本禅寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
本禅寺
所在地 京都府京都市上京区北之辺町394
位置 北緯35度1分35.9秒 東経135度46分5.8秒 / 北緯35.026639度 東経135.768278度 / 35.026639; 135.768278座標: 北緯35度1分35.9秒 東経135度46分5.8秒 / 北緯35.026639度 東経135.768278度 / 35.026639; 135.768278
山号 光了山
宗派 法華宗陣門流
寺格 本山
本尊 三宝尊
創建年 1406年(応永13年)
開基 日陣
札所等 洛中法華21ヶ寺
文化財 寛性親王御消息飜摺法華経(重要文化財)ほか
テンプレートを表示

本禅寺(ほんぜんじ)は、京都府京都市上京区にある寺院。法華宗陣門流の京都本山。山号は光了山。塔頭が三院ある(心城院、詮量院、玄妙院)。

歴史[編集]

本禅寺は1406年(応永13年)、法華宗陣門流の門祖日陣によって四条堀川に創建された。日陣はもと本圀寺に属したが、法兄の日伝との宗論の後、本圀寺を離脱し独立した。1536年(天文5年)の法華一揆(天文法華の乱)の際は他の法華宗寺院とともに焼失し、に避難した。その後1542年(天文11年)に後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、堺に避難した寺々も京都に戻ったが、本禅寺はこれを2年ほどさかのぼる1540年(天文9年)、西陣桜井町に伽藍を再建した(現・上京区智恵光院通今出川上る桜井町)[1]

寺は1591年(天正19年)、豊臣秀吉の命により、現在の地に移転した。1708年(宝永5年)の大火と1788年(天明8年)の天明の大火で焼失したが、その都度再建されている。1839年(天保10年)には有栖川宮祈願所となった。現存の伽藍は1852年(嘉永5年)に再建されたものである[2]

境内[編集]

  • 本堂
  • 釈迦堂
日蓮の随身仏と言われる金銅釈迦如来立像(立像釈迦牟尼仏)を安置することから立像堂(りゅうぞうどう)ともいう。釈迦像は年2回、万人講(4月上旬)と御会式(おえしき)(10月13日)の時に開帳される。
  • 鐘楼
梵鐘豊臣秀頼が鋳造し、徳川家康大坂の陣で陣鐘として用いたものと伝え、大久保忠教(彦左衛門)の奉納とされる[3]
  • 墓所

墓地奥に江戸時代大名であった石川氏大久保氏の墓所が並び、正面向かって左に石川氏7名・右に大久保氏9名の墓がある。

石川氏(向かって左より)
氏名 戒名 生年 没年(享年 数え年) 備考(官制名)
石川憲之 方圓院殿日周尊儀 寛永11年4月1日1634年4月28日 宝永4年7月11日1707年8月8日)(74) 主殿頭)、石川忠総嫡孫、近江膳所藩主→伊勢亀山藩主→山城淀藩
石川昌能 登圓院殿日頂尊霊 万治元年(1658年 天和2年4月25日1682年6月1日)(25) 日向守)、石川憲之長男
石川廉勝 寂智院殿日俊尊位 慶長9年(1604年 慶安3年7月8日1650年8月5日)(47) 弾正大弼)、石川忠総長男・憲之の父
石川忠総 本元忠総院殿日観神霊 天正10年(1582年 慶安3年12月24日1651年2月14日)(69) (主殿頭)、大久保忠隣次男・母は石川家成の娘。石川家成養嗣子、美濃大垣藩主→豊後日田藩主→下総佐倉藩主→近江膳所藩主
石川忠総室 忍母法林院殿僊苑 寿信大姉尊儀 - 慶安元年8月8日1649年9月24日)(-) 堀尾吉晴の娘
石川義孝 義孝院殿日意尊位 万治2年(1659年 宝永7年9月2日1710年10月23日)(52) (主殿頭)、石川憲之次男、、山城淀藩主→伊勢亀山藩主石川家5代
石川勝之 宝性院殿空山日住尊霊 延宝3年(1675年 宝永3年1月27日1706年3月11日)(32) 下野守)、石川昌能長男(憲之嫡孫)
大久保家(向かって左より)
氏名 戒名 生年 没年 備考(官制名)
大久保忠世 慈父了源院殿日脱霊位 天文元年(1532年 文禄3年9月15日1594年10月28日)(63) 相模守)、大久保忠員嫡男、相模小田原藩
大久保忠隣 凉池院殿道白霊位 天文22年(1553年 寛永5年6月27日1628年7月28日)(76) (相模守)、大久保忠世嫡男、相模小田原藩主
大久保忠常 妙法院殿日性高霊 天正8年(1580年 慶長16年10月10日1611年11月14日)(32) 加賀守)、大久保忠隣嫡男・石川忠総の兄、母は石川家成の娘。武蔵騎西藩
大久保忠職 本源院殿日禅神儀 慶長9年(1604年 寛文10年4月19日1670年6月6日)(67) (加賀守)、大久保忠常嫡男、武蔵騎西藩主→美濃国加納藩
播磨国明石藩主→肥前国唐津藩
大久保忠職室 慶光院殿日宗太姉 - 元禄5年9月24日1692年11月2日)(-) 松平忠明の娘
大久保忠倫 正眼院殿日映霊位 - 寛文2年10月13日1662年11月23日)(8) 大久保忠職次男
大久保新十郎 信了院殿日源霊位 - 承応2年1月4日1653年2月1日)(4) 大久保忠職長男
宇津季之 法常院殿日傳霊儀 - 万治4年1月4日1661年2月25日)(26) 主水)、大久保忠職三男
大久保忠教 了真院殿日清 永禄3年(1560年 寛永16年2月30日1639年4月3日)(80) (彦左衛門尉)、大久保忠世の弟、大久保彦左衛門
画家岸駒(がんく)、俳人桜井梅室(ばいしつ)の墓がある。

法脈[編集]

宗祖日蓮から、日朗(六老僧)、日印鎌倉殿中問答の勝者)、日静上杉氏藤原北家出身、後に除歴)、日陣(門祖)と流れる法脈である。

日陣は、京にて法論させた日伝六条門流)の元弟子で日陣に服した日登を当寺へ置き、本成寺へ戻って布教している。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

  • 寛性親王消息飜摺法華経 8巻
  • 伏見天皇宸翰消息 1幅
  • 後深草天皇宸翰消息(十二月九日)1幅

所在地[編集]

京都府京都市上京区北之辺町394

京都御苑の清和院御門を出て、寺町通を少し北に進むと、道の東側に南から境内に「紫式部邸宅遺跡」がある。廬山寺、「身代り不動」が有名な清浄華院、本禅寺の三寺が並ぶ。

総本山・別院[編集]

総本山[編集]

当院以外の本山別院[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、p.540
  2. ^ 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、p.540
  3. ^ 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、p.540

参考文献[編集]

  • 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979