芝山鉄道

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芝山鉄道株式会社
Shibayama Railway Co,.Ltd.

芝山千代田駅(本社所在地)
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
289-1601
千葉県山武郡芝山町香山新田148-1
設立 1981年5月1日
業種 陸運業
法人番号 7040001061353 ウィキデータを編集
事業内容 鉄道事業、他
代表者 代表取締役社長 酒井文夫
資本金 1億円
従業員数 14人
主要株主 成田国際空港株式会社 68.39%
千葉県 14.59%
株式会社日本航空インターナショナル 3.46%
京成電鉄株式会社 3.46%
株式会社みずほコーポレート銀行 1.48%
他 (2006年3月31日現在)
外部リンク www.sibatetu.co.jp/
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芝山鉄道株式会社(しばやまてつどう) は、千葉県成田国際空港付近に路線を有する第三セクター方式の鉄道会社である。

成田国際空港株式会社が3分の2超を出資し、残りは千葉県、京成電鉄日本航空インターナショナル芝山町成田市などが出資している。本社所在地は千葉県山武郡芝山町。

歴史

芝山鉄道は、成田空港が設置されることにより、通行が分断されてしまうなどのデメリットを受ける空港東側地域への補償のため、国が建設を約束した鉄道である。

会社設立は1981年(昭和56年)5月1日で、1988年(昭和63年)6月24日に京成電鉄成田空港駅(現・東成田駅) - 整備場前(仮称)間の事業免許を取得した。

当初は小型電車で線内折り返し運転を計画していたが、地元からの要望で通常の大型車両で京成成田まで片乗り入れ直通運転することとし、1990年(平成2年)12月25日に工事施工認可された。なお、1991年(平成3年)3月19日には現在の成田空港駅が開業し、免許取得時の同駅は東成田駅に改称した。

着工は遅れたが、隅谷調査団の主宰で1993年(平成5年)9月20日から12回に亘って開催された成田空港問題円卓会議で、今後の成田空港の整備を民主的手続きで進めていくことが約束され、建設が具体化した。

1996年(平成8年)12月27日には、京成電鉄との相互直通運転に運転計画の変更が認可され、1998年(平成10年)1月22日に着工した。その後、2000年(平成12年)6月20日に未買収地を迂回するルートの一部変更が認可され、2001年(平成13年)4月26日に仮称であった「整備場前駅」の正式駅名を「芝山千代田駅」と決定し、2002年(平成14年)10月27日に「東成田駅 - 芝山千代田駅」間が開業した。

路線

京成電鉄を含めた停車駅表


のと鉄道東海交通事業など自社で路線を全く保有しない第二種鉄道事業者を除く、普通鉄道のみを保有する鉄道会社の中では、日本一保有する路線が短い。これは並行する成田空港A滑走路の約半分の長さである。なお、芝山鉄道が開業するまでは、和歌山県紀州鉄道が「日本一のミニ私鉄」を名乗っていた。

将来、芝山町中心部を経由して九十九里海岸方面への延伸も検討されており、それまでの代替処置として芝山鉄道延伸連絡協議会による空港シャトルバスが「横芝屋形海岸」まで運行されている。

未取得用地を避けて通っているため、地下区間でくねくねと曲がっている部分がある。

在籍車両

芝山鉄道3600形電車
3600形
京成電鉄より3618編成8連1本をリースし、帯を赤+青から赤+緑に、社名プレートを「Keisei」から「芝山鉄道」にそれぞれ変更(Keiseiのロゴの上に芝山鉄道のステッカーを貼った形)するとともに、先頭車の前面上部右側に芝山鉄道の社章を貼付している。運用は京成車と共通だが、先頭車が付随車であることから、京急線には直通しない。

当初は京成電鉄より同社で廃車となった旧3050形を譲渡する予定だったが、耐用年数等から実現には至らず、前述の3600形のリースで対応した。だが芝山鉄道線では日中は京成車4連か6連での運行のため、8連で京急線に入線できないこの車両は上野 - 成田空港間や佐倉 - 都営浅草線西馬込間を往復する運用が多く、自社線内を走行することはあまりない。

運賃

大人普通旅客運賃:全線190円(小児100円)(2010年3月1日現在)

なお、芝山鉄道はPASMOに加盟していないため、京成電鉄管理である東成田駅を除き、PASMOやSuicaなどのIC乗車券では利用できない。

運営上の特徴

本鉄道の路線内を走行する列車には警察官が警乗しているが、これは過激派テロを警戒しているためである。このような運営をすることになった要因には国が地元利益を無視して一方的に空港建設を強行したとする成田空港建設反対運動がある。空港建設反対運動に過激派が加わったため、テロ行為による被害が成田空港だけでなく京成電鉄にも及んでいた。2010年時点でも過激派によるテロ活動を警戒しなければならない状況である[1]

脚注

  1. ^ 封印された鉄道史』(p26 - p28)

参考文献

  • 小川裕夫『封印された鉄道史』(第1刷)彩図社、2010年6月18日。ISBN 978-4883927425 

外部リンク