コーリン・エドワーズ

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コーリン・エドワーズ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
現在のチーム ヤマハ・ファクトリー
ゼッケン 5
ウェブサイト www.texastornadobootcamp.com
www.colinedwards5.com
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2003年2014年
マニファクチャラーAprilia (2003)
Honda (2004)
Yamaha (2005–2011)
Suter (2012)
FTR Kawasaki (2013)
Forward Yamaha (2014)
チャンピオン0
2014年 順位22nd (11 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
196 0 12 3 3 1242
スーパーバイク世界選手権
活動期間1995年2002年
マニファクチャラーホンダ、ヤマハ
チャンピオン2
2002年 順位1st (552 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
175 31 75 15 23 2391.5

コーリン・エドワーズColin Edwards junior, 1974年2月27日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州コンロー出身のオートバイレーサー。

2000年2002年スーパーバイク世界選手権チャンピオン。1996年・2001年・2002年鈴鹿8時間耐久ロードレース総合優勝。2003年より2014年までロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦。愛称は「テキサス・トルネード」。

来歴[編集]

スーパーバイク時代[編集]

MotoGP(WGP)ライダーにはアメリカ人が多く、かつスーパーバイク出身である場合が多い。エドワーズも例に漏れずスーパーバイクからMotoGPに転向した一人である。

自国・アメリカのAMAスーパーバイクで頭角を現したエドワーズは1995年、SBK(スーパーバイク世界選手権)に挑戦。翌1996年に鈴鹿8時間耐久ロードレースにヤマハから参戦すると、芳賀紀行とのペアで優勝(大会史上最年少ペア、当時の最長記録を更新)を果たし飛躍のきっかけとする。

1998年ホンダに移籍。着実に成績を伸ばしていったエドワーズは2000年、ホンダの投入したニューマシンVTR1000SPWを駆り、古巣ヤマハの芳賀を下して初の世界チャンピオンに輝く。2001年ドゥカティトロイ・ベイリスにタイトルを奪われるも、バレンティーノ・ロッシとのペアで臨んだ鈴鹿8耐では優勝、2勝目を飾る。

2002年はSBK史上に残る激しいシーズンとなった。シーズン前半戦はベイリスの連戦連勝、対するエドワーズはSUGO(第1レース優勝。スポット参戦の玉田誠にチームオーダーで譲られたとの噂も)など少ない勝利と多くの表彰台は獲得するものの、ベイリス絶対有利との声が強かった。それが一転したのはアメリカラウンド・ラグナ・セカ。第2レースに勝利したエドワーズはそれ以後の全レースで優勝、最終戦を残してついにポイントでベイリスを上回った。そして迎えた最終戦のイモラ、エドワーズはベイリスとの激しいバトルを制し2連勝、自身2度目のタイトルを獲得した。また、MotoGPイギリスグランプリで負傷した宇川徹の代役で参戦した鈴鹿8耐でも加藤大治郎と組んで6ピットで最長記録となる219ラップで優勝した。

MotoGP参戦[編集]

ホンダは諸般の事情から2003年からSBKのワークス活動を休止。エドワーズはホンダにMotoGP参戦を打診したようだが、ライダー枠に空きが無くアプリリアへの移籍を決断する。この際アプリリアSBKライダーだった芳賀紀行もMotoGPに転向、2人は再びチームメイトとなる。しかしアプリリアのマシンはチャタリングが激しくエドワーズ・芳賀ともに大苦戦。散々なMotoGP1年目であった。

2004年、1年ぶりにホンダ(サテライトグレシーニ・チーム)に復帰。しかしサテライトのNo2ライダーの苦しさか、最新パーツが回ってこない型落ちマシンで思ったほどの成果が上げられない(入賞率の高さからランキングは上位だが)。そんなエドワーズに古巣ヤマハから2005年からワークスチーム移籍の話が舞い込んだ。これはヤマハのエース・ロッシが、鈴鹿8耐でペアを組んで相性のよかったエドワーズをチームメイトに指名したことによる。

2005年、ヤマハに復帰・ワークスのシートを手に入れる。だがロッシの速さが突出しており、待望の初優勝はあげられなかった。

2006年も同体制でMotoGP参戦。第8戦ダッチTTではニッキー・ヘイデンと激しいバトルを展開したが、あと一歩というところで初優勝を逃した。なお、鈴鹿8耐には10年ぶりに芳賀とのペアでヤマハから参戦したが、序盤でリタイアとなった。

2008年からテック3チームに移籍。表彰台は何度も経験しているものの優勝だけは手が届かず惜しい成績を残し続けた。

2012年からはヤマハから離れ、同シーズンからCRTマシンを使用してMotoGPクラスへと参戦するフォワード・レーシングへと移籍。スッターのCRTシャーシにBMW・S1000RRのエンジンを搭載したマシンで参戦したが、2012年シーズンは11位が最高で結果を残せなかった。2013年もCRTシャーシで参戦するが、車体はFTR・エンジンはカワサキ・ニンジャZX-10Rの組み合わせで挑む。

2014年4月10日、今季限りでの現役引退を表明した[1]

その他[編集]

  • 新しいツナギを初めてサーキットで用いる際に、「コケないためのおまじない」として地面に転がる儀式をする。
  • MotoGPに移って、特にヤマハ移籍後のエドワーズの走りは非常に安定している事で有名である。2009年シーズンは優勝こそ出来ていないものの、1度のリタイヤは他のライダーの巻き添えを喰ったものであり自分が原因のリタイヤは0、17戦中16戦ポイント獲得という獲得率は全ライダー中2位であった。

主な戦績[編集]

  • 1993年
AMAスーパーバイク ランキング6位
  • 1994年
AMAスーパーバイク ランキング6位

スーパーバイク世界選手権[編集]

シーズン バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
1995年 ヤマハ・YZF750 20 0 2 0 1 141 11位
1996年 ヤマハ・YZF750 20 0 7 2 0 248 5位
1997年 ヤマハ・YZF750 8 0 1 0 1 79 12位
1998年 ホンダ・RVF/RC45 24 3 6 0 0 277.5 5位
1999年 ホンダ・RVF/RC45 26 5 10 2 3 361 2位
2000年 ホンダ・VTR1000SPW 26 8 12 6 6 400 1位
2001年 ホンダ・VTR1000SPW 25 4 12 0 4 333 2位
2002年 ホンダ・VTR1000SPW 26 11 25 5 8 552 1位
合計 175 31 75 15 23 2391.5

鈴鹿8時間耐久ロードレース[2][編集]

開催年 バイク チーム パートナー 予選グリッド 決勝総合順位
1995年 ヤマハ・YZF750SP Y.R.T.R 永井康友 10位 5位
1996年 ヤマハ・YZF750 Y.R.T. 芳賀紀行 6位 1位
1998年 ホンダ・RVF/RC45 カストロール・ホンダ 岡田忠之 6位 3位
1999年 ホンダ・RVF/RC45 カストロール・ホンダ アーロン・スライト 10位 2位
2000年 ホンダ・VTR1000SPW カストロール・ホンダ バレンティーノ・ロッシ 6位 リタイヤ
2001年 ホンダ・VTR1000SPW チーム・キャビン・ホンダ バレンティーノ・ロッシ / 鎌田学 2位 1位
2002年 ホンダ・VTR1000SPW チーム・キャビン・ホンダ 加藤大治郎 2位 1位
2006年 ヤマハ・YZF-R1SP ヤマハ・ブルー・レーシング 芳賀紀行 7位 リタイヤ

ロードレース世界選手権[編集]

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズン クラス バイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2003年 MotoGP アプリリア JPN
6
RSA
Ret
SPA
14
FRA
10
ITA
9
CAT
Ret
NED
7
GBR
10
GER
14
CZE
12
POR
14
BRA
13
PAC
17
MAL
13
AUS
16
VAL
8
13位 62
2004年 MotoGP ホンダ RSA
7
SPA
7
FRA
5
ITA
12
CAT
5
NED
6
BRA
6
GER
5
GBR
2
CZE
7
POR
9
JPN
Ret
QAT
2
MAL
11
AUS
4
VAL
8
5位 157
2005年 MotoGP ヤマハ SPA
9
POR
6
CHN
8
FRA
3
ITA
9
CAT
7
NED
3
USA
2
GBR
4
GER
8
CZE
7
JPN
6
MAL
10
QAT
4
AUS
6
TUR
7
VAL
8
4位 179
2006年 MotoGP SPA
11
QAT
9
TUR
9
CHN
3
FRA
6
ITA
12
CAT
5
NED
13
GBR
6
GER
12
USA
9
CZE
10
MAL
10
AUS
Ret
JPN
8
POR
4
VAL
9
7位 124
2007年 MotoGP QAT
6
SPA
3
TUR
Ret
CHN
11
FRA
12
ITA
12
CAT
10
GBR
2
NED
6
GER
4
USA
11
CZE
Ret
RSM
9
POR
10
JPN
14
AUS
9
MAL
10
VAL
13
9位 124
2008年 MotoGP QAT
7
SPA
Ret
POR
4
CHN
7
FRA
3
ITA
5
CAT
5
GBR
4
NED
3
GER
Ret
USA
14
CZE
14
SMR
10
IND
15
JPN
7
AUS
8
MAL
8
VAL
6
7位 144
2009年 MotoGP QAT
4
JPN
12
SPA
7
FRA
7
ITA
6
CAT
7
NED
4
USA
7
GER
9
GBR
2
CZE
7
IND
5
SMR
Ret
POR
5
AUS
5
MAL
13
VAL
4
5位 161
2010年 MotoGP QAT
8
SPA
12
FRA
12
ITA
13
GBR
9
NED
8
CAT
11
GER
Ret
USA
7
CZE
7
IND
Ret
SMR
7
ARA
12
JPN
5
MAL
NC
AUS
7
POR
7
VAL
12
11位 103
2011年 MotoGP QAT
8
SPA
Ret
POR
6
FRA
13
CAT
DNS
GBR
3
NED
7
ITA
9
GER
10
USA
8
CZE
8
IND
7
RSM
13
ARA
13
JPN
8
AUS
5
MAL
C
VAL
INJ
9位 109
2012年 MotoGP スッター QAT
12
SPA
16
POR
DNS
FRA
INJ
CAT
NC
GBR
16
NED
Ret
GER
12
ITA
Ret
USA
13
IND
13
CZE
13
RSM
11
ARA
18
JPN
13
MAL
Ret
AUS
Ret
VAL
14
20位 27
2013年 MotoGP FTR Kawasaki QAT
Ret
AME
Ret
SPA
15
FRA
16
ITA
14
CAT
9
NED
17
GER
13
USA
12
IND
13
CZE
11
GBR
14
RSM
12
ARA
16
MAL
15
AUS
12
JPN
12
VAL
15
14位 41
2014年 MotoGP フォワードヤマハ QAT
9
AME
Ret
ARG
20
SPA
Ret
FRA
17
ITA
15
CAT
18
NED
22
GER
20
IND
13
CZE GBR RSM ARA JPN AUS MAL VAL 22位 11
  • * は、シーズン中の順位とポイント。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]