赤星貴文

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赤星 貴文 Football pictogram.svg
Takafumi akahoshi.jpg
名前
愛称 アカ
カタカナ アカホシ タカフミ
ラテン文字 AKAHOSHI Takafumi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1986年5月27日(25歳)
出身地 静岡県富士市
身長 175cm
体重 66kg
選手情報
在籍チーム ポーランドの旗 ポゴン・シチェシン
ポジション MF
利き足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2005-07
2008
2009-09.6
2009.7-12
2010.3-7
2010.7-2011.1
2011.1-
日本の旗 浦和
日本の旗 水戸(loan)
日本の旗 浦和
日本の旗 山形(loan)
日本の旗 金沢
ラトビアの旗 リエパーヤ
ポーランドの旗ポゴン・シチェシン
2 (0)
41 (8)
0 (0)
8 (0)
15 (1)
15 (6)
8 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年1月28日現在。
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赤星 貴文(あかほし たかふみ、1986年(昭和61年)5月27日 - )は、静岡県富士市出身のサッカー選手。ポジションミッドフィールダーポーランド・1リーガ・ポゴン・シチェシン所属。

目次

[編集] 経歴

静岡県東部の富士市に生まれ、地元の少年団神戸(ごうど)FCでサッカーを始める。中学時代は清水エスパルスジュニアユースに所属し、現清水の枝村匠馬らとクラブ日本一を経験した。この当時から年代別の代表に名を連ね、将来を期待されている選手であった。

高校時代は清水ユースへと進まず、静岡の名門藤枝東高校に進学。先輩の成岡翔(現福岡)から受け継いだ名門の10番を背負い、1年時からスタメンに定着した。在学当時、総体に2年連続出場、全日本ユース高校選手権に2年連続と、当時の静岡勢としては最も多くの全国大会を経験したにもかかわらず、全国大会での目立ったタイトルはなく、三年時に静岡県選抜として優勝した埼玉国体が唯一のタイトルである。中でも、王国復活を掲げて臨んだ最後の高校選手権では、順調に3回戦へと駒を進めたが、強豪国見高校の前にPK戦の末敗れ涙を飲んだ。このPK戦で、藤枝東の第一キッカーを務めた赤星も失敗しており、試合後は大粒の涙を流して悔しがった。[1]

全国大会での主な成績は少ないものの、2004年の高校選手権静岡県大会でMVPに輝くほどの逸材であり、赤星の視野の広さや判断力などは「近年の藤枝が生んだ最高傑作」とまで言われた[2]。当時から既に高校生離れした実力を持ち、高校3年時にはジュニアユース時代に所属していた清水を始め、Jリーグの各球団が争奪戦を繰り広げた。赤星はその中から浦和レッズを選択[3]。2005年に正式入団[4]

浦和では1年目から公式戦デビューを果たすなど活躍が期待されたが、当時Jリーグ王者やアジア王者に輝くなど圧倒的な選手層を誇っていた浦和の中で徐々に出場機会が減り、2007年シーズンはカップ戦も含め公式戦に出場することは無かった。2008年、出場機会を求め水戸ホーリーホックレンタル移籍[5]。水戸ではボランチとしてスタメンを奪取。2列目でも起用され、41試合出場、8得点と結果を残した。

2008年10月、長谷部誠(現VfLヴォルフスブルク)・小野伸二(現清水)の海外移籍でボランチを欠いていた浦和の事情もあり、2009年シーズンからの浦和への復帰が決定。同年12月に正式発表される[6]。しかしその2009年シーズンは、チームが3バックから4バックに移行したことにより、前年までDFにコンバートされていた阿部勇樹(現レスター・シティFC)や細貝萌(現FCアウクスブルク)がボランチに復帰し、ポジション争いが激化。また、2列目でも原口元気山田直輝といった赤星より更に若い世代の選手たちが台頭。出場機会に恵まれず、6月までの出場はナビスコカップの3試合のみ(全て途中出場、計36分)だった。

同年7月、複数のクラブからオファーが届く中「チームの軸にしたい」と獲得に名乗りをあげたモンテディオ山形へのレンタル移籍が決定[7][8]

2009シーズン終了後、レンタル先の山形、所属元の浦和双方から契約満了の発表を受け、チームを退団。現役続行を希望し、合同トライアウトへの参加、またエクストラクラサ(ポーランド1部)のシロンスク・ヴロツワフへ練習参加するなど移籍先を模索していた。

2010年2月26日、ポーランド・1リーガ(2部相当)所属のŁKSウッチに半年契約で入団することが発表された。 2010年3月23日、チームの経営難に伴って契約解除となり、その後日本のJFL所属クラブ、ツエーゲン金沢と契約を結ぶ[9]。海外移籍に関して移籍金がかからない条項を盛り込むなど、強い海外志向があり、7月に入ってラトビアヴィルスリーガSKリエパーヤ・メタルルグスへの移籍が発表された[10]UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11予選2回戦・対スパルタ・プラハの第2戦で先発、フル出場。(0-2、2戦合計0-5で敗退)

2011年1月28日、ポーランド・1リーガ(2部相当)のポゴン・シチェシンへの移籍が発表された[11]。同年5月7日、日本人として初めてポーランドプロリーグでゴールを決める。

[編集] 評価

視野の広さや判断力に優れたコントロールタワー[12]

[編集] 人物・エピソード

  • 週刊少年マガジンで連載されていた漫画作品『Jドリーム』の主人公「赤星鷹」に名前が似ており、しかも赤星鷹は浦和所属という設定だったため、赤星が浦和入団を決めた際は「『Jドリーム』が現実に」とサポーターの間で話題になった。
  • 同期入団の細貝萌ブログにて赤星がかなりのゲーマーであることが判明した。ウイニングイレブンが得意である。
  • 2007年、サテライトの最終戦を累積警告で出場停止になり、2005年、GKなのに累積警告で出場停止になっている都築龍太「ありえねー」といじられた。
  • 2009年に浦和から山形へのレンタル移籍が決定した際、偶然にも山形の次節の対戦相手は浦和であった。この時、移籍の際に両チーム間で紳士協定が結ばれており、赤星は浦和戦に出場することはなかった。[13]

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

[編集] 学歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2005 浦和 25 J1 2 0 1 0 3 0 6 0
2006 浦和 25 J1 0 0 4 0 0 0 4 0
2007 浦和 25 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2008 水戸 18 J2 41 8 - 2 0 43 8
2009 浦和 18 J1 0 0 3 0 - 3 0
山形 35 J1 8 0 - 1 1 9 1
2010 金沢 24 JFL 15 1 - - 15 1
ラトビア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2010 リエパーヤ 2 ヴィルス 15 6 - 1 0 16 6
ポーランド リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2010-11 ポゴン・シチェシン 27 1リーガ 8 1 - - 8 1
2011-12 ポゴン・シチェシン 27 1リーガ -
通算 日本 J1 10 0 8 0 4 1 22 1
日本 J2 41 8 - 2 0 43 8
日本 JFL 15 1 - - 15 1
ラトビア ヴィルス 15 6 - 1 0 16 6
ポーランド 1リーガ 8 1 - 0 0 8 1
総通算 89 16 8 0 7 1 104 17

[編集] 経歴

[編集] 代表歴

  • U-16日本代表
  • U-17日本代表
  • U-18日本代表
  • U-20日本代表

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

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