富永康博

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富永 康博
名前
カタカナ トミナガ ヤスヒロ
ラテン文字 TOMINAGA Yasuhiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-05-22) 1980年5月22日(44歳)
出身地 福岡県北九州市
身長 193cm
体重 88kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2003
2001
2004-2006
2007
2007
2008
名古屋グランパスエイト
デンソー
サガン鳥栖
横浜F・マリノス
コンサドーレ札幌
コンサドーレ札幌
0 (0)
9 (0)
20 (0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

富永 康博(とみなが やすひろ、1980年5月22日 - )は元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー

来歴

東福岡高校黄金期のメンバーで、金古聖司千代反田充宮原裕司山崎理人らが同学年である。 高校卒業後の1999年名古屋グランパスに入団。しかし、同年、日本代表GK・楢崎正剛が移籍加入したこともあって、出場機会を掴むことができず、2001年JFLデンソーレンタル移籍。シーズン途中に名古屋に復帰するが、結局、名古屋では1試合も出場できないまま2003年シーズン終了後に同チームを退団。サガン鳥栖への移籍が決定した。移籍初年度の2004年は開幕戦出場を果たし、シュナイダー潤之介とポジションを争ったが、2005年以降は出場機会が激減。2007年横浜F・マリノスへ移籍したが、出場機会はなく、同年9月、林卓人ベガルタ仙台にレンタル移籍したことにより、ゴールキーパーの補強を急務としていたコンサドーレ札幌にレンタル移籍した。ここでも出場機会には恵まれず、シーズン終了後に保有権を持つ横浜F・マリノスから戦力外通告を受けたが、林卓人のレンタル移籍が翌2008年に延長されたこともあり、完全移籍での札幌残留が決定した。しかし、2008年も公式戦出場の機会を得られず、契約満了による2008年シーズン限りでの退団が決定した。結局これをもって現役引退、2009年から大阪学院大学のGKコーチに就任した。『この度、現役を引退して大阪学院大学サッカー部のGKコーチに就任することとなりました。選手の時とは立場は変わりますが、一生懸命努力をして優秀な選手を育てられるように頑張りたいと思います。サポーターの皆さん、本当に今まで暖かい応援ありがとうございました。』

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
1999 名古屋 22 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 0 0 0 0 0 0 0 0
2001 デンソー 24 JFL 9 0 - 0 0 9 0
2001 名古屋 22 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 0 0 0 0 0 0 0 0
2003 0 0 0 0 0 0 0 0
2004 鳥栖 1 J2 18 0 - 0 0 18 0
2005 2 0 - 0 0 2 0
2006 12 0 0 - 0 0 0 0
2007 横浜FM 37 J1 0 0 0 0 - 0 0
札幌 1 J2 0 0 - 0 0 0 0
2008 26 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 J2 20 0 - 0 0 20 0
日本 JFL 9 0 - 0 0 9 0
総通算 29 0 0 0 0 0 29 0

エピソード

  • 2004年7月10日、三ツ沢公園球技場での横浜FC戦で、相手GKの菅野孝憲に当時のJリーグ最長ゴール(約88m)を決められる。相手陣内のペナルティエリア付近からのFKが風に乗って伸び、自陣ペナルティエリア付近で予想外に大きくバウンドしたため、頭上を越えてしまうという不運が重なった。[1]

出場大会等

外部リンク

関連項目