未回収のイタリア

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第一次大戦後のイタリア王国

未回収のイタリア(みかいしゅうのイタリア、イタリア語:Italia irredenta)は、19世紀において、イタリア王国が領土と主張した地域のうち、イタリア統一戦争後もオーストリア領内に残った地域である。南ティロルトレンティーノ地方トリエステイストリア地方フィウーメダルマツィア地方などの旧ヴェネツィア共和国領がそれである。

概要[編集]

普墺戦争の際、イタリア軍はプロイセン軍と同盟してオーストリアと戦い、ヴェネツィアを奪回したが、戦争は7週間で終結してしまったため、ヴェネツィアよりも奥に位置する領土の奪回を果たすことなく終わった。イタリア王国は、1871年教皇領を併合して一応の統一完成を見たが、その後も世論はこれら地域の奪回を諦めなかった。こうした拡張主義の動きを民族統一主義(イリデンティズム)という。

イタリアは、第一次世界大戦に際し、当初三国同盟[注釈 1]に基づいて同盟国側に立ったが、「未回収のイタリア」をめぐってオーストリアと対立し、開戦に際しては中立を宣言、これらの地域の返還がロンドン条約(ロンドン密約)によって秘密裏に約束されると、イギリス・フランスらの連合国側について参戦した(1915年)。

大戦後、南ティロル地方やトレンティーノ地方、トリエステはイタリア領となった。だが、フィウーメについてはユーゴスラヴィア(現スロベニアクロアチア)領となり、また南ティロル地方(現・イタリア共和国ボルツァーノ自治県)は既にドイツ系住民が長年にわたり居住してティロル州の一部として定着した地域となっていたために、逆にオーストリア世論が「固有の領土を奪われた」と反撥してその奪回を求めるようになった。 このため、イタリアはオーストリアやユーゴスラビアとの新たな国境紛争を抱える事になったのである。その後、第二次世界大戦におけるイタリアの敗北を経たあと、1946年には南ティロル地方のドイツ系住民に自治権が認められ、1975年オージモ条約によってトリエステ問題も解決した。

また、広義には「イタリア語の発音が聞こえる全ての地域」を主張したため、フランスに割譲した、サヴォイア(サヴォワ)、ニッツァ(ニース)、コルシカ島や、スイスティチーノ州グラウビュンデン州の一部、マルタ共和国、更にチュニスなどの地域も含んだ。そのためファシスト政権下のイタリアではこれらの「回復」が行なわれたが、イタリア降伏によってすべて放棄された。

注釈[編集]

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  1. ^ フランスがチュニジアを保護国としたことに不満をもったイタリアがドイツ・オーストリアの同盟に加わることで成立した。

関連項目[編集]