永田利則
表示
広島東洋カープ コーチ #85 | |
---|---|
2009年6月27日、マツダスタジアムで | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県広島市東区 |
生年月日 | 1961年10月9日(62歳) |
身長 体重 |
172 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1979年 ドラフト2位 |
初出場 | 1981年6月3日 |
最終出場 | 1990年10月18日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
コーチ歴 | |
| |
この表について
|
永田 利則(ながた としのり、1961年10月9日[1] - )は、広島県広島市東区尾長出身の元プロ野球選手(内野手)。父は1954年 - 1956年に広島東洋カープに在籍した永田徹登。
来歴・人物
広島商で1977年夏と1979年夏に甲子園に出場[1]。1980年、ドラフト2位で広島に入団[1]。広島入団当初は「三村(敏之)二世」の称号があり、かなりの期待を持たれていた。しかし、当時の野手陣は層が厚く、二軍生活が長く続いた。
1987年、西山秀二(+金銭)との2対1の交換トレードで、森脇浩司と共に南海ホークスに移籍。1988年、ウエスタン・リーグで.325で首位打者を獲得したが、同年12月にポーカー賭博により逮捕されて謹慎処分となる。翌1989年、30盗塁でウエスタン・リーグの盗塁王を獲得。1990年に現役引退。広島時代からスイッチヒッターに挑戦したり[1]、持ち味の足を生かす努力もしたが、活躍できず引退。
1991年、広島のスコアラーに就任し、古巣復帰。1994年、二軍守備走塁コーチに就任。2007年から一軍外野守備走塁コーチを務めた後、2010年は二軍野手総合コーチ、2011年からは一軍守備走塁コーチ、2014年は一軍打撃コーチ補佐、2015年からは一軍総合コーチを務める。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1981 | 広島 | 7 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1983 | 1 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1988 | 南海 ダイエー |
18 | 30 | 28 | 5 | 7 | 1 | 1 | 0 | 10 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 7 | 1 | .250 | .300 | .357 | .657 |
1989 | 15 | 31 | 28 | 3 | 6 | 0 | 1 | 0 | 8 | 5 | 1 | 4 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | .214 | .267 | .286 | .553 | |
1990 | 5 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:5年 | 46 | 71 | 66 | 8 | 13 | 1 | 2 | 0 | 18 | 5 | 2 | 5 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 17 | 1 | .197 | .243 | .273 | .516 |
- 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更
記録
- 初出場:1981年6月3日、対阪神タイガース7回戦(広島市民球場)、9回裏に三村敏之の代走として出場
- 初先発出場:1988年9月13日、対ロッテオリオンズ22回戦(川崎球場)、8番・三塁手として先発出場
- 初安打:1988年9月22日、対近鉄バファローズ24回戦(日生球場)、9回表に森脇浩司の代打として出場、佐々木修から単打
- 初打点:1989年6月27日、対オリックス・ブレーブス11回戦(平和台球場)、6回裏に伊藤寿文の代打として出場、関口朋幸から2点適時三塁打
背番号
- 32 (1980年 - 1987年)
- 51 (1987年 - 1990年)
- 85 (1994年 - )