下地幹郎

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日本の旗衆議院議員 下地 幹郎
2010年6月24日、渋谷駅での街頭演説にて
生年月日 (1961-08-14) 1961年8月14日(62歳)
出身地 沖縄県平良市(現宮古島市
出身校 中央学院大学商学部
学位・資格 商学士
前職 会社役員
所属委員会 議院運営委員会
予算委員会
安全保障委員会
国土交通委員会
世襲
父・下地米一(平良市長)
選出選挙区 沖縄1区
当選回数 4回
所属党派自由民主党橋本派)→)
無所属→)
政党そうぞう→)
国民新党
党役職 代表代行
幹事長
国会対策委員長
会館部屋番号 衆議院第1議員会館629号室
ウェブサイト 沖縄が決める!〜衆議院議員「下地ミキオ」
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下地 幹郎(しもじ みきお、1961年(昭和36年)8月14日 - )は、日本政治家国民新党所属の衆議院議員(4期)。国民新党代表代行、幹事長国会対策委員長

国民新党政務調査会長政党そうぞう代表、自由民主党沖縄県連常任顧問を務めた。

沖縄県平良市長を務めた下地米一は父。

経歴

ケヴィン・メア米国那覇総領事を歓迎する下地

沖縄県平良市(現宮古島市)出身。沖縄県立宮古高等学校中央学院大学商学部商学科卒業。

1996年第41回衆議院議員総選挙自由民主党公認で沖縄県第1区から出馬し、沖縄1区では新進党(旧公明党系)の白保台一日本共産党古堅実吉の後塵を拝したが、比例復活により初当選を果たした。自民党内では鈴木宗男の側近であり、鈴木を支える議員グループ「ムネムネ会」の中心人物であった。2000年第42回衆議院議員総選挙では、自公の選挙協力により党総務局長の鈴木から比例単独での出馬を求められ、比例九州ブロックから出馬し再選(沖縄1区では公明党の白保が当選)。

2003年第43回衆議院議員総選挙では、自民党に党籍を残したまま沖縄1区から無所属で出馬したが、自民党・保守新党が推薦する公明党の白保に敗れ、落選。さらに2005年那覇市長選挙や第20回参議院議員通常選挙で自民党の対立候補を応援した反党行為により、離党勧告を受けたため自民党を離党。2005年第44回衆議院議員総選挙には民主党推薦で沖縄1区から無所属で出馬し、公明党の白保を破り、5年ぶりに返り咲きを果たした。同年12月、政党そうぞうを設立。

2007年5月、衆議院院内会派「国民新党・無所属の会」に入会。下地の入会により、会派の名称が「国民新党・そうぞう・無所属の会」に改められた。翌2008年8月、そうぞう代表を沖縄県議会議員の當間盛夫に譲り、顧問に就任。9月にそうぞうを離党し、国民新党に入党。党政策審議会長代行に就任した。

2009年9月、自見庄三郎政策審議会長の党幹事長就任に伴い、政策審議会長(後に政務調査会長に改称)に就任。また糸川正晃の離党(民主党入党)に伴い、国会対策委員長にも就任した。2010年2月、同年7月の第22回参議院議員通常選挙に向け、党選挙対策本部長に就任。これに伴い、政調会長を退任した。

2010年3月1日の衆議院予算委員会で、米軍普天間基地の移設先に関し、鳩山首相が5月末までに問題を解決できない場合は6月1日に議員辞職する予定を明らかにした[1]が、6月1日以降も国会議員として活動を継続している。

2010年10月20日、前原誠司外務大臣が同月27日の日米外相会談で尖閣諸島日米安全保障条約第5条の適用対象と確認したことなどを理由に、中華人民共和国が日中首脳会談を拒否したこと[2]について、「日中関係に日米関係を持ち込むからおかしくなる」「前原氏はもう外相を辞めた方がいいのではないか」などと発言した[3]

2010年12月3日、統一教会信徒の拉致監禁問題に関する統一協会からの請願書を受け取った[4]

亀井静香代表が消費税増税関連法案の閣議決定に反対して連立政権から離脱を表明すると、政権与党の立場を維持するべきだとして対立。自見庄三郎・副代表ら6人と議員総会を開き、亀井静香亀井亜紀子らを党役職から解任し[5]、民主党の輿石東幹事長と会談して、引き続き国民新党が政権与党として活動することを伝達した。2012年4月、国民新党代表代行も兼務する。

所属議員連盟

脚注

関連項目

外部リンク


党職
先代
亀井静香
国民新党代表代行
第2代 : 2012年 -
次代
現職
先代
自見庄三郎
国民新党幹事長
第3代 : 2010年 -
次代
現職
先代
糸川正晃
国民新党国会対策委員長
第3代 : 2009年 -
次代
現職
先代
自見庄三郎
国民新党政務調査会長
第2代 : 2009年 - 2010年
次代
森田高
先代
結成
政党そうぞう代表
初代 : 2005年 - 2008年
次代
當間盛夫