トレント級重巡洋艦

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トレント級重巡洋艦
トレントを描いたイラスト。
艦級概観
艦種 重巡洋艦
艦名 都市名
前級 装甲巡洋艦サン・ジョルジョ級
次級 ザラ級
性能諸元
排水量 基準:10,500トン
常備:13,114トン
満載:13,548トン
全長 196.9m
194.0m(水線長)
全幅 20.6m
吃水 6.8m
機関 ヤーロー重油専焼水管缶6基
+パーソンズギヤード・タービン4基4軸推進
最大
出力
150,000hp
最大
速力
35.0ノット
(公試時:38.1ノット)
航続
距離
25ノット/3,200海里
16ノット/4,160海里
燃料 重油:3,000トン
乗員 723名
兵装 Models 1924 20.3cm(50口径)連装速射砲4基
Models 1924 10cm(47口径)連装高角砲8基
Models 1917 4cm(39口径)単装機関砲4基
Model 1931 13.2mm(75.7口径)単装機銃4基
53.3cm四連装魚雷発射管2基
装甲 舷側:70mm(水線部)
甲板:50mm
主砲塔:100mm(前盾)
主砲バーベット:152mm
司令塔:76~100mm
航空
兵装
Piaggio P6水上機3機
固定式艦首カタパルト1基

トレント級重巡洋艦 (Incrociatori pesanti Classe Trento) は、イタリア王立海軍が最初に建造した重巡洋艦の艦級である。2隻が建造され、その艦名は第一次世界大戦でイタリアが獲得した二つの都市、トレントトリエステにちなむ。なお、準同型艦にボルツァーノがある。

概要[編集]

第一次大戦後にオーストリア=ハンガリー帝国海軍の解体後、イタリア海軍は地中海を挟んで対峙するフランス海軍を仮想敵に定めた。同海軍は高速かつ強力な兵装を持つ大型駆逐艦を揃えており、イタリア海軍の小型な駆逐艦では対抗が難しかった。そのため、イタリア海軍では大型駆逐艦に対抗可能な火力と速力を持つ高速軽防御の軽巡洋艦を建造する事とした。これが「嚮導(コンドッティエリ)型軽巡洋艦」であるが、本級はさらに火力を追求して条約制限一杯の8インチ(20.3cm)砲を搭載した高速巡洋艦を建造した。それが本級である。ワシントン条約の制限下の条約型重巡洋艦として建造されたが、排水量が1万tを超過し、条約の制限を超える艦となった。

艦形[編集]

本級の艦形を示した図。

本級は高速を発揮を発揮しやすくするために同時期のイギリス海軍の巡洋艦と同じく縦横の比率の強い細長い船体形状を採用していた。艦首水線下には初期からバルバス・バウを採用していた。艦首構造の内部に水上機格納庫を持ち、水上機は艦首甲板上に埋め込まれた固定式カタパルトから射出される。その後部から主砲を箱型の連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基が配置された。本級は操舵艦橋を基部として頂上部に測距儀を載せ、中部に戦闘艦橋を持つた前部三脚檣が立っていたが、公試中に三脚檣の振動を押さえられなかったために前部に二脚を足して五脚檣となった経緯を持つ。このデザインは「ザラ級」まで受け継がれた。

艦橋の背後には2本煙突が立つが機関のシフト配置のために前後が離されており、その間は艦載艇置き場となっており、2番煙突前方に配置された後部三脚檣の基部に付いたクレーン1基により運用された。舷側甲板上には高角砲を防盾付きの連装砲架で片舷4基ずつ計8基配置していた。2番煙突後方の後部甲板上に後ろ向きに3・4番主砲塔が背負い式に2基配置した。艦尾水面下には中央に大型の一枚を挟むように片舷2軸ずつ計4軸にスクリュープロペラが付いていた。

主砲[編集]

本級の主砲は国産のModels 1924 20.3cm(50口径)砲を採用した。この砲は、重量118kgの砲弾を使用した場合仰角45度での射程距離が28,000mとなる。この砲をイタリア海軍の重巡洋艦では初の連装式の砲塔に収めたが、列強の同種艦と異なり、イタリア海軍の条約型重巡洋艦は最後まで左右の砲身を同一の砲架に据えつける形式を採用した。これは、砲身の間を狭める事により砲塔の小型化と機構の簡略化を狙った物であるが、代償として斉射時に左右の砲弾の衝撃波が相互に干渉しあって散布界が広がる弱点があり、イタリア巡洋艦のウィークポイントとなった。砲塔の旋回は首尾線方向を0度として左右150度で、俯仰角度は仰角45度・俯角1.5度で発射速度は毎分1.5~3.4発である。

高角砲・機銃・水雷兵装[編集]

高角砲は1927年10cm(47口径)高角砲を採用した。この砲は設計年次が古く、原型は第一次世界大戦前にシュコダ社でオーストリア=ハンガリー帝国海軍向けに製造されたK11型 10cm(47口径)砲であり、戦利艦に搭載されていたこの砲を複製し、砲架を改めて平射砲から高角砲に転用したものである。原型が平射砲であったため砲耳の位置が低く、そのままでは高仰角時の装填操作が困難となることから、転用にあたり採用された高角砲架は仰角が大きくなるとそれに応じて砲耳の高さが高くなる機構を有していた。性能は、13.8kgの砲弾を使用した場合仰角45度で射程距離15,240m、最大仰角85度で射高10,000mであった。旋回と俯仰は電動と人力で行われ、360度旋回でき、俯仰は仰角85度~俯角5度であった。発射速度は毎分8~10発だった。これを連装砲架で8基16門を搭載した。砲架の機構が特殊なため俯仰操作が重く、実際に高角砲として使用するには目標追随能力が十分でなかったとされる。イタリア海軍の艦艇では本級が最初の搭載艦となった。

他に高角砲を補うためにModels 1917 4cm(39口径)機関砲を採用した。これは第一世界大戦前にイギリスのヴィッカーズ社よりライセンス生産されたものでイギリス海軍では「ポンポン砲」として第二次世界大戦時も使用している砲である。この機関砲を単装砲架で4基を搭載した。

他に近接対空用にModel 1931 13.2mm(75.7口径)機銃を採用した。その性能は0.051kgの機銃弾を仰角45度で6,000m、仰角85度で2,000mの高さまで届かせることが出来た。俯仰能力は仰角85度・俯角11度である。旋回角度は360度の旋回角度を持っていたが、上部構造物に射界を制限された。砲架の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分500発である。この機銃を連装砲架で4基を搭載した。

他に、53.3cm魚雷発射管4連装2基を搭載した。

1937年の改装により、10cm高角砲、12.7mm機銃及び40mm機関砲のそれぞれ一部を撤去し、代わりに37mm機関砲8門と13.2mm機銃8挺を搭載した。

艦歴[編集]

第二次世界大戦において、トレントはヴィガラス作戦の阻止行動中の1942年6月15日にマルタ島からの空襲により被雷、同日イギリス潜水艦アンブラにより再度雷撃を受けイオニア海で沈没した。半数以上の乗員が死亡したが、その一部は護衛に当たった艦が投じた爆雷による物と見られている。

トリエステは、1941年11月21日にイギリス潜水艦アトモストの魚雷により大破、メッシーナで修理に当たった。1943年4月10日、ラ・マッダレーナ港にてアメリカ陸軍のB-24により数発の爆弾を受けた後、沈没。スペインに航空母艦への改装のため売却する計画もあったが、実行に移されることはなく解体された。

同型艦[編集]

艦名 起工 進水 就役 戦没
トレント(Trento) 1925年2月8日 1927年10月4日 1929年4月3日 1942年6月15日
トリエステ(Trieste) 1925年6月22日 1926年10月24日 1928年12月21日 1943年4月10日

参考図書[編集]

  • 「世界の艦船増刊 イタリア巡洋艦史」(海人社)

外部リンク[編集]