エールフランス447便墜落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。153.229.141.52 (会話) による 2016年3月19日 (土) 06:30個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎乗客・乗務員)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

エールフランス 447便
事故機(F-GZCP)
出来事の概要
日付 2009年6月1日
概要 着氷による対気速度計の異常、副操縦士の操縦ミス
現場 赤道付近の大西洋
乗客数 216
乗員数 12
負傷者数 0
死者数 228(全員)
生存者数 0
機種 エアバスA330-200
運用者 フランスの旗 エールフランス
機体記号 F-GZCP
出発地 ブラジルの旗 アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港
目的地 フランスの旗 パリ=シャルル・ド・ゴール空港
テンプレートを表示

エールフランス447便墜落事故(エールフランス447びんついらくじこ)とは、2009年6月1日エールフランス447便が大西洋上に墜落した航空事故である。

乗客・乗務員

捜索に向かうブラジル空軍機
会見を行う伯仏両国の担当者
  • 乗員:12名
    • コックピットクルー:3名
      • 機長:マルク・デュボア(58歳)
      • 副操縦士:ピエール・ボナン(32歳)
      • 交代パイロット:ダビッド・ロベール(37歳)
    • 客室乗務員:9名
  • 乗客:216名

事故機には、3人の操縦士と客室乗務員9人、計12人が乗務していた。乗客は、126人の成人男性、82人の成人女性のほか、7人の子ども、1人の乳児だった。エールフランスによると、乗客乗員の国籍は大部分がフランス人(61人)とブラジル人(58人)、次いでドイツ人(26人)である。

2009年6月1日同社発表による、乗客・乗員の国籍のリストを下記に示す[1] (これは6月3日発表の、搭乗した乗員・乗客75名の部分的リストも含まれる)[2]

以下は各国政府等、他の情報源の発表[9]による:

ブラジル人では、旧ブラジル皇帝家の子孫の1人で、将来的にヴァソウラス系ブラジル帝位請求者となることが確実視されていたペドロ・ルイス・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサの搭乗も確認された。

ミシュラングループのフランス人の幹部社員1人と、ラテンアメリカの最高経営責任者を含むブラジル人の幹部社員2人、ドイツの鉄鋼会社ティッセン・クルップのブラジルの関連企業のCSAの社長、そして中華人民共和国の国営報道メディアの8人と海外在住のファーウェイの従業員1人、同国の鉄鋼企業の6人も乗客だった。

アイルランド外務省は、ベルファスト、ダブリン、およびティペラリーから1人ずつ、女性市民3人の搭乗を確認した。この内ベルファストからの乗客はリバーダンスブロードウェイ公演に出演した俳優[10]で、ブラジルでの休暇から帰国中と判明した。

スウェーデン大使館によれば、同国人に女性2人と、生後23カ月の幼児を含む合計3人の乗客がいた。しかし、この報告はエールフランスによる発表と矛盾する。同社は、全乗客中のスウェーデン人は1人のみと発表した。

概要

対気速度計(ピトー管)が凍結で作動せず、自動操縦が解除。操縦士が機首を上げすぎて失速、副操縦士が操縦桿を引き続けたため、機首下げによる速度回復ができず、時速約200km、腹打ち状態で海面に墜落した。

事故機の経歴

447便として運用されていたのは双発ワイドボディ機エアバスA330-200(機体記号はF-GZCP)で長距離路線用の機体で、初飛行は2005年2月25日、墜落までの飛行時間は18870時間。

事故の概略

事故機の飛行経路(予定されていた経路と消息を絶った地点)

当該機は乗客216人、乗員12人を乗せ、現地時間の5月31日19時3分にブラジルリオデジャネイロアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港を出発。定刻では、フランスパリシャルル・ド・ゴール国際空港に現地時間の6月1日11時10分到着予定だった。

グリニッジ標準時間 (GMT) の6月1日2時14分頃、最後に交信した後、消息を絶った。電気系統の異常を知らせる自動メッセージが同機から発せられた。当時の航路上では落雷を伴う乱気流が発生していた[11][12]。また、同時間帯に現場付近を飛行していたTAM航空エア・コメットの乗客・乗務員が「炎に包まれたもの」・「強烈な閃光」を機内から目撃しており、ブラジルやフランス、スペインなどの各軍隊が、消息を絶ったブラジル沿岸から北東約365kmフェルナンド・デ・ノローニャ周辺で捜索を行った。

捜索

6月2日ブラジル空軍セントピーター・セントポール群島付近の大西洋上で座席やジェット燃料などの残骸を発見[13]。ブラジルのネルソン・ジョビン国防相は、墜落を確認したと発表したが、後に当機のものでないと判明[14]

6月7日、ブラジル軍が乗客の遺体やエールフランスの社名入り座席や機体の残骸、447便の搭乗チケットなどの遺品を相次いで発見[15]。翌8日には垂直尾翼を回収[16]

その後もブラジル海軍に加え、仏海軍が観測艦「プルクワ・パ?」に搭載している水中探査機原子力潜水艦エムロード[17]を動員して機体の残骸やフライトデータレコーダーの捜索・回収を行っていたが、6月26日に機体の残骸と遺体の捜索を打ち切った。捜索で600点近い機体の残骸と51人の遺体が回収。

ブラックボックスの捜索は、水深が4000m程度と深く、海底の高低差があったため難航。仏軍主導で7月2日まで続けられた後に一旦打ち切られたが、2010年2月より再開、2011年4月3日にエンジンと主翼の一部を発見、5月1日にアメリカの深海探査艇「レモラ6000」によりブラックボックスが回収された[18]。生存者はその後も発見されず、全員が犠牲になったとされ、エールフランスの75年の歴史において最悪の事故になった[19][20]

事故原因

回収された事故機の垂直尾翼

事故原因については、落雷が発生し電気系統が故障したのではないかという説[21]や乱気流に入る際の速度を誤ったのではないかという説[22]、消息を断つ直前に事故機の速度計に異常が発生していた説[23]、エールフランス社がエアバス社に勧告されていた速度計の交換を行わなかったためではないかという説[24]などが浮上したが決め手に欠けた。

事故原因の解明が進んだきっかけは2011年5月2日、仏航空機事故調査局(BEA)が墜落現場の海底からフライトレコーダーを発見、回収したことによる[25]。フライトレコーダーを調査した結果、墜落の詳細が次第に明らかになった[26]

  • 事故発生前、機長は休憩中のためコックピットを離れており、機長席に座っていたのは3人のうち最も経験の浅い副操縦士であった。
  • 片方のピトー管が着氷し、二つの速度計が異なる値を示したので自動操縦が不可能になり、手動で操縦することになり、切り替えた時点で失速警報が鳴り始めた。
  • 失速した際の対処は通常機首を下げるが、副操縦士はなぜか操縦桿を引き、フルスロットルとしたため仰角が増し続けた。この時、二人とも警報について話し合っていた様子はなかった。
  • 機長がコックピットに戻った時は3度目の警報が鳴って完全な失速状態になっており、失速状態のまま海面に激突した。

CVRには墜落の3秒前、乗務員の1人が「なんてことだ、墜落するぞ、ありえない」と叫んでいた。また副操縦席のもう1人のパイロットが「上昇しろ」と叫んだのに対し、もう一人が「さっきからずっと操縦桿を引いている」と言っていたことも判明した。 この発言によって機長は初めて、副操縦士が失速状態にも関わらず操縦桿を引いている事に気付き、すぐさま「機首を上げるな」と指示したが、時すでに遅く機体はそのまま時速200kmで海面に叩きつけられた。

操縦輪式のボーイング機とは異なり、エアバス機は操縦桿が連結していない(タンデムしていない)のでお互いの操作を理解できなかった事、失速して落下すると迎角が瞬間的に0になるため一瞬失速警報が鳴りやむ事も遠因として考えられている。

報告書では、失速警報がたびたび鳴っているにもかかわらず適切な操作が行われておらず、「失速状態にあることをしっかり認知していなかった」とも指摘されていた。また副操縦士は高高度における”計器速度の誤表示”への対応と、マニュアルでの機体操作訓練を受けていなかったことも後に判明した。

2012年7月5日、仏航空事故調査局(BEA)は、事故原因を速度計(ピトー管)の故障と操縦士の不手際が重なったこととする最終報告書を発表した[27]

出典・脚注

  1. ^ Press release N° 5”. Air France (2009年6月1日). 2009年6月5日閲覧。
  2. ^ List of passengers aboard lost Air France flight”. Associated Press (2009年6月3日). 2009年6月3日閲覧。
  3. ^ a b “Zeisterse in verdwenen Air France vlucht” (Dutch). rtvutrecht.nl. (2 juni 2009). http://www.rtvutrecht.nl/nieuws/211178 
  4. ^ Airbus-Absturz: Jetzt 28 Tote” (2009年6月4日). 2009年6月5日閲覧。
  5. ^ a b Alexander kommer aldri tilbake på skolen (Norwegian). Dagbladet. (2009年6月3日). http://www.dagbladet.no/2009/06/03/nyheter/utenriks/air_france-ulykken/flystyrt/6527897/ 2009年6月3日閲覧。 
  6. ^ a b En el avión desaparecido de Air France iba una azafata argentina (Spanish). Clarín. (2009年6月2日). http://www.clarin.com/diario/2009/06/02/um/m-01931369.htm 2009年6月2日閲覧。 
  7. ^ “Flygplan försvann över Atlanten”. Dagens Nyheter. (2009年6月1日). http://www.dn.se/nyheter/varlden/flygplan-forsvann-over-atlanten-1.881261 
  8. ^ “The Last Resital in Rio de Janerio”. Korhan Bircan. (2009年6月6日). http://www.airfrance447.com/06/05/fatma-ceren-necipoglu-37-turkey-harpist-academic 
  9. ^ Passenger List
  10. ^ Riverdance star on lost airliner”. BBC. 2009年6月3日閲覧。
  11. ^ AF447便の事故報告書(1)-
  12. ^ AF447便の事故報告書(2)-
  13. ^ 青木謙知『飛行機事故はなぜなくならないのか55の事例でわかった本当の原因』講談社〈ブルーバックス〉、2015年、98頁。ISBN 978-4-06-257909-4 
  14. ^ 回収物は「仏機の残骸ではなかった」と ブラジル空軍”. CNN. 2009年6月5日閲覧。
  15. ^ エールフランス機墜落で17遺体収容 ブラジル軍- CNN日本語版
  16. ^ Air France tail section recovered”. BBC. 2009年6月15日閲覧。
  17. ^ エールフランス機捜索、仏が原潜投入 読売新聞 2009年6月6日
  18. ^ 青木謙知『飛行機事故はなぜなくならないのか55の事例でわかった本当の原因』講談社〈ブルーバックス〉、2015年、100頁。ISBN 978-4-06-257909-4 
  19. ^ 大西洋上で発見の残骸、不明の仏機と断定 CNN日本語版
  20. ^ 大西洋上の残骸はエールフランス機の一部=ブラジル国防相 ロイター通信日本語版
  21. ^ 不明の仏機、落雷被害か 障害連鎖、回避困難に? asahi.com 朝日新聞社 2009年6月3日閲覧
  22. ^ 事故機、適切な速度出さず?=仏紙”. 時事通信. 2009年6月5日閲覧。
  23. ^ エールフランス機の墜落原因、速度計の異常か 仏事故調査局”. AFP. 2009年6月5日閲覧。
  24. ^ エールフランス、エアバス社の速度計交換勧告を怠った疑い”. Yomiuri Online. 2009年6月7日閲覧。
  25. ^ 大西洋で墜落のエールフランス機、記録装置を2年ぶり回収”. CNN.co.jp. 2011年5月2日閲覧。
  26. ^ http://www.businessinsider.com/finally-new-details-explain-why-air-france-jet-plunged-into-the-atlantic-2012-5
  27. ^ 仏機墜落事故、原因は「計器故障と操縦士の不手際」最終報告AFP.BB.News(2012年7月6日)同日閲覧

関連項目

参考文献

外部リンク