サンソン・フランソワ

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サンソン・フランソワ
François Harcourt 1948.jpg
サンソン・フランソワ(1948年)
基本情報
生誕 (1924-05-18) 1924年5月18日
ドイツの旗 ドイツ国フランクフルト・アム・マイン
出身地 フランスの旗 フランス
死没 (1970-10-22) 1970年10月22日(46歳没)
学歴 パリ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

サンソン・フランソワSamson François, 1924年5月18日フランクフルト・アム・マイン - 1970年10月22日パリ)は、第二次世界大戦後のフランスにおける代表的なピアニストの一人である。主に、ショパンドビュッシーラヴェルの演奏を得意とした。

生涯[編集]

フランス人の両親の間にドイツで生まれる[1]。5歳でピアノを始め、早くから天才といわれた。1934年、一家でニースに戻った時、アルフレッド・コルトーに見出されて1936年エコールノルマル音楽院に入学、1938年にはパリ音楽院に入学後はマルグリット・ロンイヴォンヌ・ルフェビュールに師事。ロンの最後の生徒の一人であったが、彼の態度はいたずらっ子のような様相を呈していて従順ではなかったため、ロンも手を焼いたという。その後1940年に音楽院を首席で卒業した。

1943年に第1回のロン=ティボー国際コンクールで優勝した。その後1947年アメリカデビューを飾り、その後も各地で演奏活動を行う。

ドビュッシーのピアノ作品全集を完了する直前、心臓発作のため急死した。46歳没。亡くなった日(以後)も、レコーディングの予定が組まれていた。

人物[編集]

デビュー直後は好きと決めた作品なら徹底的に勉強した。「ベートーヴェンは生理的に嫌で受け付けない。モーツァルトなら受け入れてやっても良い」などの発言も残っている。

師匠のマルグリット・ロンによれば、「彼の好きじゃない曲はびっくりするほど練習をせずにレッスンに来た」と言う。

フランソワは、酒を愛した人であった。また、タバコも愛し、「酒はやめるがタバコはやめられない」と妻に語ったことがあり、健康を害していても愛するクラヴァンというタバコを嗜み続けた。

Josette Bahvsarと結婚し一人息子Maximilien[2]を儲けたが、この二人はすでに故人である。

脚注[編集]

  1. ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、158ページ、ISBN 4-7872-7208-x
  2. ^ François, Maximilien-Samson, Samson François, histoire de… mille vies (1924-1970). Editions Bleu Nuit (2002). ISBN 2-913575-54-4 (in French)