沖浦啓之

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沖浦 啓之(おきうら ひろゆき、1966年10月13日 - )は、日本のアニメーターアニメーション監督大阪府交野市出身。妻は俳優・声優武藤寿美日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。 民俗学者沖浦和光おじにあたる。

経歴

幼少の頃から漫画やアニメの製作に熱中。1982年、当時好きだった『太陽の牙ダグラム』で突出した作画を披露していた作画スタジオアニメアールが大阪にあると知り、高校を休学して16歳でアニメアールに入社、谷口守泰に師事する。同時期に黄瀬和哉逢坂浩司Shuzilow.HAなどがいた。

1984年、『星銃士ビスマルク』で初作画監督、メカや破片の作画を多く担当する。最終話では絵コンテに不満を持ち、監督に修正を願い出ている。作画ではなかむらたかし金田伊功、稲野義信などに影響を受ける。

アニメアール時代は、メカ(エフェクト)・アニメーターとして業界の内外に名を馳せるが、キャラクター描写にも早熟な才能を見せており、『星銃士ビスマルク』『蒼き流星SPTレイズナー』のアニメアール作画担当話数の原画マンのなかで、谷口守泰のキャラクター作画の特徴的な筆致を最も巧みに描き表していた。

AKIRA』や『老人Z』などの原画を経て、フリーになる。1990年代後半からは、Production I.Gを中心に仕事を行う。2000年、『人狼 JIN-ROH』で初監督(第15回高崎映画祭若手監督グランプリ)。

大阪の出身だが、ルーツ広島鞆の浦にあり、2012年公開の『ももへの手紙』製作の経緯は、ルーツである瀬戸内海を描きたいという思いからという[1]

作画の特徴としては、目の内眼角を描くことが多く、苦手だという影を省いたりすることがある。リアル系の絵柄と言われるが、デッサンを本格的に学んだことは無く、練習は模写程度だという。

参加作品

ゲーム

補足

脚注

外部リンク