池内友彦
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名前 | ||||||
愛称 | イケ、イケさん | |||||
カタカナ | イケウチ トモヒコ | |||||
ラテン文字 | IKEUCHI Tomohiko | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1977年11月1日 (33歳) | |||||
出身地 | 北海道石狩郡当別町 | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
池内 友彦(いけうち ともひこ、1977年11月1日 - )は、北海道石狩郡当別町出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDFでセンターバックとサイドバックを務めた。
来歴
室蘭大谷高3年時に高校サッカー選手権大会でベスト8。1996年に鹿島アントラーズに入団。同期に柳沢敦、平瀬智行がいる。入団当初は右サイドバックでプレーするが、選手層が厚く出番を与えられなかった。当時の鹿島は、鈴木隆行や平瀬に見られるように期待の若手で試合に出られない選手をブラジルに留学させる習慣があり、池内も平瀬と共に留学した。
1998年に一旦鹿島に戻ったもののまたもや出番を得られず、1999年にコンサドーレ札幌にレンタル移籍。札幌では岡田武史の指揮下で主に中盤2列目、ボランチ、また本職のサイドバックとしてもプレーしていたが、レギュラーを奪取するには至らなかった。
札幌で2シーズンプレーした後2001年に鹿島に復帰。復帰後初の国内公式戦でセンターバックとして起用され、サポーターを驚かせた。その後は秋田豊のもとで数々の失敗をしつつもディフェンスの技術を磨き、カバーリングの能力が飛躍的に向上。2003年には試合出場も増えレギュラー奪取まであと数歩と迫るが、同年末に秋田が解雇され、チームの方針として同ポジションの金古聖司を育てるというものがあり、またもう一人のレギュラーである大岩剛とのコンビネーションが合わず(大岩も元サイドバックでカバーリングが得意であり、池内とはプレースタイルが重なった)、また、新人DF岩政大樹の台頭もあり、2004年には出場が激減(その後金古も岩政の台頭で出場機会が激減した)。
2005年よりかつて在籍したコンサドーレ札幌へ完全移籍。開幕当初は曽田雄志のレギュラーを奪い、その後も3バックの一角を占めた。またシーズンを通して得点を重ね、J2におけるDF登録選手の年間得点記録を更新する11得点を決め、チーム内得点王となる活躍を見せた。2006年も順調に出場を続けていたが途中足の故障により出場数が減少。2007年は大柄な選手を望む三浦俊也監督の期待に答え、出場数を積み重ねる。2008年11月28日にクラブから、大塚真司らと共に戦力外通告を受ける。その後、J2複数クラブからオファーを受けるものの自身のブログで引退を発表した。
2009年3月4日にコンサドーレ札幌から育成部スタッフ就任、並びに大学チームながら今後日本フットボールリーグ入りを目指す札幌大学へのコーチとしての派遣が発表された。
人物
この選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。(2012年2月) |
- 鹿島に在籍中はチームの盛り上げ役のようによく騒いでいた。
- 札幌に完全移籍した際に風貌と共に雰囲気も一変。先輩の秋田のようにチームを引っ張るリーダーシップを発揮する力強い選手へと変貌した。
- 一部のサポーターからは「兄貴」と呼ばれる。
評価
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- よく声を出すタイプの選手。また元サイドバックのためかカバーリング能力が高かった。
- イエローカードの数がかなり多く、プレーはやや荒い印象もあった。2005年は序盤戦で退場し出場停止となったあと、出場停止明けの試合で再び退場するという失態を犯し、一度は曽田から奪ったレギュラーを奪回された上に、しばらく試合に出られなかった。
- セットプレーの際、DFは背の高さを生かすためにCK、FKの際ゴール前にあがっているが、池内の場合はヘディングよりもこぼれ球を蹴りこんでいるシーンが目立っていた。空中戦も強いのだが、どちらかというと足元に来たボールを確実に決めるという能力が高いということだろう。位置取りなどポジショニングの良さが強みだった。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 1996年-2004年 鹿島アントラーズ
- 2005年-2008年 コンサドーレ札幌
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | 鹿島 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1997 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | CFZ | リオ州2部 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | 鹿島 | 20 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1999 | 札幌 | 22 | J2 | 7 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 10 | 2 |
2000 | 12 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 16 | 1 | |||
2001 | 鹿島 | 28 | J1 | 8 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 14 | 0 |
2002 | 20 | 14 | 1 | 3 | 0 | 3 | 0 | 20 | 1 | ||
2003 | 10 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | |||
2004 | 5 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | |||
2005 | 札幌 | 5 | J2 | 33 | 11 | - | 1 | 0 | 34 | 11 | |
2006 | 22 | 3 | - | 0 | 0 | 22 | 3 | ||||
2007 | 32 | 2 | - | 1 | 0 | 33 | 2 | ||||
2008 | J1 | 20 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 23 | 2 | ||
通算 | 日本 | J1 | 57 | 3 | 13 | 0 | 7 | 0 | 77 | 3 | |
日本 | J2 | 106 | 18 | 0 | 0 | 9 | 1 | 115 | 19 | ||
ブラジル | リオ州2部 | ||||||||||
総通算 |
その他の公式戦
- 2001年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2002年
- スーパーカップ 1試合0得点
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国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2002-03 | 鹿島 | 20 | 1 | 0 |
通算 | AFC | 1 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2003年
- A3チャンピオンズカップ 1試合0得点
経歴
- 初出場 1999/04/11 J2 第5節 vsアルビレックス新潟 (室蘭市入江運動公園陸上競技場)
- 初得点 1999/11/06 J2 第34節 vsヴァンフォーレ甲府 (山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場)
指導歴
- 2009年- コンサドーレ札幌
- 2009年 - 2011年 : 育成部 (札幌大学サッカー部コーチ)
- 2012年 - : U-15 コーチ