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野蒜駅

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野蒜駅*
駅舎
- 2007年平成19年)9月当時
のびる
Nobiru
東名 (1.6 km)
(3.2 km) 陸前小野
所在地 宮城県東松島市野蒜字北余景84
北緯38度22分29.92秒 東経141度9分36.73秒 / 北緯38.3749778度 東経141.1602028度 / 38.3749778; 141.1602028 (野蒜駅*)
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 仙石線
キロ程 34.0 km(あおば通起点)
電報略号 ノル
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
478人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1928年昭和3年)4月10日
備考 業務委託駅
* 1931年 - 1944年までは東北須磨駅
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ホーム
- 2009年平成21年)7月撮影

野蒜駅(のびるえき)は、かつて宮城県東松島市野蒜字北余景にあった、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線である。

2011年平成23年)3月11日に発生した東日本大震災津波)によって大きな被害を受け、以降は当該線区とともに無期限での営業停止となった。震災翌年、震災後不通となっていた区間のうち陸前大塚駅から陸前小野駅までについては線路を内陸に移設して復旧することが決定、ここに含まれる野蒜駅についても内陸部に新設されることが発表された2015年度内の全線復旧を目標として工事をすることがJR東日本から発表となった。[1]

概要

奥松島・野蒜海岸方面への玄関口となっていたが、鳴瀬川の対岸にある産業遺産野蒜築港跡へは、隣の陸前小野駅が最寄り駅となっていた。

東日本大震災後の復旧路線は、従来よりも内陸部に約500メートル移動させることが決定しており、2015年平成27年)度中の開業が予定されている[1]。それにあわせて野蒜駅も新設されることが決定したが[1]、新駅の詳細や名称は未定である。

駅構造

島式ホーム1面2線を有する地上駅であり、ホームへは構内踏切で連絡していた。

矢本駅管理の業務委託駅東北総合サービスに委託)で日中のみ駅員配置。POS端末自動券売機・簡易Suica改札機設置であり、駅舎内に奥松島観光情報センター(Nまっぷ)が併設されていた。

東日本大震災の影響により、現在当駅には列車が発着していない。また駅員も配置されておらず、事実上の無人駅となっている。松島海岸駅と矢本駅を結ぶ代行バス停留所は駅前の道路上に設置されている。

のりば

1 仙石線 (上り) 本塩釜多賀城仙台あおば通方面
2 仙石線 (下り) 矢本石巻方面
(上り) 本塩釜・多賀城・仙台・あおば通方面

利用状況

乗車人員推移
年度 一日平均乗車人員
2000 727
2001 718
2002 701
2003 663
2004 627
2005 617
2006 579
2007 571
2008 527
2009 493
2010 478

駅周辺

歴史

この駅は海岸の観光を巡って一度改称され、再び元に戻されるという経過をたどっている。最初は、付近の野蒜海岸を神戸市須磨海水浴場になぞらえて、東北須磨駅と改称したが、国有化時に「野蒜」に戻された。

1980年代に、やはり観光地としての駅名改称を目指していた。鳴瀬町(当時)はこの周辺一帯(東名浜、宮戸島、野蒜海岸)を「奥松島」という名称で売り込んでおり(例:三陸道鳴瀬奥松島IC)、その観光拠点となる野蒜駅を奥松島駅に改称しようと住民にアンケート調査したが、改称反対が多かったため断念している。[要出典]

(左)西側から見た野蒜駅。線路は流されてきた家屋や車両の残骸で塞がれている。
(中)正面から見た津波を受けた後の駅舎。
(右)東北地方太平洋沖地震の発生時刻で停止した野蒜駅の時計。

隣の駅

東日本旅客鉄道
仙石線
赤快速・緑快速
高城町駅 - 野蒜駅 - 陸前小野駅
普通
東名駅 - 野蒜駅 - 陸前小野駅

脚注

  1. ^ a b c JR仙石線全線、15年度にも復旧、一部区間を内陸に移設 『日本経済新聞』 平成24年1月27日朝刊社会面

関連項目

外部リンク