小林太志
2012年3月4日、横浜DeNAベイスターズ総合練習場にて | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 群馬県富岡市 |
生年月日 | 1983年5月11日(40歳) |
身長 体重 |
183 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目 |
初出場 | 2008年4月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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小林 太志(こばやし ふとし、1983年5月11日 - )は、群馬県富岡市出身の元プロ野球選手(投手)。愛称は「コバフト」。
来歴・人物
プロ入り前
群馬県立富岡高等学校在籍時には最速144kmのストレートで注目されたが、初戦敗退を喫する。立教大学に進学後はエースとして東京六大学リーグで活躍し、リーグ戦通算10勝を挙げた。
大学卒業後の2006年にJR東日本に入社。堀井哲也監督の指導のもと、JR東日本硬式野球部で1年目からチーム投手陣の主軸に抜擢され、第77回都市対抗野球では2試合に先発、シダックスから補強された森福允彦らと共にチームのベスト4入りに貢献した。
プロ入り後
2007年11月9日のドラフト会議で横浜ベイスターズに1巡目で指名され、11月30日に契約金1億円+出来高5000万円で契約した。
開幕一軍は逃したが4月中に昇格し、4月9日にプロ初登板を果たす。4月27日の対広島東洋カープ戦ではプロ初先発で初勝利を挙げた。これはセ・リーグの新人では一番乗りとなる勝利だった。その後は主にローテーション投手として登板、プロ初完封を達成するなど活躍し、6勝を挙げた。
初の開幕一軍スタートを飾る。シーズン序盤は勝ち星には恵まれなかったものの、ある程度試合を作り好投を続けていたが、交流戦突入後に調子を落とし自らのまずい守備も重なり失点していくケースが増えていった。5月31日のオリックス・バファローズ戦では8回3失点で完投を記録するものの6月7日に登録抹消。その3か月後の9月13日に1軍復帰、阪神タイガース戦で登録即先発し7回2失点と好投し復調の気配を見せたが、わずか1週間足らずで再び登録抹消されるなど一軍定着はならず2年目は満足のいく結果を残せなかった。
4月18日の阪神戦での初登板からロングリリーフなどで起用され安定した投球を続け、5月27日のオリックス戦で先発し好投するが、その後はローテーションに定着できず結局未勝利に終わった。
開幕は二軍でスタート。一軍昇格後は中継ぎ、ロングリリーフとして登板を重ねるが、定着できず、二軍で肘を僅かに下げ、シュートボールを多用するスタイルに変える。これが功を奏し、9月以降は先発ローテーションに組み込まれ、5試合で3勝と、来季に期待を持たせる内容を残した。最終的にはシーズンを通して4勝を記録した。
主に中継ぎで35試合に登板し、ロングリリーフに回る機会が多かった。ローテーションの谷間で先発する機会もあったが、先発としては2勝3敗と振るわなかった。
前年と同様に中継ぎ(主に敗戦処理)として起用されるも安定感を欠き、わずか11試合の登板に留まった。契約更改の席では「野球協約で定められた減額制限の20%を超える提示額での合意か、自由契約」の二択を迫られ[1]、前年比50%減の年俸1200万(推定)で契約した[2]。
10月3日に球団から戦力外通告を受けた[3]。 引退後は、大手不動産系の企業で経営企画職の正社員として働くという[4]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2008 | 横浜 DeNA |
31 | 22 | 1 | 1 | 1 | 6 | 5 | 1 | 0 | .545 | 561 | 128.2 | 136 | 19 | 43 | 0 | 11 | 69 | 0 | 0 | 63 | 63 | 4.41 | 1.39 |
2009 | 12 | 12 | 1 | 0 | 0 | 1 | 8 | 0 | 0 | .111 | 295 | 66.1 | 69 | 5 | 24 | 1 | 4 | 37 | 4 | 2 | 41 | 33 | 4.48 | 1.40 | |
2010 | 20 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 171 | 37.2 | 42 | 8 | 17 | 0 | 2 | 26 | 2 | 0 | 27 | 26 | 6.21 | 1.57 | |
2011 | 17 | 8 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 268 | 62.1 | 61 | 5 | 19 | 0 | 3 | 40 | 0 | 0 | 25 | 24 | 3.47 | 1.28 | |
2012 | 35 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 1 | .400 | 337 | 77.0 | 76 | 8 | 23 | 2 | 11 | 44 | 3 | 0 | 36 | 32 | 3.74 | 1.29 | |
2013 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 67 | 13.1 | 18 | 2 | 9 | 0 | 1 | 9 | 0 | 0 | 13 | 13 | 8.78 | 2.02 | |
2014 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 12 | 3.0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 1.33 | |
通算:7年 | 128 | 50 | 2 | 1 | 1 | 13 | 23 | 1 | 1 | .361 | 1711 | 388.1 | 404 | 48 | 135 | 3 | 32 | 227 | 9 | 2 | 207 | 193 | 4.47 | 1.39 |
- 2014年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
記録
- 投手記録
- 初登板:2008年4月9日、対読売ジャイアンツ2回戦(横浜スタジアム)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点[5]
- 初奪三振:同上、9回表に脇谷亮太から空振り三振[5]
- 初先発・初勝利:2008年4月27日、対広島東洋カープ6回戦(横浜スタジアム)、7回1失点 [6]
- 初セーブ:2008年6月1日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に2番手で救援登板・完了、3回2失点[7]
- 初完投勝利・初完封勝利:2008年7月16日、対広島東洋カープ13回戦(横浜スタジアム)、打者28人4安打3三振無四死球95球完封[8]
- 初ホールド:2012年4月21日、対阪神タイガース5回戦(横浜スタジアム)、6回表に2番手で救援登板、2回無失点[9]
- 打撃記録
- 初安打:2008年7月16日、対広島東洋カープ13回戦(横浜スタジアム)、8回裏に大島崇行から右前安打[8]
- 初打点:2008年7月23日、対東京ヤクルトスワローズ14回戦(明治神宮野球場)、2回表に石川雅規から左越2点適時二塁打[10]
背番号
- 14 (2008年 - 2014年)
脚注
- ^ DeNA厳冬の嵐 小林太には制限超え減額か自由契約の選択迫る Sponichi Annex 2013年10月30日
- ^ DeNA - 2014年度契約更改 SANSPO.COM
- ^ 2015年度選手契約についてDeNA球団公式サイト2014年10月3日配信
- ^ “プロ野球引退「セカンドキャリア支援」その後 元横浜DeNA小林太志さん「スムーズに決まって良かった」”. キャリコネニュース. (2015年3月26日) 2015年11月21日閲覧。
- ^ a b 神奈川新聞、2008年4月10日。
- ^ 神奈川新聞、2008年4月28日。
- ^ 神奈川新聞、2008年6月2日。
- ^ a b 神奈川新聞、2008年7月17日。
- ^ 神奈川新聞、2012年4月22日。
- ^ 神奈川新聞、2008年7月24日。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 小林太志 - NPB.jp 日本野球機構