本禅寺
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| 本禅寺 | |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市上京区北之辺町394 |
| 位置 | 北緯35度1分35.889秒 東経135度46分5.832秒 |
| 山号 | 光了山 |
| 宗派 | 法華宗陣門流 |
| 寺格 | 本山 |
| 本尊 | 三宝尊 |
| 創建年 | 1406年(応永13年) |
| 開基 | 日陣 |
| 札所等 | 洛中法華21ヶ寺 |
| 文化財 | 寛性親王御消息飜摺法華経(重要文化財)ほか |
本禅寺(ほんぜんじ)は、京都府京都市上京区にある寺院。法華宗陣門流の京都本山。山号は光了山。塔頭が三院ある(心城院、詮量院、玄妙院)。
目次 |
歴史[編集]
本禅寺は1406年(応永13年)、法華宗陣門流の門祖日陣によって四条堀川に創建された。日陣はもと本圀寺に属したが、法兄の日伝との宗論の後、本圀寺を離脱し独立した。1536年(天文5年)の法華一揆(天文法華の乱)の際は他の法華宗寺院とともに焼失し、堺に避難した。その後1542年(天文11年)に後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、堺に避難した寺々も京都に戻ったが、本禅寺はこれを2年ほどさかのぼる1540年(天文9年)、西陣桜井町に伽藍を再建した(現・上京区智恵光院通今出川上る桜井町)[1]。
寺は1591年(天正19年)、豊臣秀吉の命により、現在の地に移転した。1708年(宝永5年)の大火と1788年(天明8年)の天明の大火で焼失したが、その都度再建されている。1839年(天保10年)には有栖川宮の祈願所となった。現存の伽藍は1852年(嘉永5年)に再建されたものである[2]。
境内[編集]
- 本堂
- 釈迦堂
- 鐘楼
- 墓所
法脈[編集]
宗祖日蓮から、日朗(六老僧)、日印(鎌倉殿中問答の勝者)、日静(上杉氏藤原北家出身、後に除歴)、日陣(門祖)と流れる法脈である。
日陣は、京にて法論させた日伝(六条門流)の元弟子で日陣に服した日登を当寺へ置き、本成寺へ戻って布教している。
文化財[編集]
重要文化財[編集]
- 寛性親王消息飜摺法華経 8巻
- 伏見天皇宸翰消息 1幅
- 後深草天皇宸翰消息(十二月九日)1幅
所在地[編集]
京都府京都市上京区北之辺町394
京都御苑の清和院御門を出て、寺町通を少し北に進むと、道の東側に南から境内に「紫式部邸宅遺跡」がある。廬山寺、「身代り不動」が有名な清浄華院、本禅寺の三寺が並ぶ。
総本山・別院[編集]
総本山[編集]
当院以外の本山別院[編集]
- 東海本山 常霊山本興寺(静岡県湖西市)(遠江国)
- 東京別院 徳栄山本妙寺(東京都豊島区)(武蔵国)
- 北陸別院 長松山本法寺(富山県富山市八尾町)(越中国)
- 霊跡別院 俎岩山蓮着寺(静岡県伊東市)(伊豆国)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979