ヘーチマン・サハイダーチヌイ (フリゲート)

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ラーツィス
キーロフ
U130 ヘーチマン・サハイダーチュヌィイ
1995年11月15日NATOとの共同演習におけるヘーチマン・サハイダーチュヌィイ
艦歴
ラーツィス
Лацис
命名 計画当初の名称
キーロフ
Киров
起工 1990年10月5日 ザリーフ造船所
所属 ソ連国家保安委員会
進水 1992年3月29日
除籍 1992年6月
U130 ヘーチマン・サハイダーチュヌィイ
U130 Гетьман Сагайдачний
編入 1992年6月
所属 ウクライナ海軍
竣工 1993年4月2日
要目
艦種 フリゲート
艦型 11351号計画「ネレーイ」型
工場番号 209
排水量 基準排水量 3274 t
通常排水量 3458 t
満載排水量 3642 t
最大排水量 3774 t
全長 122.98 m
全幅 14.20 m
喫水 4.80 m
機関 COGAG2 基 20000 馬力
COGAG2 基 6000 馬力
推進 2推進
速力 最大速度 31.04 kn
巡航速度 14.05 kn
航続距離 3636 /14 kn、1140 浬/30 kn
乗員 180 - 198 名(資料によって異なる)
武装 ZIF-122「オサーMA2」艦対空ミサイル連装発射機 1 基(9M33Mミサイル20 発)
100 mm単装両用AK-100 1 基
30 mm6砲身機関砲AK-630M 2 基
533 mm4連装魚雷発射管UTA-53-1135 2 基(SET65または53-65K魚雷を使用)
12連装対潜ロケット弾発射機RBU-6000「スメールチ2」 2 基(RGB-60ロケット96 発)
電子戦装備 各種レーダーソナー
搭載機 Ka-27PL 1 機

U130 ヘーチマン・サハイダーチュヌィイ(ウクライナ語:U130 Гетьман Сагайдачнийヘーチマン・サハイダーチュヌィイ)は、ウクライナ海軍フリゲート(фрегат)である。ウクライナでは護衛艦(ескортний корабель)とも呼ばれる。ウクライナ海軍のシンボルとなっている。

艦名は、ペトロー・コナシェーヴィチ=サハイダーチュヌィイに因む。ロシア語名ではゲートマン・サガイダーチュヌィイ(ロシア語:Гетман Сагайдачныйギェートマン・サガイダーチュヌィイ)と呼ばれる。

概要

建造

ヘーチマン・サハイダーチュヌィイは、11351号計画「ネレーイ」型国境警備艦の9 番艦として計画された。開発はソ連時代に開始され、当初の艦種は国境警備艦(Пограничный сторожевой корабль)、艦名はラーツィス(Лацисラーツィス)であった。これは、リヴォニア出身のChKGPUNKVDの活動家マルティン・ラーツィスに因んだ名称である。

ラーツィスの建造は、他の8 隻の同型艦と同じくウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国ケルチにあったB・Ye・ブートマ記念ザリーフ造船所第532海軍工廠カムィーシュ・ブルーン造船所で行われた。造船所第208工場で建造されたことから、発注番号は「208」とされた。1991年7月9日には、ソ連国家保安委員会(KGB)の国境軍海上部に編入された。

艦は、起工とともにキーロフ(Кировキーラフ)と改称された。これはセルゲイ・キーロフに因んだ艦名で、代々ソ連の海軍艦艇に受け継がれてきた名称であった。なお、同時代のミサイル巡洋艦にも同名の艦があるが、海軍と国境警備庁で所属が異なるため、この重複は特に問題にはならなかった。

就役

1991年8月24日にウクライナが独立すると、建造中であったキーロフは同型艦クラースヌィイ・ヴィーンペルとともにウクライナ海軍へ譲渡されることとなった。所有権の移譲は翌1992年6月に行われ、フリゲートへ艦種変えされるとともに艦名をU130に改めた。1992年9月30日には完成後に乗り込む乗員が組織され、10月にケルチに到着して12月29日には艦に乗り込んだ。公試は年の明けた3月6日から行われ、4月18日に無事終了した。その間、1993年4月2日には正式に竣工となり、改めてU130 ヘーチマン・サハイダーチュヌィイと命名された。

艦名の由来となったペトロー・コナシェーヴィチ=サハイダーチュヌィイは、ウクライナ・コサック始まって以来最初の「偉大なヘーチマン」と目される歴史上の偉人で、ウクライナ文化の振興と政治的発展を齎した人物であった。ヘーチマン在職期間は、1614年から死去する1622年までであった。なお、ウクライナ国時代に同じ由来を持つ巡洋艦が建造されているが、これとの継承関係は公式には言及されておらず、不明である。

1993年7月4日には、艦上にウクライナの軍艦旗を掲げた。7月9日には、母港ととなるセヴァストーポリに到着した。一方、ソ連崩壊後の経済混乱の煽りを受け、姉妹艦のU131 ヘーチマン・ヴィシュネヴェーツィクィイ(クラースヌィイ・ヴィーンペルより改称)は建造延期となった。

艤装

ヘーチマン・サハイダーチュヌィイは、万能フリゲートとして平均的な武装を有している。対空および対水上兵装としては、ZIF-122「オサーM」短射程艦対空ミサイル・コンプレックスや100 mm単装両用AK-100、30 mm6砲身機関砲AK-630M(近接防禦火器システム)を搭載した。また、対潜水艦兵装として、対潜ロケット弾発射機RBU-6000「スメールチ2」と4連装魚雷発射管UTA-53-1135を装備した。これに加え、後甲板にはKa-27などのヘリコプターを搭載するための飛行甲板と格納庫が備えられているが、活動地域が黒海アゾフ海などに限られるため、ヘリコプターを搭載することは多くない。なお、国境軍向けに開発された当初設計では搭載ヘリコプターは捜索・救難型のKa-27PSが想定されていたが、ウクライナ海軍への編入後、原則として対潜型のKa-27PLがリストアップされるようになった。但し、実際にはその任務上Ka-27PSの方が搭載されることが多かった。

ヘーチマン・サハイダーチュヌィイはガスタービン動力のエンジンを有し、これにより30 kn以上の速力と、速力14 knにおける4000 の航続力とを獲得している。また、外部からの補給なしに30日間行動を続けることが可能であるとされている。

電子装備は、建艦当時の最新のものが採用された。水上捜索レーダーには3次元レーダーのMR-760「フレハートMA」、対空捜索レーダーにはMR-212/201「ヴァイハーチU」、「ナイヤーダ」、火器管制レーダーとして対空火器管制用のMPZ-301「バーザ」、主砲管制用のMR-114「バールス」、近接防禦火器システム用のMR-123「ヴィーンペル」が搭載された。電子戦装備としては、MP-401S「スタールトS」やPK-16が搭載された。水中音響探知システムとしては、MHK-335S「プラーチナS」と可変追跡装置MHK-345「ブローンザ」、水中通信システムMH-26およびMHS-407Kが搭載された。

運用

艦は、当初は「201」の艦番号を艦首に表記していた。1994年7月以降、この表記は「U130」に改められた。1996年、姉妹艦ヘーチマン・ヴィシュネヴェーツィクィイは正式に建造中止となった。

ヘーチマン・サハイダーチュヌィイの最初の海外行きとなったのは、1994年フランス来訪であった。ノルマンディー上陸作戦50周年の祝典に参加したヘーチマン・サハイダーチュヌィイは、トゥーロンルーアンル・アーヴルを訪れた。その後も、サウジアラビアブルガリアイタリアアメリカ合衆国グルジアトルコルーマニアなどを歴訪し、ウクライナ海軍の顔としての役割を担った。ルーマニア海軍ロシア海軍とは、共同軍事演習も行っている。

ウクライナ海軍は11351型の他に3 隻のフリゲートを保有したが、いずれも作戦可能状態に入ることはなかった。従って、終始ヘーチマン・サハイダーチュヌィイは稼動状態にある唯一のフリゲートであり、「海軍国」を自認するウクライナの象徴として就役以来活発な動きを見せた。2005年8月1日の海軍記念日には、ヴィクトル・ユシチェンコ大統領の視察を受けている。

海軍の重要な顔であるという事情から、ヘーチマン・サハイダーチュヌィイは比較的優遇された扱いを受けている。予算不足の中にありながらしばしば修繕作業を受けており、数年に1度はメンテナンスのためドック入りしている。2005年には他のフリゲートは退役させられたが、一方のヘーチマン・サハイダーチュヌィイに対してはメンテナンスのための予算が実行され、修繕作業を受けている。近年では、2006年11月15日にはムィコラーイウにある61コムナール記念造船工場に曳航され、12月18日よりオーバーホールに入った。作業は予定通り1年で完了し、2007年11月16日付けでヘーチマン・サハイダーチュヌィイはセヴァストーポリに帰港した。このオーバーホールには、1500万フルィーヴニャが当てられた。[1][2][3][4][5]

なお、独立以来ウクライナ海軍の他のフリゲートはすべて稼動状態になかったことから、ヘーチマン・サハイダーチュヌィイがドック入りする度に同海軍には行動可能なフリゲートが1 隻もない状態が現れていた。特に、他艦の退役した2005年以降は保有するフリゲートがヘーチマン・サハイダーチュヌィイのみとなっており、また、2007年初には長らく建造中であったミサイル巡洋艦ウクライィーナの就航の見送りと売却が決定されたため、ヘーチマン・サハイダーチュヌィイの復帰まで同海軍には稼動する大型戦闘艦艇が存在しない状態となっていた。しかし、ウクライナでは日常的な海上警備任務に必要な中・小型のコルベットやその他哨戒艦艇・巡視船を複数保有しており、こうした大型戦闘艦の不在によって重大な支障を来たす態勢ではなかった。ヘーチマン・サハイダーチュヌィイの復帰後は、代わってコルベットがオーバーホールに入っている。

展望

2007年現在、ウクライナ海軍の主要戦力となっているのは大型フリゲートのヘーチマン・サハイダーチュヌィイ、中型コルベットのルーツィクおよびテルノーピリである。これを中小のコルベットやミサイル艇、哨戒艦艇が補う形となっている。この内、本格的な外洋航行能力を持ち、ヘリコプターの運用能力があるのはヘーチマン・サハイダーチュヌィイのみである。

そのため、今後ウクライナではヘリコプターを搭載できる戦闘艦艇の不足が見込まれている。これは、現在キエフレーニンスィカ・クーズニャ工場で製造している小規模の1124M号計画「アリバトロース」型コルベットでは、設計を修正してもヘリコプターの搭載スペースが設けられないためである。

そのため、ウクライナでは新たに「ハイドゥーク21」と呼ばれるヘリコプター搭載大型コルベットの建造を計画しており、海軍の近代化計画の目途である2015年には就役させる予定である。これは、ウクライナでは58150号計画「ヒュルザー」型河川砲艇に続く2番目のステルス艦で、本格的な艦艇としてはウクライナ初となる。「ハイドゥーク21」は1124M型の後継艦であるが、その就役する頃にはヘーチマン・サハイダーチュヌィイも就役20年を越えており、老朽化が見込まれることから「ハイドゥーク21」がその後継艦となることは視野に入れられている。「ハイドゥーク21」が「コルベットとフリゲートを統合する艦」として位置づけられているのも、こうした背景がある。

ウクライナでは、2000年に前後し、ヘーチマン・サハイダーチュヌィイを除く全フリゲートを退役させ、巡洋艦や潜水艦の就役も諦める一方、2006年以降も新造コルベットのテルノーピリやオーバーホールを施したプルィドニプローヴィヤを就役させるなど、中・小型の哨戒艦艇の整備に力を入れている。こうした中建造される「ハイドゥーク21」は比較的大型のもので、特にそのヘリコプター関連空間は、西側製ヘリコプターを搭載できるようカモフ専用のヘーチマン・サハイダーチュヌィイのものよりも大きなものである。これは、ウクライナの軍事装備の脱ロシア化推進と共に西側製の機材を運用するマレーシアなどへの輸出を視野に入れた処置である。

いずれにせよ、ウクライナの象徴となることが期待された巡洋艦ウクライィーナが未完に終わり、そしてクリミア危機でもセヴァストポリが制圧時点では幸運にも地中海に居たため難を逃れ、2015年6月に海軍再建に向けてオデッサ沖にてアメリカ海軍駆逐艦ロスとの共同演習を行われ[6]、今後ともしばらくはヘーチマン・サハイダーチュヌィイがウクライナ海軍の「顔」としての役割を担っていることになった。

なお、ヘーチマン・サハイダーチュヌィイはしばしばウクライナ海軍の「旗艦」であると紹介されるが、これはシンボルとしての役割であり、運用上の正式な旗艦はU510 スラヴートィチである。

関連項目

脚注

外部リンク