三遊亭究斗

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三遊亭さんゆうてい 究斗きゅうと
本名 雉鳥きじとり 功策こうさく
生年月日 (1963-02-06) 1963年2月6日(61歳)
出身地 日本の旗 日本香川県高松市
師匠 春風亭小朝
三遊亭圓丈
名跡 1. 春風亭えびー太
(1997年 - 2001年)
2. 三遊亭あろー
(2001年 - 2002年)
3. 三遊亭亜郎
(2002年 - 2014年)
4. 三遊亭究斗
(2014年 - )
出囃子 ボレロ
活動期間 俳優
1988年 -
落語家
1997年 -
活動内容 落語
俳優
ミュージカル落語
所属 落語協会
公式サイト 三遊亭究斗OFFICIAL SITE

三遊亭 究斗(さんゆうてい きゅうと、1963年2月6日 - )は、香川県高松市出身の落語家俳優落語協会所属、三遊亭圓丈一門弟子。劇団四季出身、日本で唯一のミュージカル落語家。株式会社OFFICE究斗代表取締役社長。本名:雉鳥 功策出囃子は『ボレロ[要曖昧さ回避]』。紋は『三ツ組橘』。

来歴[編集]

21歳で東京の俳優養成所を卒業後、香川で家業の土木建築業を手伝いながら地元のアマチュア劇団での活動を経て、1988年劇団四季に入団。ファミリーミュージカルなどを中心に出演、ミュージカル「李香蘭」やオリジナル作品の台本や制作にも携わったが、10年間在団後浅利慶太にも了解を得て退団。最後の舞台は「李香蘭」シンガポール公演だった[1]

1997年春風亭小朝に入門し、落語家に転身した。前座名は「春風亭えびー太」。2001年三遊亭圓丈門下に移籍し、「あろー」に改名。2002年に11月に二ツ目に昇進し、「三遊亭亜郎」となる。なお、移籍後も旧師小朝との関係は良好で、小朝主催の大銀座落語祭から招聘され、連続出演を続ける。

2003年から2004年にかけて、東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」オーディションでテナルディエ役を勝ち取り出演する。2004年から、ミュージカル俳優の経験を生かしてミュージカルと落語の融合「ミュージカル落語」を演じる。2005年から2008年までシアターテレビジョン「オペラch」にレギュラー司会として出演した。

2014年春、三代目柳家東三楼四代目柳家三語楼五代目古今亭志ん好三代目桂やまとと共に真打昇進。「三遊亭究斗きゅうと」に改名。2021年秋、ユタと不思議な仲間たちに出演することが発表された。

芸歴[編集]

人物[編集]

2008年5月30日、TBS『NEWS23』にて「亜郎のミュージカル落語」特集でスタジオ生ライブを行った際、出演後に電話の問い合わせが殺到し、番組史上最多の問い合わせ件数を記録した。

2011年1月11日配信のPodcast「林家たい平トーク落笑亭」において、劇団四季への入団前のバブル時代に仲間らと、知人の多い故郷の香川に戻り、マルチ商法に手を染めていたことを告白した。18日の配信では、「半年間やってみたがうまくいかなかった」と話している。

プロボクサーのライセンスを取得している。ただしプロのリング上での対戦経験はない。

プロ野球では阪神タイガースのファンである。

2013年以降、毎月の寄席の他、横浜関内ホールや、東京都新宿の「ミノトール2」や埼玉県「所沢市民文化センター ミューズ」などを中心にライブパフォーマンスを行っている。子供にもわかりやすく、質の高い芸術であるとして全国の小中学校の芸術鑑賞会などでの招待公演も多数行っている。

主な出演作品[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

CM[編集]

インターネット[編集]

演目[編集]

ミュージカル落語は笑いあり涙ありとエンターテイメント性が高く、従来の落語ファン以外からも注目を集めている。他方、さだまさしの楽曲「償い」を題材としたミュージカル落語「つぐない」では、細かな心理描写や極めて道徳的な作品作りが高評価を得ている。

ミュージカル落語[編集]

英語落語[編集]

  • 動物園 (The Zoo)
  • 反対俥 (The Rickshaw)

古典落語[編集]

古典落語では「文七元結」などの人情噺を得意としている。

CD[編集]

著書[編集]

  • 『いじめられてしんどい君へ』 プレジデント社 2020年12月 ISBN 978-4833423960

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 李 英宜 (2020年2月28日). “劇団四季から落語家に…三遊亭究斗「ミュージカル落語」で伝えたいこと”. 大手小町. 読売新聞社. 2021年11月11日閲覧。

外部リンク[編集]