モーゼルC96

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モーゼルC96
モーゼルC96
モーゼルC96
概要
種類 軍用自動拳銃
製造国 ドイツの旗 ドイツ帝国
設計・製造 モーゼル
性能
口径 7.63mm
銃身長 140mm
使用弾薬 7.63x25mmマウザー弾
装弾数 10発、20発
作動方式 シングルアクション
ショートリコイル
全長 308mm(ストック装着時630mm)
重量 1,100g(ストック装着時1,750g)
銃口初速 430m/s
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モーゼルC96(Mauser C96)は、ドイツ帝国で開発された自動式拳銃である。

開発

モーゼル社のフェーデルレ兄弟(フィデル、フリードリヒ、ヨゼフ)が基本設計を行い、1895年に特許を取得、1896年よりC96すなわち「96年設計型」(Construction 96)として生産が開始された。その最大の特徴となっているトリガーの前にマガジンハウジングを持つスタイルは、当時グリップがマガジンハウジングを兼ねる方式が特許取得済みだったためとも言われている。このデザインは重心が前にある為に射撃競技銃のように正確な射撃が可能であり、ストックを併用すると代用カービンとして使用できた。「箒の柄(ブルームハンドル)」とあだ名された独特の形状をしたグリップは、掌の小さな小柄な民族でも関係なく使用できる利点があり、そのまま採用され続けた。

設計

ストリッパークリップを付けた状態

使用する.30モーゼル弾(7.63x25ないし、7.62x25。資料によって表記が異なる)は、ルガーP08の原型となったボーチャードピストルでボーチャードが開発したボトルネックリムレスカートリッジがベースになっている。この弾は、初速が高く、口径の割に高威力である反面、銃身が過熱しやすいという特徴がある。

マガジンへの装弾方法は当時のボルトアクションライフルに似ており、マガジンが空か最終弾を撃ち尽くしコッキングピース(一般的な自動拳銃のスライドに相当)が後退したホールド・オープン状態から弾丸が10発まとめられたクリップを排莢口に差込み、指でマガジンに押し込む。マガジンにはダブル・カラム方式で収納される。その後クリップを抜き取り、後退したボルトを下から仮押さえしているハンマーを引き下げると、ボルトが前進してチャンバーに第一弾が送り込まれるようになっている。コッキングピースを後退位置でホールドするための独立したパーツはないため、最終弾を撃ち出すまで弾丸の途中補給は困難である。片方の手でスライドを後退させて、スライドを手とハンマー上端で仮固定させておけば、クリップ無しでも1発ずつの装弾は可能である。

セーフティレバーはハーフコックおよびフルコックでかけられる。前期型はセーフティを上に押し上げるとOFF、後期型は下に押し下げるとOFFなのでこれで前期型と後期型の区別がつく。また、ボルトとファイアリングピンの長さは同じなので静かにハンマーを戻せば暴発しない。M1930でセーフティレバーに改良が加えられ、ロック状態ではトリガーを引いて、ハンマーを落としても、ファイアリングピンを打たないようになっている。このため、M1896(前期型)とM1930(後期型)の二つのカテゴリーに大別する事が多い。構造は全て金属パーツとスプリングの噛み合せでできており、ネジはグリップで使用している一本だけである。付属のクリーニングロッド一本で、分解清掃可能となっている。

距離を調整できるタンジェントサイトを装備しているモデルが多いが、これはストックを取り付けたときを前提としたサイトになっているのでストックを付けずに撃つ場合は標的が20m先の場合、20-30cmぐらい下を狙う必要がある。

運用

当時信頼性の低かった着脱弾倉式に比べてモーゼルC96の固定弾倉方式は信頼性が高く、また、他の自動拳銃に比べて倍近い価格だったことや、その目を引くデザインからステータスシンボルとも見なされていた。そのため、モーゼルC96は20世紀前半に最も知られた自動拳銃の1つとなった。

構造上、大量生産には不向きと見なされた為にドイツ帝国軍の制式拳銃には選ばれなかったものの、当時としては多弾数だったこと、弾速の速い高速弾だったこと、ストックをつけたときの有効射程が200mを越えることなどから自動式カービンに相当するポジションを担う実用的な銃としてアジアを中心に広く愛用され、世界数ヶ国でコピー製造された。スペインのアストラ社もコピー品を生産しており、アストラM900として販売している。また、中国ではトンプソン・サブマシンガン弾薬を共用できる.45ACP弾仕様のモデルが山西省軍閥の工廠で生産されている。

なお、ブルームハンドルのフルオートモデルを先に開発していたのはアストラ社であり、マーケットを確認したモーゼル社が追従する形となっている。

馬上などでも使いやすく見栄えがするということで、清朝末期以降の中国の軍人や馬賊にも愛用された。同銃は100万丁以上生産され、旧式化してもなお中国を最大のマーケットとして1936年まで生産され続け、チャーチル・金日成・ホーチミンといった当時の著名人にも使用されている事でも有名である。

モーゼルC96で射撃訓練をする日本人警察官の夫人たち

中国戦線で大量のC96を鹵獲した日本軍では、1940年(昭和15年)2月から口径7.63mmのモデルに「モ式大型拳銃」の制式名称を与えて準制式拳銃として採用しており[1]1943年4月(昭和18年)からは弾丸も「モ式大型拳銃実包」として国産された。

中国で大量に鹵獲され、その多くが私物として日本に持ち込まれたため、戦後も一部の将校達は隠匿し続けていた事も判明しており、ソ連崩壊後に自主的に警察へ提出されたり、遺族が発見する事が多い事でも知られている。

設計の一部(閉鎖機構)や弾丸の構造が、日本の南部式自動拳銃などに影響を与えているが、外観形状や撃発機構は大きく異なっている。

型式名について

モーゼルC96には多数の派生型が存在するが、これらにモーゼル社が正式な型式名を付けなかった。そのため、現在目にする型式名は後世のコレクターや研究者の便宜上の分類であったり、販売代理店の付けたものも多い。モーゼル・ミリタリーという通称も広く知られているが、実際には軍用拳銃市場よりも民間銃器市場で取り扱われることが多かった。

C96も民間銃器市場向けの名称で、軍用としてはM96という名称が用いられた。また、単にC96と呼んだ場合、1896年の初期型から、1930年のユニバーサルセーフティを備えた後期型、さらには広義にとればフルオート機能を持つ1932年製も含んでしまう。その為、マイナーチェンジなどの細かい違いを考慮するために「M+発売年」で語られる事も多い。

バリエーション

モーゼルC96"レッド9"ストック付き
ストックを取り付けた17式を構える国民革命軍の兵士

ルガーP08ほどではないが、多種多様なバリエーションを持つ。

モーゼル・ミリタリー 9mm(M1916)
ドイツ軍制式拳銃弾の9x19mmパラベラム弾用に改造されたモデル。グリップに赤字で大きく「9」と刻印されているため、「レッド9」と呼ばれた。両大戦でドイツ軍が使用。補給上の都合から、ワルサーP38ルガーP08と弾を共有させたとされる。なお、軍によって公式に使用された兵器ではあるが、制式採用はされていない。
ボロ・モーゼル(Bolo Mauser)
ロシア向けに輸出されたモデル。グリップがやや太く、バレルは4インチに短縮されている。「ボロ」は「ボリシェヴィキ」の略で、ロシア革命前後にボリシェヴィキとその敵対勢力双方に好んで用いられた事による。
ボロ・モーゼル 6ショット
ボロ・モーゼルの弾倉を小型の6連発にして扱いやすくしたモデル。
モーゼル・フラットサイドモデル
C96の側面の凹凸をなくして磨き上げたモデル。バリエーションとして作られたのか、単なるコストダウンなのかは不明。中国ではその鏡のような磨き上げた側面から"大鏡面"の別称がつけられた。
モーゼル・ライエンフォイヤー(Mauser Reihenfeuer/M713/M1931)
形式名は"M713"であるが、シュネルフォイヤーの前のモデル。モーゼル社での社内名称はM1931。"ライエンフォイヤー"とは、「連射」の意味。製造は1931年
このモデルから、フルオートによる弾数消費に対応するため、マガジンが脱着式となり10発と20発弾倉が用意された。フルオート射撃時の振動でセレクターが勝手に切り替わってしまうなど欠陥が多かった失敗作で、短期間で生産中止となった。
モーゼル・シュネルフォイヤー(Mauser Schnellfeuer/M712/M1932)
"シュネルフォイヤー"とは、「速射」の意味。フルオート射撃が可能なマシンピストルであり、俗にM712と呼ばれるモデル(M712は、アメリカの代理店ストーガー社が付けた型式名)。1932年に製造された事からM1932とも呼ばれる。ライエンフォイヤーの欠陥を完全に改めたモデル。セレクターレバーには固定用の押しボタンが設けられ、射手がボタンを押し込んで初めてレバーを操作できる。
M713と同様、フルオート射撃機能の採用を受けて10発ないし20発の着脱式マガジンが用意されたが、従来通りのクリップによる装填も可能。なお、現存する20発弾倉の数は希少である。フルオート射撃では振動が大きく、ストックを使用し片膝を突いた姿勢でも射線の維持は困難であり、近接戦闘弾幕を張る以外の目的には適さないとされる。中国の遊撃隊兵士は、その振動を利用して銃身を水平に倒し、横方向に掃射する撃ち方も発想された。また、中国ではそのフルオート/セミオート射撃機能から"快慢機"の別称がつけられた。その中の20発弾倉装着型は大型の弾倉から"大肚匣子(腹が太いモーゼル拳銃)"の別称をつけた。
短機関銃より携行性に優れ、通常の拳銃よりも強力な火力を発揮できたため、短機関銃の代用たる装備としても利用された。ドイツ国内では、1940年ドイツ空軍が7,800挺を購入したが、砲兵部隊のオートバイ伝令兵にサイドアームとして供与した程度である。また、当時のドイツ空軍降下猟兵の兵士は降下の際に拳銃や手榴弾程度のみ携行し、小銃など主兵装はコンテナに詰めて別途投下するものとされていた。その為、コンテナを回収できない場合でも、カービンや短機関銃を代用出来るシュネルフォイヤーを所持していた兵士もいた。武装親衛隊でも短機関銃不足に対する補助兵器として一定数を購入している。7.63x25mmマウザー弾を使用するタイプがモデルガンで一般的であるが、9ミリルガー弾を使用するタイプもある。
モーゼル・M714(正式名称不明)
C96の弾倉着脱式、機関銃機能を除いたM712というモデル。モーゼル社の製品ではあるが軍用目的ではなく、アメリカなどへの輸出や護身用として販売されたモデル。ドイツの銃器マーケットでも稀に見ることができるが、C96やM712と比べれば知名度は低い。アンティーク銃のコレクターでも「初めて見た」という言葉がでたほどである。実際、どのような経緯でこの銃が開発されたのか今もって不明である。
山西17式
20世紀初頭、中国は多くの軍閥による群雄割拠の状態にあり、山西省は山西都督の閻錫山率いる軍閥が実効支配していた。閻は彼らにとって事実上の首都である太原に近代的な兵工廠を設けた。山西軍閥は太原兵工廠で.45ACP弾を使用するトンプソン短機関銃を生産していたが、同時に採用していたC96拳銃は7.63mm口径弾を使用しており、弾薬の供給に支障を来していた[2]
そこでC96を.45ACP弾に対応させる改良を施し、弾薬供給の単純化を目指した。この45口径拳銃は17式と名づけられ、1929年から太原兵工廠にて生産が開始され、1930年代半ばまでに月産400丁が製造された[3]
17式は左側面に「壹柒式」の刻印、右側面に「民国拾捌年晋造」の刻印がある点でC96と区別できる他、トリガーガード下で広がる大型の10発装填マガジンが外見上の特徴となっている。装填時には5発留めクリップ2つを使用する事が多かった。これは馬賊や他の軍閥に対する防衛の為、鉄道警備隊などに対してトンプソン短機関銃と共に支給された。
ほとんどの17式は国共内戦で紅軍が山西軍閥に勝利した後、共産党の規約により廃棄されたが、一部は海外へ輸出された。凡そ8,500丁の17式が太原兵工廠で生産されたとされる。しかし、実際に山西軍閥が生産したものの他、1990年代中国北方工業公司がアメリカのコレクター向けに製造しており、正確な生産数については議論がある。
漢陽製C96
1923年、漢陽兵工廠ではC96のコピー銃の製造を開始し、最終的に13,000丁程度を生産したと言われている。このモデルも17式同様に正確な生産数は分かっていない。
80式自動拳銃(80式衝鋒手槍)
C96・M712の運用、さらにコピー製造の実績を踏まえて、中国人民解放軍が1980年に正式採用した自動拳銃。全体のレイアウトはM712と同様で、ストックも着脱できるが、内部機構は独自の設計となっている。

登場作品

関連項目

脚注

  1. ^ 「チ」式7.9耗軽機関銃並に「モ」式大型拳銃準制式制定の件」 アジア歴史資料センター Ref.C01001850200 
  2. ^ Giant .45 Broomhandle from China”. Gun World (February 2001). 2009年2月26日閲覧。
  3. ^ 床井雅美『現代軍用ピストル図鑑』徳間文庫 2002年ISBN 4-19-891660-8