林海峰
林海峰 名誉天元 (九段) | |
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名前 | 林海峰 |
生年月日 | 1942年5月6日(81歳) |
プロ入り年 | 1955年 |
出身地 | 中国上海市 |
所属 | 日本棋院東京本院 |
師匠 | 藤田梧郎・呉清源 |
名誉称号 | 名誉天元 |
段位 | 名誉天元 (九段) |
概要 | |
タイトル獲得合計 | 21 |
七大タイトル | |
棋聖 | 挑戦者 (1980・82・84) |
名人 | 8期 (1965-67・69・71-73・77) |
本因坊 | 5期 (1968-70・83-84) |
王座 | 1期 (1973) |
天元 | 5期 (1989-93) |
碁聖 | 1期 (1994) |
十段 | 1期 (1975) |
林 海峰(りん かいほう、1942年5月6日 - )は日本、台湾の囲碁棋士。上海出身、日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下、九段、名誉天元。名人8期、本因坊5期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など獲得タイトルは35。若い頃には地に辛く粘りのある棋風で「二枚腰」と呼ばれたが、壮年以後は戦闘的な棋風となった。同世代のライバルである大竹英雄とともに「竹林」とも称される。林海峯の表記も多く使われている。
経歴
生い立ち
東京帝国大学に留学経験のある中華民国の外交官林國珪の9人兄弟の末っ子として、1942年に上海に生まれた。国民政府の官吏の家だった林家は、1946年に国共内戦で蒋介石の率いる国民政府が敗れたときに、台湾に移った。彼の父は無類の碁好きで、林は父が友人達と碁を打つのを見て自然に囲碁を覚え、めきめきと上達し台湾の少年囲碁大会で優勝して、天才少年として注目された。
1952年10歳の時に、台湾を訪れていた呉清源に六子で指導碁を打ってもらう機会に恵まれ、結果は一目負けとなったが、呉に才能を認められ来日した。
棋歴
1953年東京本院院生。1954年関西総本部院生となり藤田梧郎門で学ぶ。1955年12歳で入段。六段時の1961年から東京本院に移る。1962年に木谷一門百段突破記念大会で後に林の最多勝利を更新することとなる趙治勲(当時6歳)に五子のハンデを与え敗れる。
1963年に初の名人リーグ入り。同年囲碁選手権戦準優勝と高松宮賞獲得。1965年に坂田栄男名人本因坊を4-2で破り、23歳の史上最年少(当時)で名人位を獲得。名人戦では高川格、藤沢秀行、石田芳夫らと死闘を繰り広げた。1967年九段。1968年には坂田栄男本因坊を破り、選手権史上2人目の名人本因坊になるなど、早くから才能を発揮して活躍した。
1973年には石田芳夫挑戦者との名人戦で、七番勝負初の3連敗後の4連勝を記録。1983年の本因坊戦でも趙治勲本因坊を相手に再度の3連敗4連勝で12年振りの本因坊復位を果たし、驚異の粘り腰を発揮した。
1977年には大竹英雄を破り名人に復位。富士通杯では1988年、89年に連続準優勝の後、90年に決勝で聶衛平を破り優勝。1989年より5期連続して天元位を獲得して、名誉天元を名乗る。1994年碁聖位獲得。棋聖位への挑戦は3回。2001年の名人戦で59歳で挑戦者となり、坂田栄男と並ぶ最年長記録となった。
CSK杯囲碁アジア対抗戦では、2002年から05年まで中華台北チームとして出場。名人リーグに35年連続を含む39期在籍の実績があり、これは囲碁界において今後も破られそうにない記録のひとつとされる。通算成績は1371勝850敗1ジゴ2無勝負(2012年4月)で、2010年に趙治勲に破られるまで通算最多勝記録保持者だった。
1996年に全日本学生囲碁連盟副会長。その後特別顧問を務める。門下に、台湾から招いて内弟子にした張栩九段、林子淵七段、林漢傑七段、富紅梅初段ら。一男二女の父親でもあり、長女はNHK教育TV囲碁講座や囲碁・将棋ジャーナル等の司会を務めた林芳美、次女は同じくNHK囲碁講座の司会などを務めた林浩美。
主な成績
主なタイトル
他の棋士との比較は、囲碁のタイトル在位者一覧 を参照。
タイトル | 番勝負 | 獲得年度 | 登場 | 獲得期数 | 連覇 | 名誉称号 |
棋聖 | 七番勝負 1-3月 |
3 | ||||
名人 | 七番勝負 9-11月 |
1965-67, 1969 1971-73, 77年 |
16 | 8期 (歴代2位タイ) |
3連覇 | |
本因坊 | 七番勝負 5-7月 |
1968-70, 1983-84年 | 11 | 5期 | 3連覇 | |
王座 | 五番勝負 10-12月 |
1973年 | 4 | 1期 | ||
天元 | 五番勝負 10-12月 |
1989-93年 | 7 | 5期 (歴代1位タイ) |
5連覇 (歴代1位) |
名誉天元 |
碁聖 | 五番勝負 6-8月 |
1994年 | 3 | 1期 | ||
十段 | 五番勝負 3-4月 |
1975年 | 4 | 1期 | ||
獲得合計21期=歴代6位タイ |
囲碁七大タイトル獲得記録 | ||
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順位 | 獲得回数 | 棋士名 |
1位 | 60期 | 二十六世本因坊文裕* |
2位 | 42期 | 趙治勲名誉二冠* |
3位 | 35期 | 小林光一名誉三冠* |
4位 | 31期 | 加藤正夫名誉王座 |
5位 | 24期 | 張栩九段* |
6位タイ | 21期 | 二十三世本因坊栄寿 | 林海峰名誉天元* |
8位 | 17期 | 大竹英雄名誉碁聖 |
9位タイ | 14期 | 藤沢秀行名誉棋聖| 山下敬吾九段* |
*は現役棋士 2024年4月30日時点 |
- 世界囲碁選手権富士通杯 1990年
- プロ十傑戦 1966, 73, 74年
- NHK杯テレビ囲碁トーナメント 1970, 74, 78年
- 早碁選手権戦 1976、85、87年
- 鶴聖戦 1979、92、98年
- NECカップ囲碁トーナメント戦 1990年
他の棋歴
国際棋戦
- 世界囲碁選手権富士通杯 準優勝 1988、89年
- 東洋証券杯世界選手権戦 準優勝 1992年
- 日中天元戦
- SBS杯世界囲碁最強戦
- 真露杯SBS世界囲碁最強戦
- 1993年 2-1(○李昌鎬、○劉小光、×徐奉洙)
- 1995年 0-1(×曺薫鉉)
- 日中スーパー囲碁
- 1995年 0-1(×常昊)
- CSK杯囲碁アジア対抗戦
国内棋戦
- 囲碁選手権戦 準優勝 1963、67年
- 棋聖戦 挑戦者 1980、82、84年
- 全段争覇戦優勝 1977年
- 九段戦優勝 1977、79、83、89年
- 名人戦 挑戦者 1987、91、94、2001年
- 本因坊戦 挑戦者 1967、72、73、79年
- 王座戦 挑戦者 1986年
- 十段戦 挑戦者 1988年
- 碁聖戦 挑戦者 1993年
- 天元戦 挑戦者 1996年
- NHK杯テレビ囲碁トーナメント 準優勝 1987年
- NECカップ囲碁トーナメント戦 準優勝 1987、96年
- 早碁選手権戦 準優勝 1990、95年
- 大手合第一部優勝 1962、66年
その他
- 棋道賞最優秀棋士賞 3回(歴代5位)
- 大倉喜七郎賞 2012年
- 紫綬褒章 2005年
- 秀哉賞 1965、66、69、73、83年
- 1987年の名人戦で加藤正夫名人との七番勝負第3局で、2手打ちの反則負けを記録している。これは対局2日目に持ち時間残り1分となって秒読みの中、夕食休憩前に白番林が着手していたにも関わらず、休憩直後にもまた着手してしまったことによる。
海峰棋院
1997年(中華民国暦86年)に台湾で海峰囲棋基金会を創設し、アマチュアの大会の主催など囲碁の普及や、棋士の育成にも力を注ぐ。2008年に海峰棋院に改名し、プロ棋士の棋戦棋王戦を台湾棋院などとともに創設、及び日本と台湾の若手棋士による日台精鋭プロ選手権(中日精鋭職業圍棋賽)を創設した。
著名局
- 「3連敗4連勝」第12期名人戦挑戦手合第4局 1973年9月25-26日 林海峰-石田芳夫(先番)
この名人戦で挑戦者石田芳夫に3連敗し、前年とこの年の本因坊戦も含めると石田に9連敗中だった林だが、白2(62手目)の強手が成立し、上辺黒を大きく取り込んで優勢となった。その後黒が逆転するが、白が再逆転し、盤面で5目、白番ジゴ勝ちで1勝を返した。この後さらに林は3連勝して、七番勝負史上初の3連敗4連勝の記録で名人位を防衛した。
著作
打碁集
- 『名人戦一手一手の研究(実力囲碁新書)』東京創元社 1969年
- 『激闘の七番勝負 林・石田 第十二期名人戦』日本棋院 1974年
- 『林海峯打碁集』(全3巻)大泉書店 1974年
- 『林海峰』(現代花形棋士名局選5)日本棋院 1975年
- 『林海峯(上)(下)』(現代囲碁大系33,34)講談社 1980年
- 『林海峯 名局細解 すごく見やすい』(全12巻)誠文堂新光社 1983-85年
- 『林海峯 現代囲碁名勝負シリーズ10 』講談社 1988年
- 『林海峰 打碁鑑賞シリーズ〈4〉 (囲碁文庫) 』日本棋院 2004年
- 『林海峰 名局細解』誠文堂新光社 2004年
その他
- 『林海峯の囲碁読本-最新型定石と置碁実戦』棋苑図書 1966年
- 『林海峯囲碁講座』(全6巻)平凡社 1969年
- 『基本布石事典(上)(下)』日本棋院 1978年
- 『コウの魔力』日本棋院 1989年
- 『秀甫』(日本囲碁大系16)筑摩書房 1976年
- 『闘将 林海峰』誠文堂新光社 2004年
- 『簡明定石だけで勝つ方法』毎日コミュニケーションズ 2008年
- 他多数