オージモ条約
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オージモ条約(オージモじょうやく、Trattato di Osimo)は、トリエステ自由地域をイタリアとユーゴスラビアに分割することを承認した条約。1975年11月10日にオージモで調印された。
[編集] 概要
トリエステは長年、未回収のイタリアとされ、その帰属には紛争があった。第一次世界大戦以降はイタリア領となっていたが、第二次世界大戦中に連合軍及びユーゴスラビア軍によって分割占領された。1947年のイタリア平和条約によりトリエステ自由地域が設置され、中立地域とされた。だが、実際にはA地区(連合国・イタリア影響地域)とB地区(ユーゴスラビア影響地域)の分割統治に等しい状態にあった。そのため、イタリアとユーゴスラビアは当地を分割し、それぞれ自国へ編入することにし、オージモ条約が締結された。
資産問題も後日の解決とされたほか、イタリア側では、歴史的経緯とB地区からのイタリア人の脱出・亡命が続いていたこともあり、この解決法には反対があった。
1991年のスロベニアの独立により、イストリア半島における国境は複雑となった。その際、旧ユーゴスラビア構成国間でオージモ条約における領土について討論が行なわれた。
調印者
- イタリア側:エウジェーニオ・カルボーネ工業相。アルド・モーロ(Aldo Moro)首相とマリアーノ・ルモール(Mariano Rumor)外相の代理として。
- ユーゴスラヴィア側:ミロシュ・ミニツ(Miloš Minić)