高島 (横浜市)

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高島
高島町交差点から高島を望む (2010年5月4日)
高島町交差点から高島を望む
(2010年5月4日)
高島の位置(神奈川県内)
高島
高島
北緯35度27分43秒 東経139度37分21秒 / 北緯35.46194度 東経139.62250度 / 35.46194; 139.62250
日本
都道府県 神奈川県
市町村 横浜市
行政区 西区
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
220-0011
ナンバープレート 横浜

高島(たかしま)は神奈川県横浜市西区の地名。高島一丁目と高島二丁目から成る。駅名や交差点名にも使われ、このあたりを高島町と呼ぶこともあるが、1966年昭和41年)5月1日住居表示施行前の町名は表高島町、高島通、桜木町、内田町、西平沼町および平沼町であり、高島町という町名は神奈川区内に存在したが、こちらは1932年(昭和7年)1月1日に廃止されている。

概要

高島一丁目の大部分と高島二丁目の国道1号より東側はみなとみらい地区として、現在再整備が進められている。また、高島二丁目は横浜駅東口の商業地にもなっており、前述の国道1号より東側の区域には百貨店そごう横浜スカイビルがあり、その他の区域には郵便局専門学校雑居ビルオフィスマンションなどが所在している(詳細は「#高島二丁目」を参照)。

歴史

1874年の海図
左上の入海(平沼と記載)と海に挟まれている帯状の土地が高島町
(海図はクリックで拡大可)

江戸時代までは、袖ヶ浦と呼ばれる入海であった(詳細は「平沼 (横浜市)」を参照)。当地を含む周辺一帯の地域では、ここでも述べるように海岸)の埋め立てを度々行うことで土地を拡大してきた歴史がある[1]

1871年明治3年)、鉄道敷設のために野毛浦から神奈川宿・青木海岸を結ぶ長さ1,400m、幅65mを帯状に埋め立て築堤[1]。幅9mを鉄道用地とするほかは、埋め立て事業者の高島嘉右衛門に貸与され、高島町と命名された。1872年(明治4年)に横浜駅(現桜木町駅) - 新橋駅(後の汐留駅)間で鉄道が営業開始すると周辺も繁栄、町の入海側は順次埋め立てられてゆき、そこに現在の横浜市街が形成された。

その後、旧表高島町[注 1]の埋め立て[1]により貨物線(通称高島線)が敷かれ、1913年大正2年)には高島駅・高島ヤードが造られた[2][3]。さらに、1921年(大正10年)より高島駅の東側も埋め立てられ[1]関東大震災による工事の中断もあったが、1930年(昭和5年)には高島埠頭[注 2]の一号桟橋が完成している[4][注 3](その後、最終的には三号桟橋まで造られている)[5][6]

1980年代に入ると、高島駅・高島ヤード(高島駅の営業としては1995年まで存続)および高島埠頭はその役目を終えており、それらの東側などでは更なる埋め立ても実施されている[1]。現在この地域一帯では、1983年(昭和58年)に着工された「横浜みなとみらい21」事業により再整備が進行している。

沿革

町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(各町名、埋立地ともその一部)
高島一丁目 1966年5月1日 表高島町、高島通および内田町
高島二丁目 高島通、桜木町、西平沼町および平沼町
みなとみらい四丁目 1989年10月2日 高島一丁目、緑町、高島一丁目に隣接する公有水面埋立地、緑町に隣接する公有水面埋立地、高島一丁目地先の公有水面埋立地
みなとみらい五丁目 2005年10月31日 高島一丁目
みなとみらい六丁目 高島一丁目、みなとみらい五丁目

高島一丁目

みなとみらい地区の55-58および66・67街区として開発が進められている。66・67街区は下記の通り開発が完了しているが、55-58街区では55街区の一部で鶴見歯科学園の新校舎、57街区の一部で横浜市立の小学校2018年度から10年間限定設置)の開発が計画されているものの、その他の区画における事業主体は2014年10月現在未定で、今後の公募により決定される見通しである。なお、ハートケア横浜やグランシティみなとみらいなどがある南西側の区画は、みなとみらい地区(開発エリア)に含まれていない。

高島二丁目

東西に帷子川が流れ、南北に国道1号首都高速横羽線が通っている。国道1号の東側、そごうやスカイビルのある一角は出島地区とも呼ばれ、みなとみらい地区計画における「68街区(横浜駅東口地区)」となっている。帷子川より南側はマンションやオフィスビルが目立つ。また、高島二丁目(全域)は横浜駅周辺における再開発計画「エキサイトよこはま22」の対象エリア(センターゾーン・平沼地区に該当)にも含まれている。

なお、横浜市営地下鉄高島町駅の所在地は、隣接する西区花咲町となる。

高島二丁目地区再開発事業

2007年には高島二丁目地区の再開発事業[11]により、複合ビル「ファーストプレイス横浜」が完成・開業した[12]オフィス商業住宅の複合施設で、7階以上の高層がタワーマンションの「パークタワー横浜ステーションプレミア」となっている。

同ビルは周辺の再開発エリアからの歩行者動線の中継地点にあり、みなとみらい地区(キング軸)とは国道1号を渡る「高島二丁目歩道橋」で接続されている[13]。また、横浜駅東口方面(東口地区開発「ステーションオアシス」、現在の横浜中央郵便局付近)とも将来的(2020年目安)に「万里歩道橋」を延伸することにより、デッキレベルで接続する計画となっている。周辺エリアでの再開発の進捗により完成予定時期は変動するが、これらの歩道橋は同ビルを経由して横浜駅東口方面とみなとみらい地区を接続するペデストリアンデッキ(歩行者動線)の一部として計画されたものである[14]

高島町交差点

国道1号標識
国道1号標識
国道16号標識
国道16号標識
神奈川県道13号標識

高島町交差点(たかしまちょうこうさてん)は、神奈川県横浜市西区高島二丁目にある交差点である。国道16号の起終点であり、神奈川県道13号横浜生田線の起点でもある。(北緯35度27分34秒 東経139度37分24秒 / 北緯35.459431度 東経139.623419度 / 35.459431; 139.623419 (高島町交差点)

交差点の概要

  • 北北東 - 国道1号(東海道)
  • 南南西 - 国道1号国道16号(東海道)
  • 南南東(北側) - 国道16号(横須賀街道)、
  • 南南東(南側) - 桜川新道(新横浜通り
  • 北西 - 神奈川県道13号横浜生田線(新横浜通り)
    • 国道1号が当交差点をアンダーパスしている。
    • 南南東側の国道16号からは、国道1号戸塚方面及び横浜生田線への左折・直進不可。また、桜川新道からは国道1号東京方面への右折不可。

脚注

注釈

  1. ^ 現在の高島一丁目およびみなとみらい五・六丁目の西側一部に該当する。
  2. ^ 現在のみなとみらい四・五丁目の東側一部に、新たに造成された埠頭
  3. ^ 『横浜中区史』(1985年2月発行)の地区編付録「横浜港」 (PDF) では、昭和4年1929年7月に竣工したとの記載がある。

出典

  1. ^ a b c d e 横浜駅周辺の地形図変化(明治〜平成)(Old Map Room)
  2. ^ 東海道本線貨物支線 高島駅(週刊 横濱80's 2012年10月7日
  3. ^ 横浜機関区の終焉(レールメカの巣 2012年10月
  4. ^ 横浜港の歴史(横浜港の歴史年表)(横浜市港湾局)
  5. ^ 高島埠頭(週刊 横濱80's 2012年6月3日
  6. ^ 高島埠頭の市営上屋(週刊 横濱80's 2013年5月19日
  7. ^ 同年5月27日、自治省告示第93号「住居表示が実施された件」
  8. ^ 1991年(平成3年)4月19日、自治省告示第90号「住居表示が実施された件」
  9. ^ 2006年(平成18年)9月1日、総務省告示第482号「住居表示が実施された件」
  10. ^ みなとみらい21地区で町区域の変更を実施(横浜市都市整備局)[リンク切れ]
  11. ^ 高島二丁目地区第一種市街地再開発事業(横浜市都市整備局)
  12. ^ 横浜駅東口に再開発高層ビルが完成-MM21へのアクセス向上(ヨコハマ経済新聞 2007年12月5日)
  13. ^ 高島二丁目歩道橋がオープンしました!(横浜市都市整備局 2008年9月12日作成)
  14. ^ 横浜駅東口、万里歩道橋が利用されない理由とは?(はまれぽ.com 2011年12月5日)

関連項目