独学

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独学(どくがく、autodidacticism)とは、学ぶにあたって、先達者の指導を仰ぐことなく独力(独りか複数人かは問題ではない)で目標をたてて習熟しようとする学習方法、能力開発の方法である。"self-taught" などとも言う。なお、ここで言う「学び」とは、学問が第一ではあるが、それに限らない。

概説

ある分野において素地が無い地域や発展途上にある地域に生まれた場合、学ぼうとする者は、素地のある地域や先進地域に移らない限り、選択の余地無く独学することになる。そのほか、自ら進んで師に頼らずに学ぶケース、発達障害などで学校教育の枠に馴染めないケース、語学など学習者が内発的に動機づけられていれば独学が可能な分野であるケース(医学など自然科学系の分野では実験室における実験が必要なため、心理学を除いて実験が不要である人文科学系よりも独学が困難である。また、医師免許などの国家資格の取得を目指す場合には、どうしても制度的な教育機関で学習しなければならない)、学校に支払わなければならない授業料の納入義務など経済的な負担に耐えられないケースなどがある。

数週間など短期的に師事した場合は独学とみなされるケースと師事とみなされるケース、どちらも存在する。いずれにせよ、『論語』に「思いて学ばざればすなわち危うし」とあるように、アドバイスをあまり受けない独学では、自己満足や独善、あるいは誤った道に進まないよう、同好の士との情報交換が重要である。宮崎市定は『論語』のその章の注釈で、「ある貧乏な青年が小学校を出たあと独学で数学の研究に励んでいた。10年後に『数学上の大発見をした』と町の中学の教諭に見せにきたものは、二次方程式の解き方であった」という逸話を紹介して、「学校で学べば1時間で済むことだ。それだけの時間を師に就いて学べば本当に有益な研究が出来たかもしれない」と述べている。 しかし一方で、係る分野で常識となっている知識を得ないまま独学で臨んだがゆえに先入観という壁に阻まれることなく、専門家たちを悩ませていた課題を別の切り口から解決してしまうといったようなケースも、枚挙にいとまが無い。

日本における独学の歴史

近代的な学校制度が導入される明治時代までの日本では、農民商人が学問に目覚めた場合、書物を読み、独学のかたわら同好の士と文通し、師を求めるという学校によらない学習手段が一般的であった[1]国文学賀茂真淵本居宣長は生涯において直接対面したのは松坂の一夜限りであったが、以後、手紙のやりとりで師弟として学問の継承、発展に寄与した。

考古学者の鳥居龍蔵植物学者の牧野富太郎もそうした方法によって研究者になった。彼らは裕福な家庭に生まれたため、学校で立身出世する必要性を感じなかったことも大きい。ついには東京帝国大学を研究の場とした彼らであったが、大学ではすでに学歴が幅を利かせるようになっており、学歴のない者は差別的な扱いに苦しむこととなった[1]

明治時代、東京専門学校(現・早稲田大学)が『早稲田講義録』を発行し、貧しくて高等教育を受けられない人々に大いに活用された。第二次世界大戦前は中学講義録や英語講義録、電気講義録、囲碁講義録などさまざまな講義録が発行され、中等・高等教育の大衆化に大いに寄与した[2]

著名な独学者

世に広く知られる独学者を列挙するが、より詳しくは「独学者の一覧英語版」を参照のこと。 表記内容は左から順に、人名、独学による職業等、生誕年、各人が主たる就学時期に属していた国家や地域(出生地とは限らない)。

脚注・出典

  1. ^ a b 天野(2005年)、84-88頁。
  2. ^ 串間努 (2005年6月2日). “第14回「懐かしき「講義録」の世界」の巻”. まぼろし通販百科. まぼろしチャンネル. 2009年1月23日閲覧。
  3. ^ 貝塚茂樹『孔子』 青版 65、岩波書店岩波新書〉、1951年5月15日。ISBN 4-004-13044-1 ISBN-13 978-4-004-13044-4。

参考文献

関連項目