニー
- ショパン (小惑星) - 小惑星番号3784の小惑星。
- ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港 - ショパンにちなみ命名された。
外部リンク
- Public domain scores Printable Chopin's Scores + Audio
- 日本ショパン協会
- Classic Cat - Chopin mp3s
- フレデリック・ショパンの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト