高須基仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Bcxfubot (会話 | 投稿記録) による 2022年11月3日 (木) 19:23個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (外部リンクの修正 (www.tokyo-sports.co.jp) (Botによる編集))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

たかす もとじ
高須 基仁
生年月日 (1947-12-09) 1947年12月9日
没年月日 (2019-09-17) 2019年9月17日(71歳没)
出生地 日本の旗 日本静岡県掛川市
国籍 日本の旗 日本
学歴 中央大学法学部法律学科
職業 出版プロデューサー
実業家
所属 モッツ出版
高須基一朗(子息)
親族 高須沙知子(姪)
公式サイト
モッツ出版オフィシャルサイト

高須 基仁(たかす もとじ、1947年昭和22年)12月9日 - 2019年令和元年)9月17日)は、日本出版プロデューサーで、モッツ出版株式会社の代表取締役。息子は編集者格闘技ライター高須基一朗。姪はフリーアナウンサー高須沙知子

経歴・人物

静岡県掛川市出身[1]静岡県立掛川西高等学校[2]中央大学法学部卒業[3]。中央大学在学中は銀座松屋おもちゃ売場でアルバイトをしながら[2]全学連活動家として学生運動に従事[4]1968年(昭和43年)の10・21国際反戦デーで、丸太を片手に防衛庁(現・防衛省)への侵入を図り、凶器準備集合罪公務執行妨害の嫌疑で逮捕される[4]

大学を卒業後、玩具メーカーのトミーに入社[5]トミカプラレールUNOなどの商品に携わる。1983年(昭和58年)にはUNOをヒットさせた功績で、サラリーマンながら玩具専門誌「トイジャーナル」の表紙を飾った[6]。しかし、任天堂が発売したゲーム&ウオッチに衝撃を受け36歳でトミーを退社。最後の肩書はマーケティング本部長だった。その後、芸能事務所、制作プロダクションの経営を経て、1992年平成4年)にモッツ出版を設立。

島田陽子天地真理などのヘアヌード写真集をプロデュースし、「ヘアヌード仕掛け人」「脱がせ屋」「毛の商人」とも呼ばれた。熟女にこだわる理由について、「女性の人生はカラダに出る。妊娠線帝王切開線は女の勲章。垂れ乳、下がり尻、三段腹は三種の神器だ。女体からにじみ出る人生こそが究極の“美”だ」と語っていた[7]

激高しやすい性格で、ロフトプラスワンなどのトークイベントで暴れる姿がよく見られた。特に田代まさしの出所会見イベントに乱入した様子はインターネット上のニュースサイト、動画サイトなどで取り上げられるなど拡がりを見せた。

人生の節目を拓郎とともに過ごしてきたと話す吉田拓郎の大ファンだった[8]

2019年(令和元年)9月17日、肺がんのため東京都内の病院にて死去[9]。71歳没。

2019年(令和元年)10月30日、佐藤昇主催の高須基仁を偲ぶ会が行われた[10]

2019年(令和元年)11月25日、ぴあ創業者の矢内廣が代表の高須基仁を偲ぶ会が行われた[11]

手掛けた主なヌード写真集

メディア出演

主催イベント

  • 熟女クイーンコンテスト 2006年10月28日に第1回開催。以降、2019年3月3日開催の第25回[14]まで不定期で実施。
  • 萌えクイーンコンテスト 2011年1月8日に第1回開催。以降、2018年5月3日開催の第7回まで不定期で実施。大会公式HP

著書

  • 『エロス・ジャンキ- 究極対談』(リム出版新社 1999年)
  • 『美女が脱ぐ瞬間(とき)ヘアヌード写真集の舞台裏』(リム出版新社 1999年)
  • 『美女のつぶやき ヘアヌード写真集仕掛人日誌』(芳賀書店 2000年)
  • 『散骨』(光文社 2002年 のち文庫(小説))
  • 『毒舌対談 美女のエロスをさぐる』(リム出版新社 2002年)
  • 『号外!口害!高須新聞』(日本出版社 2004年)
  • 『毛(ヘア)の商人 ヘアヌードの仕掛人が暴露する、女優・タレント(秘)話』(コアマガジン 2004年)
  • 『美神(ビーナス)たちの裸心 脱がせ屋モッツ高須 アイドル、ハダカにしちゃいました!』(ゴマブックス 2005年)
  • 『危機突破の「駆け引き」術 修羅場・土壇場を切り抜ける』(日本文芸社 2006年)
  • 『高須新聞縮刷版』(鹿砦社 2008年)
  • 『くそったれ!!』(三才ブックス 2008年)
  • 『私は貝になりたい』(モッツ出版 2008年)
  • 『芸能通信簿 あの出来事、あの人のもう一つの真実とは!?』(静岡新聞社 2009年)
  • 『国粋ニッポン闘議』(春日出版 2009年)
  • 『人たらしの極意』(春日出版 2009年)
  • 『恥の大辞典』(トーキョーマイメイツパワー 2009年)
  • 『飲んで暴れて惚れて』(三才ブックス 2011年)
  • 『悪名正機(アウトサイダー十三人の話)』(金曜日 2012年)
  • 『慶應医学部の闇―福澤諭吉が泣いている』(展望社 2014年)
  • 『新国粋ニッポン闘議―高須基仁対談集』(展望社 2015年)
  • 『病める海のまち・闇―東日本大震災最大の被災地・石巻』(展望社 2016年)
  • 『ボウフラが女肌(はだ)を刺すよな蚊になるまでは、泥水呑み呑み浮き沈み―美女が脱ぐ瞬間Part2』(モッツ・コーポレーション 2019年)

DVD

  • 悪役プロデューサー高須基仁 ロフトプラスワン全記録Vol.1(LOFT CINEMA)
  • 高須基仁プロデュース 熟女クイーンコンテストVol.1〜Vol.9総集編(LOFT CINEMA)

脚注

  1. ^ 高須基仁さん<1>プラレールを大ヒットさせた“逆転の発想” (1/3)”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ (2018年9月4日). 2020年3月1日閲覧。
  2. ^ a b 高須基仁さん<1>プラレールを大ヒットさせた“逆転の発想” (2/3)”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ (2018年9月4日). 2020年3月1日閲覧。
  3. ^ 高須基仁さん<5>少子化でオモチャの需要が減り続け残念
  4. ^ a b 高須基仁さん<1>プラレールを大ヒットさせた“逆転の発想” (3/3)”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ (2018年9月4日). 2020年3月1日閲覧。
  5. ^ 高須基仁さん<2>学生運動があの大ヒットゲームを生んだ (1/3)”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ (2018年9月5日). 2020年3月1日閲覧。
  6. ^ 高須基仁さん<3>ゲーム&ウォッチ出現で玩具業界去る決意
  7. ^ 高須基仁氏が狙う熟女ヘア 76歳・三田佳子&71歳・塚原千恵子氏を指名
  8. ^ 高須基仁のメディア国士無双 拝啓、吉田拓郎様への見舞い状「元気ですか?」(Internet Archive)、吉田拓郎のバックで篠原ともえが歌う姿を見たい! 高須基仁 人たらしの極意 吉田拓郎のがん告白に衝撃 生きていくって「どうしてこんなに悲しいんだろう」
  9. ^ "ヘアヌード写真集仕掛け人、高須基仁さん死去 71歳". ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 18 September 2019. 2019年9月18日閲覧
  10. ^ 高須基仁を偲ぶ会週刊報道サイト 2019年10月30日
  11. ^ “最後の無頼派”「高須基仁さんを偲ぶ会」が開かれる日刊ゲンダイ 2019年11月26日
  12. ^ “ヘアヌード仕掛け人”高須基仁さん死去…肺がんが脳など「50か所」に転移
  13. ^ 「絶夜 LiLiCo写真集」出版!「前夜」の反省は何だった
  14. ^ ただし、第16回の1年後に第20回が行われているので、ナンバリングの誤記と思われる。(会場であるロフトプラスワンのバックナンバーを参照)

外部リンク