ホルヘ・ルイス・ボルヘス

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ホルヘ・ルイス・ボルヘス
Jorge Luis Borges
1969年、ホテルにて撮影
誕生 ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベード
1899年8月24日
アルゼンチンブエノスアイレス
死没 1986年6月14日(満86歳没)
スイスジュネーヴ
職業 作家、詩人
国籍 アルゼンチン
代表作 伝奇集
幻獣辞典
主な受賞歴 セルバンテス賞
配偶者 エルサ・アステテ・ミジャン(1967年 - 1970年)
マリア・コダマ(1986年 - )
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ボルヘス生誕100年を記念して作られた2アルゼンチン・ペソ硬貨。ボルヘスの肖像と迷宮・アレフの文字が刻まれている, 1999

ホルヘ・ルイス・ボルヘスJorge Luis Borges1899年8月24日 - 1986年6月14日)は、アルゼンチン ブエノスアイレス生まれの小説家詩人。本名、ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベード。別名オノリオ・ブストス・ドメック(Honorio Bustos Domecq)。

目次

[編集] 経歴

祖母がイギリス人。父ホルヘ・ギジェルモ・ボルヘスは弁護士で心理学教授。父方には、そのほかイタリア系やユダヤ系の血が流れており、ボルヘス自身はとりわけイギリスとユダヤの血を誇りにしていた。

スペイン語を話すようになる前に英語を喋った。1909年ワイルドの『幸福な王子』をスペイン語に訳して新聞に発表。あまりに見事な訳だったため誰もが10歳の少年の仕事とは思わず、同じ名の父による訳文と誤信した。

父が目の手術を受けるため、1914年に一家でスイスジュネーヴに移住。カルヴァン高校に学ぶボルヘスはバカロレアを取ったが、大学には進学しなかった。第一次世界大戦後、1919年に一家そろってスペインバルセロナへ移住。ここで当時の前衛文学運動・ウルトライスモに参加。セビリャ在住を経て、1921年、ブエノスアイレスに帰郷。1923年、処女詩集『ブエノスアイレスの熱狂』を発表。

1938年、深く尊敬する父が死去。同じ頃に事故で頭部を負傷し、生死の境界を彷徨した。これがきっかけとなり、入院先の病院で小説を書き始めた。

執筆の傍ら1937年から司書としてブエノスアイレス市立図書館に勤務していたが、1946年フアン・ペロン軍事政権が発足すると、自由主義思想を問題にされて図書館から解雇された上、食肉市場の検査官という不本意な職場に回され、憤慨のあまり退職した。

約10年に及ぶペロン時代はボルヘスにとって苦悩の日々だった。ペロン政権の高官はボルヘスの政治思想を不穏とみなし、ボルヘスが家族と暮らす家を爆破しようと計画した。ボルヘスの妹は一ヶ月間投獄され、母は自宅に軟禁された(反ペロンのデモ行進に参加した罪による)。ボルヘス自身も1945年の終わりごろ、女友達のエステラ・カントーとレサーマ公園でデートしていたとき、身分証不携帯の罪で警察に逮捕され、明け方の3時半まで勾留を受けるという屈辱を味わっている。

同じ時期にボルヘスは、性的な臆病さを克服する目的で精神科医の助けを求めたことがある。ボルヘスの女友達の一人は、彼を性的不能と断言した。

1955年、ペロン失脚と共に図書館に復職し、アルゼンチン国立図書館の館長に就任。しかしこのときボルヘスは視力を失いつつあった。彼はこの状況を「80万冊の書物と暗闇を同時に与えたもうた神の絶妙なアイロニー」と形容した。同年からブエノスアイレス大学で英文学を教え始めた。

1961年サミュエル・ベケットと共にFormentor賞を受賞したことで国際的に名が知られるようになる。

1967年、旧友エルサ・アステテ・ミジャン(Elsa Astete Millan)と結婚。しかし文学以外に話柄を持たないボルヘスと無教養なエルサの間に心の接点はなく、この結婚生活は3年で破綻した。

1975年、世界文学全集『バベルの図書館』の編纂にあたる。

1979年国際交流基金の招きで来日。講演の後の質疑応答会では寺山修司から不躾な質問をされて皮肉で応じる一幕もあった。

1980年セルバンテス賞受賞。

1984年、再び来日。

1985年、青春の地ジュネーヴに移住。

1986年4月、かつての教え子でボルヘスの個人的な助手を務めていたマリア・コダマと結婚。6月、ジュネーブで病死。

代表作として、『伝奇集』、『幻獣辞典』など。ダンテの『神曲』を「あらゆる文学の頂点に立つ作品」と称え、講義集を残している。(竹村文彦による翻訳あり『ボルヘスの「神曲」講義』。)友人にアドルフォ・ビオイ=カサレスカルロス・マストロナルディリカルド・グイラルデスビクトリア・オカンポシルビーナ・オカンポアレハンドロ・スル=ソラルマセドニオ・フェルナンデスがいる。一方で、ポーランドからアルゼンチンに亡命していたゴンブローヴィッチはボルヘスを個人的に毛嫌いしていた。

アストル・ピアソラがボルヘスの詩に曲を付けた時、タンゴの何たるかを講釈したというエピソードがある。ピアソラの生み出した新しい音楽はボルヘスの好む場末のブエノスアイレス的なものから遊離しており、タンゴの魂がないと感じられたようである。

ノーベル賞候補にもたびたび挙がったが、けっきょく受賞することはなかった。ペロンを憎むあまり、ペロン以後のアルゼンチンの独裁者たちを公然と賛美したためであるともいわれている。

晩年は古代英語と古代アイスランド文学の研究に没頭していた。

[編集] 作品

[編集] 小説

  • ドン・イシドロ・パロディの六つの難事件(Seis problemas para don Isidro parodi 1942)
  • 伝奇集Ficciones 1935-1944)
  • エル・アレフ(El aleph 1949)
    • ダンテの『神曲』に直観を得た表題作他、『不死の人』等を収録。
  • ブロディーの報告書 (El informe de Brodie 1970)
  • 砂の本(El libro de arena 1975)
  • 夢の本(Libro De Suenos 1976)
  • ボルヘスとわたし (The Aleph and other stories 1933~1969 1970)
    • ボルヘス自らが選りすぐった20の短篇と、自伝風エッセイ、全収録作品に対する著者の注釈の三部で構成される。

[編集] 詩集

  • ブエノスアイレスの熱狂 (Fervor de Buenos Aires 1923)
  • 正面の月(Luna de enfrente 1925)
  • サン・マルティンの手帳(Cuaderno San Martín 1929)
  • 創造者(El hacedor 1960)
  • 陰翳礼賛(Elogio de la sombra 1969)
  • 群虎黄金(El oro de los tigres 1972)
  • 永遠の薔薇(La rosa profunda 1975)
  • 鉄の貨幣(La moneda de hierro 1976)

[編集] 評論

  • 審問(Inquisiciones 1925)
  • ボルヘスの『神曲』講義
  • 永遠の歴史(Historia de la eternidad 1936)
  • 時間に関する新しい反問(Nueva refutación del tiempo 1947)
  • 続・審問(Otras inquisiciones 1937-1952)
  • シェークスピアの記憶(『La memoria de Shakespeare』in Obras completas)

[編集] 講演集

  • ボルヘス・オラル(Borges oral 1979)
  • 七夜(Siete noches 1980)

[編集] 紀行文集

  • アトラス(Atlas 1983)

[編集] アンソロジー

何れも原典がボルヘスではなく、一種の編集者を務めた作品群。ただ文章自体はボルヘスによるので「書物」としての創作といえる。

  • 汚辱の世界史(Historia universal de la infamia 1935)吉良上野介ビリー・ザ・キッドが、アンチヒーローとして名を連ねている。
  • 幻獣辞典El libro de los seres imaginarios 1967)マルガリータ・ゲレロとの共著
  • ボルヘス怪奇譚集(Cuentos Breves y Extraordinarios 1967)アドルフォ・ビオイ=カサレスとの共著

[編集] その他

  • 版画家の星野美智子が、ボルヘスを題材とした版画を多数作成、発表している。
  • 『ボルヘスと不死のオランウータン』(ルイス・フェルナンド・ヴェリッシモ著)は、ボルヘスを探偵役としたミステリ小説。

[編集] 外部リンク