紀州鉄道

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紀州鉄道株式会社
Kishu Railway Co.,Ltd.
種類 株式会社
略称 紀鉄
本社所在地 101-0061
東京都千代田区三崎町2-9-2
電話番号 03-3230-2261
設立 1928年12月24日
業種 陸運業
事業内容 不動産事業、リゾート施設運営業、鉄道事業他
代表者 代表取締役社長 高崎能紀
資本金 1億6,000万円
主要株主 鶴屋産業株式会社 47.3%
鶴屋商事株式会社 45.9%
他(2006年3月31日現在)
外部リンク www.kitetsu.co.jp/
特記事項:鉄道事業収益の割合は微少で実態は不動産会社である
  

紀州鉄道株式会社(きしゅうてつどう、英語:Kishu Railway)は、不動産業・ホテル業・鉄道事業を営む日本企業である。鶴屋産業の系列企業で、本社は東京都千代田区にある。

目次

[編集] 概要

紀州鉄道線を建設した御坊臨港鉄道は、国鉄紀勢西線から離れた御坊市街地との連絡を目的に、1928年に設立、鉄道を1931年に開業した。当初から経営は厳しく、戦後も風水害などの被災やモータリゼーションの進展によって、1960年代には廃止の危機に追い込まれていた。

1972年磐梯急行電鉄(1968年倒産、1969年鉄道廃止)の旧経営陣が設立した東京の磐梯電鉄不動産が、御坊臨港鉄道を約1億円で買収した。これは、「鉄道会社の不動産部門」という信用を得るため、また「鉄道会社」というネームバリュー獲得のための行動といわれている。

翌年1月、「紀州鉄道」に社名を変更。なお、厳密には新会社を設立し事業譲渡の形をとっており、法人格が異なる。現存する法人としての紀州鉄道は、「1928年設立の御坊臨港鉄道が自社の起源である」と称している。

その後、1979年にはやはり不動産・リゾート開発を営む鶴屋産業の傘下に入り、現在に至るまでリゾート開発を軸とする不動産業を主力部門としている。

[編集] ホテル・リゾート事業

日本各地に「紀州鉄道」を名前に冠したホテルを展開する。

ホテルは関連会社の紀鉄ホテルが運営している。また、群馬県で嬬恋村との共同出資で第三セクター会社パルコール嬬恋を設立し、パルコール嬬恋ゴルフコースやスキー場パルコール嬬恋スキーリゾートを運営している。

そのほか、長野県の軽井沢塩嶺高原別荘の分譲・管理事業や、関連会社紀州鉄道不動産による会員制リゾート事業、紀鉄航空サービスによる旅行代理店事業を行っている。

[編集] 鉄道事業

保有する鉄道路線は、和歌山県御坊市内にある紀州鉄道線御坊駅 - 西御坊駅間2.7kmのみである。1989年4月1日に末端区間の西御坊駅 - 日高川駅の0.7kmが廃止されたが、その後は廃止の話はない。全列車のワンマン化や「学門駅入場券」など記念切符・記念グッズの販売が行われている。

かつては「日本一のミニ私鉄」を称していたが、2002年、日本一保有する路線が短い鉄道事業者の座を千葉県芝山鉄道に明け渡した。ただし、芝山鉄道は延伸の計画があり、第三セクター方式でもあることから純粋な民間資本としては紀州鉄道が最短と言える。

[編集] 路線

[編集] 車両

[編集] 現有車両

キテツ1形
1985年富士重工業製の軽快気動車である。北条鉄道から大型車導入で余剰となったフラワ1985-2を譲り受けたもので、1両のみ在籍し、2000年7月10日から運用開始。スノープラウは取り付けたまま運用されている。当初から冷房付のため、紀州鉄道初の冷房車となり、旅客サービス改善に貢献した。富士重工業がバス車体をベースとして開発した2軸のレールバスLE-Car」で、鉄道車両用の台枠に富士重工R15系バスをベースにした車体を持ち、正面スタイルも15型Eボディと同一。機関も日産ディーゼル製のバス用PE6H(180PS)を搭載する。車体の形式表記は「キテツ-1」。車内はオールロングシート。現在、市内のパチンコ店のラッピング車両となっている。これは、紀州鉄道初のラッピング車である。また、現在日本で唯一の営業用2軸気動車である。2009年には、さらにフラワ1985-1を譲り受けており、営業運転に向けて整備を行っている。


キハ600形(603)
キハ600形
1960年新潟鐵工所製。603, 604の2両が在籍する。元大分交通耶馬渓線の車両で、同線が廃止された1975年に同社から譲り受けた。正面二枚窓・両運転台の18m級車体だが、側窓がいわゆるバス窓でその下に補強帯(ウインドウシル)を残すこと、DMH17Bエンジン(160PS)搭載、小断面車体など、国鉄キハ10系気動車の影響が強く見られ、近年では珍しくなった古典的気動車として鉄道ファンから人気を集めている。
液体式変速機を搭載するが、新造当初から総括制御が不可能な仕様で、紀州鉄道転入後もそのままである。座席はボックスシートと、車端部のロングシートとのセミクロスシート。床は油引きの板張り、室内灯は白熱灯、エンジンの排気ガスは屋上ではなく床下で排気するなど、随所に古典的な構造を残す。また、現在の気動車とは異なり、右手でマスコン、左手でブレーキを操作する。形式・車番から塗色や車番、接客設備に至るまで大分交通時代の内容をそのまま踏襲しているが、前面窓は譲受の十数年後にHゴム固定からアルミサッシ化され、天地寸法が小さくなるとともに四隅にあった丸みがなくなり、また前照灯尾灯の位置に増設されたため、印象が変わっている。また、駆動軸を持つボギー台車は、粘着力を稼ぐ目的で、台車の中心が駆動軸側にオフセットした珍しいものである(マキシマムトラクション台車の一種)。
かつては2両とも運行に使われていたが、冷房がなく車齢が高いことから、キテツ1形導入後は主力の地位を退き、現在は603のみが主に週末、休日に運行する。604は現在部品確保用で、紀伊御坊駅構内側線に留置されている。扱い上は予備車だが、燃料噴射ポンプなどの主要部品が取り外されており、現状では運行に入ることはできず、キハ603が定期検査中にキテツ-1に車両故障が発生した際も動くことは無かった。
老朽化が進んでおり、上述のフラワ1985-1の導入に伴い、キハ600形は2009年末までに引退することが決定したと地元紙で報じられている[1]


[編集] 過去の車両

御坊臨港鉄道時代から、車両形式付番や実車に記入する形式名などに無頓着な傾向があり、大分交通譲受車も含めて、譲受車の塗色・車名表記変更を省略したがるきらいも見受けられる。良否は別として往時のアバウトな体質が伺える。

キハ1形(キハ1、2)
ガソリンカー。御坊臨港鉄道の開業に先だって、東京の松井工作所(松井車輌とも称する。個人経営工場のため名称不統一な記載が多い)で製造された木造(外板鋼板張り)4輪両運転台車。車両の新製に際しては御坊臨港側の書類手続きの不備が多く、監督官庁から多々叱責を受けた。
製造は1929年3月であったが、用地買収難航による開業の大幅遅れで、東京の工場から発送できず、ようやく御坊まで回送したが、なお就役できないまま、実に2年以上も待機させられた。当時はガソリンカーの技術発展の早い時期で、この間にガソリンカーでも半鋼製車体が当たり前となり、木造車体は時代遅れになっていた。後からガソリンカー導入を試みた有田鉄道の方が先にガソリンカー運行を開始し(1930年)、御坊臨港の乗務員も有田鉄道でガソリンカー運転の講習を受けることになった。
ガソリンカーで貨車も牽引をすることを考えていたが、キハ1は日高川側、キハ2は御坊側に外付けの荷台を装備しており、この荷台が連結器を完全に妨害していた。このためキハ1は御坊行き、キハ2は日高川行きの貨車しか牽引できない。著しく不便なことが明らかなのに、何故このような荷台・連結器の配置を行ったのかは不明である。
木造車のため開業から数年で老朽化が進行していた。1939年10月にキハニ101を製造するにあたり、書類上の改造種車はキハ1であるとして届け出がされたが、実際にはキハ2が改造種車となった。残ったキハ1は、書類名目上「キハ2」としてそのままとどまり、戦時中にキハ102と改番した。木炭代燃化改造もされたが後に客車代用となり、空襲被災で損傷、戦後廃車された。
キハニ101形(キハニ101)
木造車が老朽化したが戦時体制による気動車製造禁止で、代替となる新車を製造できないことから、木造車の改造名義で製作された半鋼製車体の4輪ガソリンカー。1939年10月加藤車輌製作所製。書類上はキハ1が種車だが、実際にはキハ2の車軸、エンジンなどを流用・強化して、片荷台付の軽快な半鋼製車体を新製した。連結器支障の欠陥は解消されている。キハ2(→102)と同様な経緯を辿って戦後廃車。
キハ103形(キハ103)
沿線軍需工場の工員輸送増強を目的に、戦時中の1942年6月2日認可で鉄道省から払い下げを受けた、御坊臨港初のボギー式ガソリンカー。1943年8月に入線した。元は1931年日本車輌本店製の半鋼製ボギー車である富山鉄道ジハ3である。1933年の富山鉄道部分廃止・富南鉄道への路線譲渡で余剰となり、新宮鉄道に売却されて同社のキハ205となったが、翌1934年には新宮鉄道の国鉄買収(紀勢中線)で鉄道省キハ40304になったという流転ぶりで、この間、新宮鉄道入線時から、1940年に紀勢中線が紀勢西線に連絡して孤立が解消するまではねじ式連結器を付けていたこともある。
戦後の更新時に車端に荷台を取り付けたが、その際に車体への番号表記を「103」ではなく「108」と書いてしまい、その後も訂正されないままに放置されていた。後にエンジンを降ろされ、客車代用となった。
1970年の廃車後は市役所前駅の待合室として使用されていたが、すでに撤去されており、存在しない。
キハ41000形(キハ40801)
元はJR芸備線の前身である芸備鉄道が1936年10月に日本車輌本店で製造した最後の増備車キハニ19。国鉄キハ41000形と類似クラスの戦前としては大型の気動車で、エンジンも国鉄式のGMF13形であった。車体の一端に荷物室を備えるほか、車体両端に柵で囲われた車外荷台を備える。1937年の芸備鉄道国有化で鉄道省キハニ40801となったが、1943年に廃車。
1947年に御坊臨港鉄道に払い下げられ、当初無動力の客車として使用。その後燃料事情の改善に伴ってディーゼルエンジンを搭載され、気動車として復活した。「国鉄41000形」ではなかった車両で、車内の荷物室も戦後撤去されて「キハ」になっていたが、御坊臨港では「形式は41000形で実車表記はキハ40801」という、相当にいい加減な付番をされていた。1976年のキハ603・604入線により休車となり、1981年廃車。
キハ41000形(キハ308)
1951年3月に国鉄から払い下げを受けたキハ41000形41055(1934年川崎車輌製、1950年国鉄廃車)。入線に当たって富士車輌で整備され、ディーゼルカーへの改造を受けている。1953年紀州大水害でも生き残り、長く主力車であったが、1970年以降は休車となり、1979年に廃車となった。
キハ41000形(キハ202)
元は1933年田中車輌製の国鉄キハ41000形41328で、後にキハ0429に改番された。1961年一畑電鉄立久恵線に移ってキハ5となった。1965年に同線が廃止され、有田鉄道に移ってキハ202となっていたものを1970年代に購入した。
キハ41000形(キハ16)
1970年に、前年廃線となった江若鉄道から譲受。元は国鉄キハ41000形41044(1933年日本車輌製)で、1949年の廃車後に江若鉄道払い下げ。江若ではC14形キハ16となり、ディーゼルカー化されて使われていた。
御坊臨港入線時にも形式こそ41000形に改めたが車名表記の変更はなかった。入線後も大きな改造はなく、大分交通車2両の入線で予備車化、1984年に廃車となった。
キハ600形(キハ605)
書類上は1952年宇都宮車輌(後の富士重工業)製。常磐炭礦キハ21として1951年に専用線での炭鉱職員輸送用に製造された、全長11.5m・定員80人(岡山臨港譲渡後82人に増加)・オールロングシートの半鋼製小型車。戦前の国鉄キハ40000形気動車に類似するが、宇都宮車輌の同時期の製品に見られる張り上げ屋根を備える。製造許可を取るために木炭ガス気動車として申請されたが、実際には日野DA55形ディーゼルエンジンを搭載し、ヤミ物資の軽油で走る普通の機械式ディーゼルカーとして完成された。しかし常磐炭礦に気動車運転士がいなかったため、1951年3月に納入されてから翌1952年1月まで運行できずに放置されていた。昭和30年代初めまで職員輸送に使われた。
その後、1959年に汽車会社東京支店で改装工事を受けて譲渡され岡山臨港鉄道キハ1003となる。低かったステップを切り上げ、ヘッドライトや逆転機の変更、車内の蛍光灯化改造などが行われたが、岡山臨港ではより大型の車両が主力で、キハ1003は小型のためもっぱら予備車であった。なお岡山臨港在籍時に、原因不明だが書類上の製造年が1年遅い1952年になってしまっている。
キハ600形(605)
紀州鉄道では岡山臨港鉄道の廃線に伴い、キハ16に代わる予備車として1984年10月に譲受。前面の中央を1枚窓化、キハ603などと合わせた塗装への変更、側面の乗降扉の交換などの改造が行われた。だが、入線後の試運転で振動がかなり大きいことが判明し、長く紀伊御坊駅構内側線(2008年現在キハ604が置かれている場所)に放置されていた。すでに元・大分交通車2両で予備車まで賄える運用状態で、「予備車の予備車」になってしまったキハ605は、一度も一般営業で運転されなかった。
2000年1月に廃車され、ふるさと鉄道保存協会に譲渡されて、有田鉄道金屋口駅構内に保存場所を求めた。当車を有田鉄道が購入したとするのは誤りである。

[編集] その他

2003年7月まで西御坊駅で使われていた「回転式乗車券箱」が、鉄道博物館の収蔵資料となっている。

[編集] 関連会社

[編集] 脚注

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  1. ^紀州鉄道 新旧車両が顔合わせ」日高新報、2009年6月5日。

[編集] 参考文献

  • キテツ1型:月刊「鉄道ファン」2004年11月号(通巻 523号)92・93ページ

[編集] 外部リンク

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