高部知子

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たかべ ともこ
高部 知子
本名 高部 知子
生年月日 1967年8月25日(41歳)
出生地 東京都文京区
国籍 日本
民族 日本人
血液型 B型
職業 女優
活動期間 1980年
主な作品
積木くずし


高部 知子(たかべ ともこ、1967年8月25日 - )は、東京都文京区出身の女優身長160cm、血液型B型。堀越高等学校卒業。2006年には慶應義塾大学文学部哲学科通信教育課程卒業。現在2児の母親である。極度の近眼

目次

[編集] 経歴

[編集] デビューから「積木くずし」まで

幼少期病弱で、読書が趣味だった。一方で読んだ書物の登場人物になりきって演技を試みる癖があった。たまたまプロダクションスカウトされ、1980年NHKテレビドラマガラスのうさぎ』でデビュー。1982年テレビ朝日欽ちゃんのどこまでやるの!?」で「萩本家の愛娘」3人で構成されたユニットわらべ長女・のぞみを演じ大人気となった。1983年には穂積隆信の家族で実際に起きた非行問題をまとめたノンフィクションをドラマ化した『積木くずし~親と子の200日戦争』で主人公不良少女役を熱演。大ブレークを果たした。

[編集] ニャンニャン事件

詳細は、ニャンニャン事件を参照。

人気絶頂の最中の1983年6月、高部がベッドで裸体に布団を掛けた状態で煙草を咥えた様子を捉えた写真が写真週刊誌FOCUSに掲載され、性行為疑惑と未成年喫煙疑惑が浮上(ニャンニャン事件)。この影響で高部は出演中のテレビ・ラジオ・CM全てを降板。主演予定だった劇場版『積木くずし』も代役が立てられ[1]堀越高校を無期停学になり謹慎を余儀なくされた。このスキャンダルによって、清純な少女タレントというイメージが決定的に壊れてしまった。事件当初高部は欽どこファミリーを謹慎するという扱いだったが、その後に完全に降板(わらべからも除名)となった[2]。以降、わらべは残りの二人(倉沢淳美高橋真美)だけで活動することになり、それを見栄晴真屋順子らが欽どこファミリーとしてバックアップした。

[編集] 謹慎明け以降

やがて高部は無期停学処分が解け、学業に専念する姿がたびたび目撃されていた。しかし芸能ニュース等で大きな話題になることもなく、大衆にとって忘れられた存在になっていた。芸能活動の謹慎が解けた後、1984年に1年3ヶ月ぶりにTBS系の連続テレビドラマ『転校少女Y』の主役で本格復帰[3]。また、岡村孝子のバックアップを受けてソロ・アルバムを吹き込んだが大きな話題とはならなかった。

堀越高校卒業後、22歳で幼馴染コンビニ店長の男性と結婚し、芸能界を引退鶯谷にあるコンビニファミリーマートの経営を手伝っていたのち2人の子供をもうける。しかしの度々の浮気の後コンビニアルバイト女子高生との浮気発覚、夫は女子高生の元に行ってしまい離婚する。その後再婚するが、また離婚。1999年芸能界に本格的に復帰し局部ピアスをつけたヌード写真集を発表する。2001年には官能ビデオ「パラノイア」に出演している[4]

2000年に入学した慶應大学文学部哲学科通信制[5]を卒業し、2008年4月には精神保健福祉士を目指して、福祉系大学通信制に入学した[6]

[編集] 出演作品

[編集] テレビドラマ

[編集] 単発ドラマ

[編集] バラエティ番組

[編集] 映画

  • 姐御(1988年、東映)

[編集] その他

[編集] 著書

[編集] 関連人物

[編集]  参考文献

  • 宝泉薫「くずれっぱなしの病理 高部知子、穂積由香里の積木くずし」『芸能界一発屋外伝』彩流社、1999年
  • 深井一誠「昭和芸能史13の事件簿 高部知子 ニャンニャン写真の波紋」『新潮45』2005年9月号、新潮社

[編集] 脚注

  1. ^ 『芸能界一発屋外伝』p。125.
  2. ^週刊女性1983年9月27日号の萩本欽一の発言(宝泉薫「わらべ "古きよき子供"たちが演じた三人三様の明と暗」『オルタブックス004 アイドルという人生』メディアワークス、1998年、pp.76-79.)によれば、高部の元恋人が事件の余波で自殺し、元恋人の家族に配慮するという理由。
  3. ^ 『TV青春白書~僕たちの卒業アルバム~』東京ニュース通信社1995年、p.134。
  4. ^ 『新潮45』2005年9月号。
  5. ^ 水道橋博士水道橋博士の「博士の悪童日記」2000年4月20日
  6. ^ 「趣味は民俗学「高部知子」は神田「古書店街」で有名人」『週刊新潮2008年5月1日・8日合併剛、新潮社

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク