国際通貨基金
国際通貨基金 | |
---|---|
各国語表記
International Monetary Fund(英語) | |
ワシントンD.C.のIMF本部 | |
概要 | 専門機関 |
略称 | IMF |
代表 | クリスティーヌ・ラガルド専務理事 |
状況 | 活動中 |
活動開始 | 1946年3月 |
本部 | アメリカ合衆国・ワシントンD.C. |
公式サイト | IMF(英語) |
International Monetary Fund Portal:国際連合 |
国際通貨基金(こくさいつうかききん、英語: International Monetary Fund、IMF)は、通貨と為替相場の安定化を目的とした国際連合の専門機関。本部はアメリカ合衆国のワシントンD.C.。2011年9月現在の加盟国は187ヶ国。
沿革
為替相場の安定を図ることなどを目的に1944年7月にアメリカ合衆国ニューハンプシャー州のブレトンウッズで開かれた国際連合の「金融・財政会議」のブレトン・ウッズ協定によって、戦後復興策の一環として国際復興開発銀行と共に1946年3月に29ヶ国で創設された。
1947年3月にIMF協定が発効し実際の業務を開始し、国際連合と協定を結び国連の専門機関となった。世界銀行と共に、国際金融秩序の根幹を成す。
業務
加盟国が経常収支が著しく悪化した場合などに融資などを実施することで、国際貿易の促進、加盟国の高水準の雇用と国民所得の増大、為替の安定、などに寄与する事を目的としている。 また、為替相場の安定のために、経常収支が悪化した国への融資や、為替相場と各国の為替政策の監視などを行っている。各国の中央銀行の取りまとめ役のような役割を負う。
毎年秋に年次総会と呼ばれる世界銀行と合同の総務会を開催。また年2度の国際通貨金融委員会の開催も行っている。
主要会議
総会
総会(英語: World Bank IMF General Assembly)は、毎年秋に1回、世界銀行と合同で開催される。
国際通貨金融委員会
国際通貨金融委員会(英語: International Monetary and Financial Committee、IMFC)は、年に2回開催される。
構成
意思決定機関として以下の二つがある。
総務会
「英語: Board of governors(一般的に総務会と訳される)」は、各国2人の代表者(財務大臣や中央銀行総裁など)で構成される最高意思決定機関で、年1回開催される。投票権は出資金の支払い比率に応じて与えられる。この出資金がIMFの財源であり、経済規模に応じて定められている。
理事会
「英語: Executive board(一般的に理事会と訳される)」は、24名の理事によるIMFの通常業務に関する執行機関。
幹部
理事
現在24名で構成されている。
専務理事
「英語: managing director(一般に専務理事と訳される)」は、理事会の議長と国際通貨基金の代表を務める。世界銀行の総裁に米国出身者が選出されれているのと同様、国際通貨基金の専務理事には欧州出身者の就任が不文律となっているが、かつてカムドシュの後任として日本の榊原英資元財務官が、またストロスカーンの後任にメキシコ中央銀行のカルステンス総裁の起用が検討されたことがある。
代 | 専務理事 | 国 | 就任 | 退任 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | カミーユ・ガット | ベルギー | 1946年5月6日 | 1951年5月5日 | |
2 | イヴァル・ルース | スウェーデン | 1951年8月3日 | 1956年10月3日 | |
3 | ペール・ヤコブソン | スウェーデン | 1956年11月21日 | 1963年5月5日 | |
4 | ピエール=ポール・シュバイツァー | フランス | 1963年9月1日 | 1973年8月31日 | |
5 | ヨハネス・ヴィトフェーン | オランダ | 1973年9月1日 | 1978年6月16日 | |
6 | ジャック・ド・ラロジエール | フランス | 1978年6月17日 | 1987年1月15日 | |
7 | ミシェル・カムドシュ | フランス | 1987年1月16日 | 2000年2月14日 | |
8 | ホルスト・ケーラー | ドイツ | 2000年5月1日 | 2004年3月4日 | |
代行 | アンネ・オズボーン・クリューガー | アメリカ合衆国 | 2004年3月4日 | 2004年6月7日 | |
9 | ロドリゴ・ラト | スペイン | 2004年6月7日 | 2007年10月31日 | |
10 | ドミニク・ストロス・カーン | フランス | 2007年11月1日 | 2011年5月18日 | |
代行 | ジョン・リプスキー | アメリカ合衆国 | 2011年5月18日 | 2011年7月5日 | |
11 | クリスティーヌ・ラガルド | フランス | 2011年7月5日 | (現職) |
日本との関係
- 1952年(昭和27年) - 日本がIMFに加盟し、理事国になる。
- 1964年(昭和39年) - 国際収支の赤字を理由に為替制限ができる14条国から、それができない8条国へ移行。
- 1970年(昭和45年) - 任命理事になる。
- 2006年(平成18年) - 小寺清が日本人として初の合同開発委員会の事務局長となる。
クォータ改革
2008年3月28日、クォータ(各国の投票権等の基礎となる出資額)の改革について、理事会において決議案が合意された。 クォータ改革の最大の目的は、世界経済における加盟国の相対的地位をクォータ・シェアにより反映させることであり、この改革によって新興国市場でのIMFの役割と責任は高められるとされている。
問題点
かつては融資を行う際に、内政不干渉の原則を守り、特に条件をつけることはなかった。しかしながら、成果があがらない国も多く、踏み倒しも横行した。
このため、1979年以降は融資の効果を阻害するような政治状態の国には、政策改善を条件にした融資を行うようになった。この際に、対象国に課せられる要求のことを「構造調整プログラム(Structural Adjustment Program)」と呼ぶ。このIMFの構造調整プログラムにより、アフリカや南米、アジアなどの発展途上国では、様々な経済問題(失業など)が発生し、社会が混乱に陥ったという見解が多い。
日本の場合、大口出資国で有る等の立場から財務官僚が多く出向しており、融資が行われていないにもかかわらず「消費税を上げるべきだ」等のIMFの討議内容の報道がなされる。 これは、IMFの正式発表ではなく、財務官僚が出向者を使いさも、まるで、IMFが全体がその様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操作する道具にしている[要出典]。
専務理事の強姦疑惑
関連項目
- 特別引出権(SDR)
- アジア通貨危機
- グローバリゼーション
外部リンク
- IMF(日本語) - 日本語サイトには一部ページのみ記載。詳細は英語サイトへ。
- IMF(英語)
- アジア太平洋地域事務所(日本語)