中西一郎
中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1992年11月18日)は、日本の政治家、官僚。自由民主党参議院議員(4期)。第2次中曽根内閣の総理府総務長官兼沖縄開発庁長官。
来歴・人物
兵庫県神戸市生まれ。第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業後[1]、農林省に入省。海軍に志願し海軍大尉として終戦。
農林大臣秘書官(事務担当)、大臣官房企画室長、食糧庁業務第二部長、農林省官房長を経て、1965年に経済企画庁国民生活局長。
1972年、佐野芳雄社会党議員の死去に伴う第8回参議院議員通常選挙兵庫県選挙区補欠選挙に出馬し初当選。
1975年、公職選挙法改正に関する特別委員長在任中に内藤功日本共産党議員から問責決議が提出されるが、否決[2]。
1983年に第2次中曽根内閣の総理府総務長官兼沖縄開発庁長官に就任し、初入閣。1984年7月、総務庁発足に伴い総理府総務長官の職が廃止された(総理府で総務庁へ移行された人事局、恩給局、北方対策本部、青少年対策本部などは以降総務庁長官が担当し、それ以外〈国際平和協力本部、榮典など〉は官房長官が担当)。総務庁長官には同じく総務庁発足で廃止された行政管理庁長官の後藤田正晴が就任し、中西は沖縄開発庁長官のみの在任となる。
1992年11月18日死去。享年77。
栄典
脚注
- ^ 『参議院要覧,第3部』参議院事務局、1986年発行
- ^ 第75回国会 参議院 本会議 第22号 昭和50年7月4日
- ^ 「秋の叙位叙勲4538人、晴れの受章 隠れた功労者、史上2位の1741人」『読売新聞』1988年11月3日朝刊
関連項目
議会 | ||
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先代 橘直治 |
参議院公職選挙法改正に関する特別委員長 1974年 - 1976年 |
次代 神田博 |
公職 | ||
先代 丹羽兵助 |
沖縄開発庁長官 第14代:1983年 - 1984年 |
次代 河本敏夫 |
先代 丹羽兵助 |
総理府総務長官 第33代:1983年 - 1984年 |
次代 廃止 |